駄猫の時事放談

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発達障害といじめ(週刊少年マガジンの「15の夜 いまいじめられてるきみへ」の感想) 

去年の秋ぐらいから、いじめを苦にした自殺が相次いで起こっていることが報道されている。
その影響で、いじめの問題について、識者や様々な立場の著名人の意見、子供へのメッセージとやらがメディアを通して伝えられることが目立つようになっている。

10年ぐらい前も、いじめを苦にした自殺の報道が相次ぎ、世の中には今と似たような雰囲気が漂っていた時期があったんだけれど、そんな中、『週刊少年ジャンプ』で、「いじめ」をテーマにした漫画が短期連載された(『元気やでっ』っていうタイトルだった)。

先々週と先週、『週刊少年マガジン』に『15の夜 いまいじめられてるきみへ』などという読み切り漫画が掲載されていた。俺は最初、「10年ぐらい前、ジャンプに掲載されていた『元気やでっ』っていう漫画と同じような内容なのかな」ぐらいに思っていた。マガジンはジャンプと比べても、何でもタイムリーな時事問題をテーマにした漫画をやることが多いから。或いは、「尾崎豊の歌みたいな内容でもやるのか?」などとも想像して、読み始めた。

ところが、読んでから驚かされたことは、表題は「いじめ」という言葉を使っているが、実はそれとは違うテーマが核心になっていた。
『アスペルガー症候群』という精神の障害を背負っている転校生が、その障害に起因するコミュニケーション能力の弱さのせいで、転向先でクラスメイトからいじめられるようになるというストーリー展開だった。
結局、障害に理解を得た一人の同級生の努力がきっかけで、最後は本人がクラスメイトの前で勇気を出して自分の障害を告白し、それを知ったクラスメイトはインターネットなどで情報を調べて、彼の障害を理解して、今までのいじめを反省して、翌日には彼に謝罪して、仲良くなるというオチだった。
前編の最後には、どこかの精神科医のコメントが載っており、漫画の中でも障害の特徴が解説されていた。


発達障害


でも、「これは酷い内容の漫画だな!」と呆れた。
読んだばかりの時も何とも形容し難い不愉快さを感じていたが、それが何故なのか、やっと分かった。

何かと言えば、クラスメイトたちが佐藤君に謝罪する場面だ。
クラスメイトたちは、「私たちは貴方の障害のことを知らなかったから、貴方の態度に腹を立てて、酷いいじめをやってしまった。ごめんなさい」などという内容のことを言うのだ。
ちょっと考えれば、酷い逆説に至るが、つまり、その裏を返せば、「アスペルガー症候群ではない人の言動だったら、それが周囲を不愉快にさせているなら、皆から、どんないじめを受けても仕方がない」というふうに受け止められてしまうではないか。
まぁ、「アスペルガーに限らず、未成年の少年少女は罪を知らないから、無意識に残酷なことを言いがち」ということでも訴えているんだろうか?

「いまいじめられているきみへ」というタイトルも、まるで、いじめられている子供の自省を促すように聞こえてしまった。
何だか、「今、いじめを受けている人は、何らかの精神障害を患っているかも知れないよ」とか、「いじめられる方に何か欠陥がある」などといった、変な思い込みを誘う描き方になっているような印象を受けた。

俺個人はこういう感想を持ったけれど、講談社の編集部に苦情は来なかったんだろうか?
2007/02/20 21:20|メンタルヘルスCM:0
 

「生まれてきてよかったと心から思うことができません。」 

読売新聞オンラインの掲示板のあるスレッド。
何気に深い内容なので、紹介がてら、このスレッドで話されているテーマについて、最近、自分が考えていることを簡単に書いてみようと思う。

生まれてきてよかったと心から思うことができません。

概略を説明すると、スレを立てた人は、30代前半の子供のいない主婦と自称している。自分は厭世的な性格で、特に不幸な人生を送ってきた訳ではないが、生きているのが辛い。生まれない方が良かったと思ってしまう。子供を産みたいとも思えません。でも、こんな事を思うのは悪いことだし、とても親不孝だと思うという後ろめたさにも苛まされている。
そんな葛藤を抱えているが、「私と同じようなことを思っている人は、他にいますか?」などという相談内容である。

それに対して、「もっと、大変な状況(障害を抱えているとか、飢餓などで苦しんでいるとか)でも生きている人がいるが、そういう人はそんなことを考えている暇は無い」などと、分かりきった叱咤を書き込む奴と、「私も貴方と同じことを思っています」という同意に大体、二極化している。

先に雑感を書けば、このスレッドを立てた人も含めて、30歳前後の女性が多いような感じがするが、俺もその年齢層だし、「(自分と)似たようなことを思っている奴は、結構、いるもんだなぁ」という印象が強い。

このスレッドを読んで、ここ数日の間に考えたことなのだけれど、そもそも、世界で何億人も信者がいる宗教の開祖とされる聖人は、そういう生い立ちと葛藤の持ち主だっただろう。
悟りを開く前の仏陀(ガウタマ=シッダールタ)は明らかにその典型であったし、イエスにしても、布教活動を始める直前までは、定職に就かず、時々、親元で大工仕事を手伝いながら、ブラブラ暮らしていたんじゃなかったか?
文学者もそうだろう。

逆に言うと、地球上の人間の中に、こういう葛藤を抱える奴が皆無だったら、宗教というものも成り立たなかっただろうし、それはある意味、他の生き物と変わらないということになってしまうような気がする。
つまり、こういう悩みに対して、例えば、「そんなことを考えられるお前は暇人だ。恵まれているが、その有難味が分からない」などという批判を書く人は、そういう先人の偉業、ひいては「人間」そのものの否定に繋がるような気がしないでもない。

それは兎も角、こういうことで悩んでいるというスレッドが立つと、「貴方に読んで欲しい本」の書名を挙げる人が必ず登場する。
件のスレッドの場合、相田みつおだとか、江原啓介だとか、ドストエフスキーだとか、ニーチェだとか、中島義道といった名前が出されている。
が、人に教えられるまでも無く、自分で自身のモヤモヤしたものを晴らしてくれる本を探す人もいるだろう。

飽く迄、俺の場合を書くけれど、俺はここを見たことがきっかけで、以下の本を読むこきっかけになり、長らく自分が抱えていた様々な疑問が氷解したところがある。
最も適切な言葉ではないかも知れないけれど、人間は何のために生かされているのかということについて、だ。
だから、これまでに何度か紹介したことがあるのだけれど……。

オンライン書店ビーケーワン:どうして勉強しなくちゃいけないの? オンライン書店ビーケーワン:利己的な遺伝子

それでも、モヤモヤしたものは晴れない。寧ろ、余計に厭世的なところが濃くなってしまったと思う。
ただ、自分の中である種の考え方・判断の基準が培われたことは、肯定的に捉えている。

つい先程、「地球上の人間の中に、こういう葛藤を抱える奴が皆無だったら、宗教というものも成り立たなかっただろうし、それはある意味、他の生き物と変わらないということになってしまうような気がする。」などと書いたことと矛盾しているように感じられても仕方が無いが、人間も他の生き物と同様、子孫を繁栄させるという目的のためだけに生きていると言っても過言ではない。

ただ、以下は俺の感じ取り方だが、その本質・核心は、一般に思われているよりも遥かに醜いことなのだと思う。

一見、反社会的なこと、様々な親不孝な行為、子供を産まないこと(そうした選択を取る人が増えている結果の少子化)、自殺ですら、「自分たちの子孫を繁栄させる」ための行為だってことが解明されてしまっている。

俺も「生まれてきてよかったと心から思うことができません。」だなんて言っている人々と近い感情の持ち主なのだが、それですら、子孫繁栄のための行為と定義づけられるかも知れない。

しかし、逆に言うと、一見、不道徳と思われる考え方や生き方も自然の摂理に反していないと分かれば、気楽になれる部分もあるような気がしている。

自分の意図を適当に書き表せていないと思うが、また、気が向いたら、色々と書いてみたい。
2006/09/10 03:35|メンタルヘルスCM:0
 

観念論で自殺を批判する人に対する反感 

全国で1年間に自殺する人の数が8年連続で3万人を越えていることが、警察庁のまとめで分かったそうだ。

前々から、このテーマについてもブログで取り上げたいと思っていたけれど、そのことについて、自分の考えをまとめて文章化するのはとても難しかった。だから、いつになっても記事としては書けなかった。
しかし、最近になって、ダーウィニズムを少しだけ知ることで、この問題についても、ようやく自分の意見・主張らしきものをまとめることができたので、少しずつブログで公開して世に問おうと思う。

私は自殺という行為には否定的ではない。先に誤解を防ぐために断っておくが、肯定しているわけでもない。ただ、自殺という行為に否定的・批判的な意見を持っている人の考え方の中に、ある種の反感や異論を抱いているということなのだ。

私個人は未読なのだが、『完全自殺マニュアル』という本が一時、物議を醸していた。アマゾンで読者レビューが掲載されているページを覗くと、やはり件の本の内容も含めて、そのことに批判的な投稿がある。

ひとつは霊的な観点から否定する意見だ。それを要約すると、「あの世は存在する。霊魂は永遠に不滅であり、死んだら無に帰するなどということはありえない。自殺した霊魂は死にきれない自分に気付き、永遠に自殺を繰り返す。霊魂は物質世界へ修行するために肉体を帯びている。この世の人間関係で苦労するのは霊的な修行であり、生まれる前に自分で決めたことである。だから、自殺は絶対に許されない。江原啓之や丹波哲郎の本を読んでみよう」という内容だ。

それはユダヤ教の世界のカバラの概念でもあるが、結論から言うと、「あの世」なんてものは無く、天国も地獄も今、生きているこの世界にしか無いのだ。
こういうレビューを書く人の思考は細木数子のメディア上での発言と同じようなものだろ(『ニートに説教する細木数子の背後には、観念論で労働者を搾取する資本家がいるということ』を参照)。
俺もかつては「あの世」の存在を意識していたから、例えば、『ナニワ金融道』の作者が唱える唯物論に否定的だった。
でも、今は自分の中でそれとは逆の思想が固まりつつある。ハッキリと否定するが、「あの世」なんて無いのだ。そんな観念論があるから、社会から詐欺商法やあらゆる暴力が絶えないのだ。

「この世の人間関係での苦労は霊的な修行」という概念には、家庭内の暴力や教育現場での非行やイジメ、職場での各種のハラスメントも含まれているだろう。
要するに「お前の霊魂は未熟だから・汚れているから、現世でそういう体験をする因果になっているんだよ」という発想なのだ。スパルタ教育の推進者・例のヨットスクールの校長の戸塚宏も同じことを主張していますよ。でも、自分が逆に虐げられる立場になったら、理不尽を訴えまくっているがな!

とどのつまり、「あの世に行けば、現世の苦労が報われるよ。だから、自殺だけは駄目ですよ」っていう思想の押し付けだろ。
俺はそういう観念論には人間の醜い感情や暴欲が凝縮されているような気がするんですよ。

こんなことを書くと、そういうことで自殺を躊躇している人がいるならば、行為を後押ししているように見えるだろうし、来世の幸福を信じて、今日の苦労を耐え忍んでいる人の希望を踏み躙ることになる。
でも、欺瞞を見逃せない俺は敢えて悪になるのだ。何を隠そう、『人類最初の殺人者≪カイン≫』なのだから。
2006/06/03 22:14|メンタルヘルスCM:0
 
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