FC2ブログ

強い後ろ盾が無い奴が政治の世界で成り上がりたければ、国家のビジョンを語るよりも、卑近なシングルイシューを唱えた方が近道

2019年07月23日 23:00

今回の記事は、この間の参議院議員選挙の結果を見て感じたこと・考えたことなどを書いてみることにします。


与党と自民党と公明党を合わせて、過半数を維持した。
旧民主(民進)党系は明暗が分かれた。立憲民主党は8議席も増やして躍進したが、国民民主党は6議席しか獲得できず、党の存続もあやしくなってきた。ただ、旧民主(民進)党系全体としては、前回の2016年の32議席を下回ってしまった。
日本維新の会は3議席増で10議席。
共産党は選挙前は14議席だったが、1議席を失った。
社民党は辛うじて一議席を獲得し、政党要件を満たす条件を死守――首の皮一枚繋がったという結果だった。


なんか、与党の圧勝っぽく報道されてる気がするが、公明党は3議席増やしたものの、自民党自体は9議席も失ったのだ。公明党と改憲に肯定的な維新の会の議席を足しても、日本国憲法改憲の発議が可能な圧倒的多数となる3分の2を確保できなかった上、自民党単独過半数の維持も失敗したんだ。安倍晋三は内心、「ムキーッ!」って悔しがっているか?
そんなに自民党に逆風がふいているようには思えなかったけれど、俺の想像以上の負けっぷりだったのだ。
早速、国民民主党の中の改憲に前向きな議員に協力をお願いしたいようなことを公言しておったが、こうなると、N国の立花やその他無所属の議員だって、改憲に賛成することを交換条件に何らかの自分の要望を通してもらおうと考えられそうだよな。

しかし、これでは消費税の増税に待ったを掛けられるというほどの結果ではない。

まず、旧民主党系の連中――立憲民主党や国民民主党は、その主要な支持基盤である連合が消費税の増税に賛成だからか、れいわ新選組や幸福実現党のように、はっきりと減税を訴える腹を括った選挙戦が展開できなかった。

立憲民主党の候補者の中には、日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)もいたらしい(あまり興味無いので、その人物の名前も当落は分からない)。

私鉄と言えば、一カ月くらい前、阪急電鉄の列車の車両内に「月50万円貰って生き甲斐のない生活と30万円だけど仕事が楽しい生活、どっちがいい?」などという浮世離れしたコピーが印刷された釣り広告を掲示して、炎上したことがあっただろ。

「月50万円貰って生き甲斐のない生活と30万円だけど仕事が楽しい生活、どっちがいい?」…阪急車両ジャック広告に猛批判、企画中止へ

阪急電鉄の正社員の年収は、30代になると800万円以上になるらしい。まぁ、そういう水準の会社だから、そんなコピーの吊り広告は反感を買うこと、想像がつかなかったんだろう。
そういう大会社の労組を支持基盤にしている限り、大半の国民にとっては、自民党と大差ない貴族の政党に過ぎず、弱者の味方のような面しても相手にされないだろ。

僅かな票田のために、腹を括ることもできず、下らない離合集散を繰り返しているだけのボンクラども。大きな無党派層の支持が得られるわけがない。

小泉内閣や第一次安倍内閣の頃、プロレタリア文学の『蟹工船』がブームになったことと同時に、日本共産党に入党者が増えるという社会現象があった。その当時の共産党は、民主党や社民党などの労働貴族の政党の庇護を受けられない・それを見限った非正規雇用の若者の受け皿になっていたのだ。

今はその受け皿の役は、《れいわ新選組》がとって代わっているんだろうか。

今回の参議院議員選挙の結果で、何より注目を集めているのは、その“れいわ”が比例区で重度の身体障害者の候補を二人も当選させこと、そして、《NHKから国民を守る党》の代表の立花孝志が当選して、両党ともに政党の要件を満たしたことだ。

正直、山本太郎なんて、タレントくずれの胡散臭い反原発活動家ぐらいにしか思っていなかったし、N国の立花孝志だって、別の意味で胡散臭いイメージもつきまとっていた。
この両党と比べたら、資金力があって、組織のネットワークも大きいと思われる《幸福実現党》ですら、今回も一議席も獲得できなかったんだぞ(地方自治体では、幾らか議席を獲得しつつあるらしいが)。

この結果を見て、よく分ったことは、安全保障とか、原発とか、憲法の改正の是非なんて、関心がある有権者はそんなに多くないんじゃないか。それより、もっと生活に直結する公約を掲げる政党・候補者の方が有権者の関心を買い易いということだ。

もう、15年ぐらい前から、国政選挙の度にネットで泡沫な政党・候補者を幾らか見てきた。
その中で特に目を引かれるのは、10年前に立ち上げられた《幸福実現党》もそうだけれど、極右の維新政党・新風とか、イラク戦争時の小泉純一郎の対米追従外交方針を批判して、外務省を辞めさせられ、憲法第九条の固守と日米安保の批判を軸にした公約で何度か国政選挙に立候補している天木直人(今回は《オリーブの木》という政党から立候補して落選)なんかだろうか。

N国はシングルイシュー ――つまり、NHKの放送のスクランブル化の実現を訴えることだけに徹したことが効を奏したようだ。NHKの放送を観ないから、受信契約を結ぶつもりはなくて、テレビを家から撤去したのに、NHKはワンセグ機能のあるスマフォやカーナビ、しまいにはインターネット回線そのものまで、受信契約の対象にしようとしている……などという不満の受け皿になる政治家が他にいなかったからだ。

それしかイシューを持っていないような奴に議席に座って欲しくない・議席を与えたことに懐疑的な考えの人もいるだろう。

でも、幅広い分野にわたって、公約を掲げ続けて、自分たちなりの国家の将来像を提案し続けている《幸福実現党》は、未だに一議席も取れていない。現実として、品の無い部分もある動画で、NHKの放送のスクランブル化の実現を訴えているだけの奴に先を越されたのだ。

その《幸福実現党》もそうだけれど、維新政党・新風にしろ、天木直人にしろ、個々の主張に違いはあれど、憲法をどうするかとか、安全保障に関することを各々の公約の主柱にしているだろ。

だけれど、そういう国家の根幹を成す憲法とか、安全保障・外交に関する公約なんかを中心にしている連中よりも、もっと身近な自分たちの生活に直結する問題に取り組んでくれる者に有権者の多くは関心を寄せる……ってことがよく分った結果になった選挙だった感があるよな。

N党の立花氏が主張しているようなことに対する批判的な声の中に、「NHKは質の良い教養番組を観ている。(だから、毎月1,000円ぐらいの受信料を払う価値あるのに)そういうものを観ないであろう(バカな)底辺層の意見などに耳を貸す必要は無い」などという意見をどこかで見掛けました。

そういう人は、れいわやN党に投票した奴のこと、憲法や安全保障などの国家の存続の根幹についてのビジョンを持っているところではなく、自分たちの卑近な生活に関するシングルイシューしか打ち出していないポピュリズム野郎に投票するバカとでも思っているんだろう。

今日の所は、ここで、どっちが良いか悪いかを論じるつもりはない。ただ、日本の国の中で、上と下の階層の間にある壁の高さというか、溝の深さを感じるというだけだろうか。

改名

2019年07月22日 23:00

今まで、“カイン”(Kayin)というHNで、15年ぐらいブログを書き続けてきましたが、思うところがあって、これを改名することにしました。

今後は“広岡”(ひろおか)と名乗ることにします。それに伴って、ブログタイトルも少し変更しました(今後、また多少の変更があるかも知れません)。

改名に至った理由とかについては、姉妹ブログの以下のリンク先の記事で、まつわることは書いておいたので、こちらでは割愛させてもらいます。

改名

“カインの末裔”のブログ

京アニ放火事件

2019年07月21日 19:00

今日は京都市伏見区の《京都アニメーション》のビルが放火された事件について、個人的に思った諸々のことを書いてみます。

30人以上が亡くなったが、平成以降に起きた類似の事件としては、最悪の規模の大惨事だそうだ。

焼け跡のビルをヘリコプターで俯瞰するような形で撮影した動画がYouTubeなどにはアップロードされているし、この事件のことを取り上げたテレビ番組などで、ビル内の見取図を用いた解説がなされたりしている。
スタジオ内には、制作中の作品の制作物ばかりか、過去の貴重な資料も保管されていて、それの焼失は金銭的な意味以外でも大きな損失だが、そういう物を保護する意味でも、それなりに人の入退館に対するセキュリティーは配慮されていたようだ。

まず、それらを見聞きして、こんなに多くの死者が出たのは、建物の構造やセキュリティーが裏目に出たんじゃないかという印象を受けた。

あのビルには、外階段らしい物が見当たらない。貴重な資料とかを保管していることもあって、不審者が入ってこないように、人が出入りできる箇所を最小限にしていたんだろうか。だから、エントランスの辺りでガソリンが撒かれて放火されて、一旦、一階から拡がってしまった火の手から逃れるには、中にいる人間は屋上へ上がるか、一か八かで窓から飛び降りるしかなくなるだろ。

尤も、最低限、建築基準法やら消防法やらには違反してはいなかっただろうし、火事が発生したとしても、これだけ大勢が犠牲になること、想定外だったんだろうか。不幸な要因が重なってしまった結果なのだ。
実際、犯人だって、ガソリンを撒いて放火するだけで、これだけ殺害できるとは思っていなかったからこそ、刃物も所持していたんだろうから。


俺は当初、犯人は内部の事情とかに幾らか通じている人間ではないかと思っていた。
アニメ業界は基本的に労働環境が厳しく、現場の人間関係の軋轢も激しそうだし、他人から反感を買い易い言動が目立つ業界人もちらほらいるからだ。まず、元々、ここで働いていたり、仕事の関係で出入りしていた者だったんじゃないかと想像した。
でも、これまでの報道で流れてくる情報を聞く限り、無関係の部外者っぽいことの方が濃厚になっている。

社長の談によれば、たまたま、来客を迎えるためにセキュリティーを解除していて、犯人はその穴をつくようにガソリンを持ち込んで入館してきた。
今のところ、そこが分からないんだけれど、部外者だったら、犯行の直前、数日下見をするぐらいで、そういう一時的なセキュリティホールが分かるんだろうか?
犯人はガソリンを20Lの容量の携行缶2個に入れて持ち込んだらしいが、台車じゃなきゃ運べない重量物だし、よっぽど隙をつかなければ、運び入れらるものではないだろ。


この放火事件は、死亡した人数から、平成以降に日本国内で起こった類似の事件の中では最悪の惨事だし、焼失してしまった資料の価値を考えれば、大騒ぎになるのは当然だと理解できる。

一年ぐらい前だけれど、埼玉県内である大手企業の社員寮が放火で炎上する事件があったんだけれど、メディアの扱いがあっさりしているというか、社名も出されなかったこととか、そこからある種の忖度が見え隠れする印象があったことを思い出した。

独身の若い従業員とか、他所の地方から出稼ぎに来た期間雇用の従業員が居住する施設で、中年の契約社員が携行缶に入れたガソリンを自分の部屋に持ち込んで、深夜の1時か2時ぐらいに火を点けたのだ。
幸い、死者は放火したと思われる本人だけで、他に犠牲者はいなかったけれどど、今思えば、それだけの被害で済んだのは不幸中の幸いだったのだ。
6階建ての建物で、少なく見積もっても100人以上は入居している。その会社の現場は基本的に二直体制で、夜半過ぎると、殆どの従業員は出勤していない。三交代の職場もあるし、翌日も仕事があっても、出歩いて夜遊びしている奴もいただろうけれど、相当の人数、在宅だったし、風呂に入っていたり、部屋で寝ていた筈だ。
他にも大勢の犠牲者が出る可能性は高かったんじゃないかと思うんだが、何が幸いして、放火した本人以外は死傷しないで済んだのか?
建物の耐火性が高かったのか、構造は火災発生時に住民が速やかに避難しやすいようになっていたのか、避難の誘導が適切だったのか?

何か忖度しなきゃいけない事情があるのか、営利企業の広告費じゃなくて、「国民から広くあまねく徴収された受信料」で運営されているNHKでも、「株式会社〇〇の社員寮」だなんていう呼称は出てこなくて、「△△市××の6階建てのマンション」で火災が発生しました……などというふうに報道されて、世間には軽くスルーされた。

でも、こういうふうに、数十人単位の犠牲者が出る可能性も十分にあった放火による火災の事例について、「不幸中の幸い」で済んだ要因は何なのかという検証、社会全体である程度は共有する必要があるんじゃないかという気がしてきました。


今回の火災によって、制作中の作品や貴重な資料が多く焼失してしまったことについては、「デジタル化できる物は、クラウドでバックアップを取らなかったのは不用心だろう」とか、「耐火金庫に保管しなかったのが悪い」とか、《京都アニメーション》のリスク管理体制を批判するような声も一部で上がっているけれど、そんな費用を捻出することは難しかったのではないかと思う。この業界の構造として、広告代理店とかの搾取によって、利益の余剰が少ないという問題があるだろ。
今の政府は「クール・ジャパン」などとホザいて、こういう日本のカルチャーもインバウンド消費を増やす戦略に取り入れているようなことを標榜しながら、制作に携わる現場の経済的な問題には何も対策してない。京アニの経営幹部のリスク管理体制をどうこう言う前に、まず非難すべきは、そこだろう。


世界中で悼む声・惜しむ声が上がっていて、京アニを支援するためのクラウド・ファウンディンングが立ち上がったりしているようだが、スタジオが焼失して、従業員が大勢死んで、会社の規模から考えて、もう壊滅的な打撃と言える惨事の後に金をもらってもね……っていう感じもするよ。
たとえが不謹慎だけれど、裕福な家庭なのに、大学生の我が子を格安スキーツアーのバスで遊びに行かて、事故って死んでしまってから、豪勢な葬式を営んでいた家と似たような感じだ。
今になって、再興を応援するために金を送るくらいなら、もっと前から、円盤やグッズをいっぱい買って、“お布施”しておくべきだったんじゃ……とも思えてくる。


それに、刑務所で服役した人間の社会復帰をどうするかの制度の問題もあるだろ。
以下のリンク先の記事は半年ぐらい前のものだけれど、2006年1月に下関駅の駅舎に放火して、それを焼失させた罪で懲役刑を食らって、3年前に出所した爺さんが、あるNPO法人に引き受けられて、立ち直っていく話である。


犯人の青葉何某という男、7年前に茨城県内でコンビニ強盗を犯した罪で捕まって、服役した経歴があると報じられているが、それの出所後、適切な社会復帰のサポートとか、どれだけあったんだろうか?
「こんな痛ましい悲劇、二度と起こらないようにしなければいけない」みたいなことを言うなら、こういう前科者の社会復帰の制度の整備とか、今は犯罪歴が無くても、無業孤立している中高年者などの貧困対策も喫緊の課題なんじゃないかと痛感させられる。

もう、縄文時代の人間のように自由にはなれないから、人類は滅びの道を歩んでいるのだと思う

2019年07月19日 19:30

半月ぐらい前、以下のリンク先の記事をヤフーで見掛けて読んだ。

親は30人、シェアハウスで育てられた25歳男性の現在──「沈没家族」と呼ばれて

俺は以下の感想をツイートしたけれど、やっぱ、同じようなことを思う人が多いみたいだ。


ただ、今の日本の子供を育てる環境の厳しさと比較して、こういう共同体生活もありじゃないかとか、肯定的なコメントも少なくないようだ。

多分、これを書いた本人は、俺がこれから書いていくようなことには想像が及んでいないだろうけれど、以下のコメントの「良い意味で縄文時代のような生活」という喩えが妙に的を得ていると思った。

貧困する一人親が育児仕事を抱えて無理心中や虐待につながる事件が後を絶たない。 他人の目が無いと、狭い世界で親子が深みにはまってしまう。パートナーを選び間違えれば死につながる。
そういう親子を税金を使って児相や警察が見守るにも限界がある。

それよりずーっと良いと思うし、育てられた本人達が「良かった」と思えるのが一番だと思う。
コミュニティみんなで育児をする。良い意味で縄文時代のような生活。東南アジアではそういう生活をする国は結構ある。

唐突だけれど、この世界から戦争とか、貧富の差の問題が無くならないのは何故だと思いますか?

まぁ、いきなり、こんな哲学的命題を突き付けられても、困るよな。

俺は発達障害なので、隠喩を多用されたり、抽象的だったりする話を理解することも、逆に自分が書くことも不得意で、何事もできるだけ単純化したがるところがある。

だから、その答えを簡単に書いてしまうが、戦争とか貧富の差の問題が無くならないのは、何故かというと、「所有」とか「家庭」とか「私有財産」の概念があるからではないかと考えるようになった。

そういうふうに考えるようになったきっかけは、3年前に以下のリンク先の記事を読んだことだった。山口大学と岡山大学の研究グループが発表したものだそうな。

縄文時代は“平和”だった 暴力死亡率は1.8%――「戦争は人間の本能」は誤り?

この記事を探すためにググったら、以下の記事も見掛けた。

縄文人は戦争を誘発する農耕を拒んだ?

諸説あるけれど、概ね農耕文化が始まってから、社会に階級や貧富の差が顕現して、土地をめぐる争いが多発するようになったんだろう。

山口大学と岡山大学の研究グループの説の記事とほぼ同時期だけれど、俺が時々、覗いているブログで、以下の興味を引かれる記事がアップされた。

黄金の金玉を知らないか? 問題なしゾーンの神様=旧約聖書の一神教の神様=お札の神

これは旧約聖書で有名な十戒。

わたしのほかに神があってはならない。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
あなたの父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の妻を欲してはならない。
隣人の財産を欲してはならない。

うーん。
これの意味が分かってない人が多すぎる。

こんな例を考えて見ましょう。

例えば、明日から

汝、排泄してはならないという戒めが11番目に追加されたらどうなるんでしょう。

ぇえ?

つぁぁぁ。
排せつしなきゃ直腸破裂で死んでしまいます。

(中略)

汝、XX してはらなぬ。

だいたいそんなものは人間が勝手に決めたルールですよ。
縛り。手前勝手な妄想。

例えば、イスラム教の中近東の国家では別に一夫多妻制です。
国で公式に認められたルールです。
乙武さんは公人だからダメだと言ってる人もいますが、
江戸時代などは国のトップの将軍様が100人ぐらいの奥さんを従えた大奥を作ってました。
大名とか公人になればなるほど妾を持つのが常識でした。

それに日本は縄文時代など夫婦制度などなく。
女系の村で、村全体で子供を育てて
男はせっせと種植えして、どっかに放浪していくふうてんの虎さんみたいな存在でした。

例えば泥棒だってそうです。

ワタスは前から不思議に思ってるのですが。

例えば汝、人の物を盗んではならぬ。
そりゃ現代社会では泥棒は当たり前に違法行為ですが。

でも、泥棒とは、所有という概念がなければ生まれませんよね。
物質を誰かの所有物とする。
所有行為。
それがないと泥棒なんてできないのです。

日本史では概ね、主な生産の手段が狩猟などだった縄文時代が終わって、農耕文化が始まった弥生時代から、「社会階級」とそれに付随して、「所有」や「家庭」の概念が生じたんだろうけれど、西洋史ではモーセが神から十戒を授かった時がその境になっているということだろうか。

兎に角、農耕文化が始まる前には無かった「所有」とか「家庭」といった概念こそが、今の人間の悩みの根源だったり、争いの種だったりするという考え方だ。

そりゃ、確かに「所有」の概念が無ければ、窃盗という犯罪があるわけないし、「家庭」の概念が無ければ、誰と誰が性交するのも自由で、「不倫」などという罪の概念も無い。
更に言うと、「著作権」だなんていう概念が成立したのは、つい数百年前のことだけれど、これだって、「所有」の概念だよな。

カール・マルクスは、人類の歴史はそれ以来、自由民と奴隷、領主と農奴、資本家と労働者などの階級闘争の歴史であり、近代社会に入って、その溝は益々、深まっていると指摘したが、支配者が独占している資本を社会の共有財産に変えることによって、労働者が資本を増殖するためだけに生きるという賃労働の悲惨な性質を廃止し、階級のない協同社会を目指すのが共産主義という思想である。

マルクスの著作物は『共産党宣言』だけ読んだことあるけれど、正に「私有財産」や「家庭」を廃止することを唱えていた。

今、経済のグローバル化が進んでいるという要因もあって、日本も含めて、先進国の中流・下層の労働者の賃金の水準が、人件費が安い国の方へ向かって下がっている潮流があるだろう。6年ぐらい前、ファーストリテイリング(ユニクロ)の社長の柳井が「(グローバル化がますます進む)将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく」などと予言したことだ。
どうやら、それもマルクスが想定している範囲で、共産主義の理想が実現するまでの過程で、必然的に起こることらしい。


皆、戦争や貧困が無い平和な世界を願っているんだろうけれど、その道がそれらの根本的な原因であると考えられる「所有」とか「家庭」の概念を廃止して、日本の縄文時代みたいな世界を築くことでしか拓けないとしたら、果たして、将来、人類はそれを受け入れられるんだろうか?


2年前、宮崎県の高千穂の天岩戸神社に行って、そこの神職の人に天岩戸が見える場所へ案内してもらう時(案内を頼まなければ、個人で自由に出入りできない)、日本の国の成り立ちを聞かせてもらったんだけれど、神話上では今の皇室の初代の神武帝の東遷によって、日本に稲作文化・技術を普及したことになっている。

それより前からだったけれど、《黄金の金玉を知らないか?》のブログは、日本の天皇家の存在についても否定的なことを書くようになったんだよな。

つまり、今の日本人の殆どが尊んでいるあらゆることが、実は世界の不幸の源かも知れない……ってことになってしまうんだよな。
それが真実だとしても、今更、受け入れられるのか?

恐らく、大半の人間が受け入れられないと思います。それは今回のブログ記事の冒頭で紹介した「沈没家族」「シェアハウスでの共同生活」「血縁を超えて互助し合う従来の家族の枠を超えた新しい家族のかたち」を紹介するAERAの記事に対して、俺もツイッターで呟いたことを懸念したり、胡散臭い宗教団体を連想したりして、気持ちの悪いものを感じたりする人のコメントが多いことからも察っせられる。

まだ、「所有」や「家庭」の概念に囚われていない(あえて、こう表現したが)縄文時代の人間の感覚だったら、そういう共同生活が成り立つというか、当たり前なんだろうけれど、もう、「所有」や「家庭」の概念にすっかり染まってしまっている今の日本人の多くは受け入れ難いだろう。

3~4年ぐらい前から、このことを考えてきていて、それをここまで文章にまとめたのは今回が初めてだけれど、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』の世界と似たような世界観を感じているんだよな。劇場アニメではなくて、漫画の方だぞ。

『風の谷のナウシカ』の世界で、人間の身体に有害な瘴気を放出する菌類の森である《腐海》と、そこに生息する《蟲》と総称される巨大生物たちの生態は、実は有害物質で汚染された世界を浄化する目的で人工的に作られたものだった。
そして、《火の七日間》の後の時代を生き延びてきた人類は、汚染された環境でも生きていかれるように旧文明人類に遺伝子とかに改造を加えられた人工種であって、浄化が完全に成就した清浄な世界では生存できないことも終盤で明かされる。

それと似たように見えてこないか?
共産主義革命が成就して、戦争や貧富の差が無い理想の世界が実現しても、人類の多くは、モーセの十戒の呪縛(「所有」「家庭」の概念)によって、魂が汚れてしまっているから、それに適応して生きていくことができない――

『風の谷のナウシカ』の世界では、汚染された大地でも生きていかれるように改造された人類も、浄化が成就した世界でも生存し続けられるようにするプログラムが用意されていたけれど(尤も、主人公のナウシカは、それを拒絶したが)、今の現実の世界の人類には、そういう福音が用意されているかどうか分からない。

今の世界・人類は、そんな終末に向かって、緩やかに歩み進んでいるんだろうな。
そのことの危険に気付いている一部の人間が、BI(ベーシック・インカム)の導入を主張したり、社会民主主義的な思想・政策を提言したりして、所得の再配分を訴えて、何とか歴史の歯車を止めようとしているんだろうけれど、果たして、それでその流れに歯止めを掛けられるのかどうか?。

まぁ、どちらにせよ、これを書いている俺とか、今、読んでいる読者が生きている内のことではないのだろうけれど――

人から反感を買うようなことやっている会社で働いたり、関わったりすると、とばっちりで命を失うかも知れないよ

2019年07月18日 23:00

京都市伏見区にある《京都アニメーション》のスタジオが放火の被害に遭い、30人以上のスタッフが死亡するという大惨事が起こった。

まだ、具体的な動機は解明を待たなければならないだろうが、犯人の男の強い憎悪を感じる。“京アニ”の幹部、同社によって、これまで制作された作品に携わってきたアニメーション監督業等の業界人なんかが、何か強い反感を買うことをやらかしたことがあったのでは……という想像も募っている。

もし、何か反感を買うことがあったとしたら、亡くなった人はとばっちりもいいところだけれど。

例えば、もう、十年ぐらい前のことだけれど、当時、ガイナックスの取締役だった赤井孝美が、『天元突破グレンラガン』への批判をネットの掲示板に書き込んでいる連中に対して、mixiで口汚く罵ることをかいて炎上するという事件があった。
最近だと、『けものフレンズ2』の監督などのSNS上での諸々の炎上がその典型例だろうか。

人から反感を買うような言動をしがちな人間の下で働いたり、そういう企業やプロジェクトに関わると、こういう殺戮の対象になりかねない・巻き込まれるリスクがつきまとってくるな……って今更ながら思ったりしました。


アニメ業界以外だと、古い話だけれど、2003年9月に起こった軽急便事件(名古屋立てこもり放火事件)のことを思い出した。
軽トラックによる運送を事業としている会社なんだけれど、配送に携わっている人間は直接雇用されず、個人事業主として委託契約を結ぶ形で働かされる。
「軽トラックで配送する仕事で高収入が得られる」っていうような内容の求人で人を釣って、高い車両を買わせたり、加盟金を取ったりするんだけれど、人並みの生活できる収入を得られる加盟オーナーは一握りだと言われている。
それで、小さなトラブルはちょくちょくあるんだろうけれど、ある一人の個人事業主の男が会社の横暴にキレて、件の立てこもり放火事件を起こしたのだ。

最近、ようやく話題が目立つようになったセブンイレブンのFC加盟店の問題だって、本質的に同じことだよな。
働かせる相手を自社従業員にしないで、飽く迄、独立した事業主という形にすれば、労働基準法を適用できないことをいいことに、色々と理不尽を押し付けて、搾取しまくれるというわけだ。
その内、コンビニ業界でも放火事件が起こるんじゃないかという気がする。

でも、これを書きながら思い出したけれど、他でもないアニメ業界だって、そういう“雇用形態”が珍しくないだろ。
制作会社に直接雇用される形じゃなくて、個人事業主として安い出来高制で働く人が多い業界なんだろう(京都アニメーションという制作会社は、どうなのかは知らないが)。
アニメ業界のブラック事情は昔から耳にしているけれど、最近、この業種での労務トラブルのニュースをちらほら見掛ける。
そのこと考えたら、京アニのスタジオが放火される惨事が起こらなくても、いつかはどこかの制作会社で、こんな事件が起こる可能性はあるんだよな。

業種を問わず、人から反感を買うようなことやっている会社や人間の下で働いたり、関わったりすると、とばっちりで命を失うかも知れないから、なるべく近づかない方がいいってことだろうか。