駄猫の時事放談

このブログの創造主 

kayin(カイン)

代表者:kayin(カイン)
駄猫
メタボ猫
ホワイト・ヘアー・ブッダ(デビル)
白いガチャピン
吊り目のドラえもん
白銀の奇公子
NNC(ネオ・ニート・キャット)
チョイ悪ネコ

社会のあれこれに物申すブログです。基本的に思想属性は、左派リベラルなので、合わない人は注意。

リンクはご自由にどうぞ。
TBは受信を停止中。
バトンはゴミ箱に捨てます。

@メールの宛先はこちら。
kayin20040731★yahoo.co.jp

■姉妹ブログ
駄猫チャンプルー
(休止中)


Edit

最近の記事 

カテゴリー 

最近のコメント 

月別アーカイブ 

ブログ検索 

カウンター 



ブロとも申請フォーム 

この人とブロともになる

日本(セカイ)は美しくなんかない 

秋なので、読書の話題を書くことにしよう。

先日、出掛けたついでに立ち寄った古本屋で買った本。

キノの旅 The beautiful world (11)
キノの旅 The beautiful world (11)

俗にライトノベルって呼ばれているジャンルの小説(俺は「ライトノベル」っていう言葉が嫌いなので、以降では「ジュニア小説」と表記する)。

今でこそ、ジュニア小説の世界は、一般作品と比べても遜色の無い作品・作家が続々と認められているが、昔はゴミのような扱いのジャンルだった。
富士見の『スレイヤーズ』シリーズの作者が、アニメ化で印税を稼いで、長者番付に名前が出ていた頃だって、文筆業の業界では、ジュニア小説を書いていただなんて、実績として認められないどころか、みっともないこと、却ってマイナス評価を受けてしまうこともあったそうだ。
まさか、日本経済新聞社の系列の出版社から、ガイドブックが出るようになるとは想像もしなかったし、そういう時代のことを思い出すと隔世の感がある。

でも、俺も一時期は少し読んでいたが、こういうふうに社会で広く認められるようになってからは、あまり読んでいないです。
元々、評価が高い・人気がある作品を読んでも、自分には何が面白いのか、よく分からないっていうケースが少なくなかった。

特に上の「キノ」シリーズと同じ叢書から出ている「ブギーポップ」(上遠野浩平著)なんか、人気が高くて、テレビアニメなどにも展開して、電撃文庫という、このジャンルの世界ではトップのレーベルを代表しているといっても過言ではないのだが、俺にはあの小説の何が秀逸なのか、ちっとも分からないままだ。
一人称の視点がコロコロ変わり、時間軸をバラバラにして、ひとつの怪奇現象を追っていく話だったが、それを読み進めると、ジグソーパズルが組み合わさっていくみたいに、話が分かってくるところがウケているらしいが、それの何がそんなに目新しくて素晴らしいのか、俺にはさっぱりだ。
この作品のことをピカソの描いた絵に喩えている人がいたが、そういう芸術にも興味の無い俺には、やっぱり話が分からない。

ブギーポップは笑わない
ブギーポップは笑わない

俗にセカイ系って呼ばれているジャンルの草分け的存在らしい(「世界の敵」がどうのこうのっていう台詞がよく出てくる)。

「セカイ系」っていう言葉の意味は、俺がここで詳細に説明するのは面倒なので、お手数ながら、検索で調べてもらいたいが、それを簡潔に説明する主なフレーズをふたつ挙げると、「自分の精神的な葛藤を世界の歴史なんかと結びつけて考えてしまう妄想癖のようなもの」とか、「成長という観念への拒絶の意志」などというものがある。
アニメ・漫画では、『新世紀エヴァンゲリオン』や『最終兵器彼女』などがその典型として挙げられるそうだ。

しかし、俺が今でも何となく読んでいる『キノの旅』のシリーズは、『ブギーポップ』の人気が高かった頃に、同じ新人賞の選考を経て、シリーズ化した物なんだけれど、今の電撃の路線は「ブギーポップ」の人気化で、それと同じようなジャンル主体に定着したところがあるそうだ。

これもそうだという意見の人は、多数派ではないかも知れないけれど、個人的な解釈を言わせてもらえば、明らかにそういう基準で、商業ベースでの出版に至ったのだと感じている。
現に1巻の序章は、世界は美しくなんかないっていう件で始まるからな。

特に1巻の第五話の「大人の国」は、露骨なメタファーで構成されている。

キノの旅―The beautiful world
キノの旅―The beautiful world

小説の概略を一から解説することは端折るが、主人公の少女が生まれ育った国には、「国民は12歳になったら、しっかりとした職業人になるため、『大人になるための手術』を受ける義務がある」という法律がある。
ある旅人と出会ったことがきっかけで、彼女は親や周囲の大人から言い聞かされてきたことに疑いを持つようになって、施術の当日、それを拒否して、殺害される危険に陥ってしまう展開になる。

明らかに「成長という観念への拒絶の意志」の象徴に解釈できるだろ?
今の日本の社会の常識・慣習(要するに、大多数の人にとって、経済力の根拠になる職業人・労働者として成功するかどうかで、社会で敬われるか、軽蔑されるかが分かれる風潮、つまり、米英のここ二百年の国家的繁栄の根拠になっているプロテスタンティズムの価値観に牛耳られている社会)に対する皮肉のように解釈することもできなくもない。

4巻の「ぶどう」の話もそうだろう。
モトラド(大型の自動二輪車。この小説の世界では、それをこのように呼称する)で気侭に諸国を旅する主人公が立ち寄った街で、そこ通りがかった地元の男から色々と説教される話だ。
その台詞がどんな内容なのかというと、主人公の少女の《キノ》が、学校にも通わず、定職にも就かず、ブラブラと旅をしていることへの非難の言葉の数々である。


――人間には果たさなくちゃならない義務がたくさんある。ひとつは仕事をすること。定職に就くことで、他人や国に奉仕する。つまり、社会人としての義務だ。もうひとつは結婚して家庭を持つこと。配偶者を幸せにして、そして子供を産み、しっかりと育て、新しい社会に送り出す。これはもっと根本の人間としての義務だ。旅なんかして、ふらふらして、今の君にこれらが果たせるとはとうてい思えない。異論はあるかい?――

――それと、もうひとつ。
モトラドなんか乗るのも、やめたほうがいいね――

――ああ、モトラドは危険だ。おまけに二人しか乗れない。移動手段としては非常に野蛮で原始的なものだよ。ちゃんとした大人には、そんな家族に不安と不便を強いる自己中心的な遊びは許されないね。車を買って、大切な人たちをしっかりと移動させられる手段を持つべきだ。モトラドで旅なんて、最低かつ最悪の組み合わせだ――


表面的にはこういう台詞だった。読者の中に、もし、この作品を読んだことがある人がいるなら、分かると思うが、その章を最後まで読めば、その男は自由な生き方をしているキノのことを本当は羨ましい目で見ていること、表面的には社会的な義務を果たしていることを誇っているようなことを言いながら、実はそんな人生に疲れていることなど、行間を読めば、容易に察することができる話になっている。

僕がこの小説を初めて読んだのは、もう6年ぐらい前のことになるが、その当時、親の反対を押し切って、二輪の免許を取りに行っていた時期でもあったから、そういう自分の身近なことから、この小説の話は何か心に引っ掛かるものがあって、妙に印象深かった。
なんだか、ウチの親も含めて、今の日本の団塊前後の大人が言いそうな理屈だなとは思う。

キノの旅―The beautiful world (4)
キノの旅―The beautiful world (4)

最近、セカイ系という概念が主流になったジュニア小説がどうして、過去と比べて、広く注目されるようになったのか、その社会的背景が何となく分かるような気がしてきた。

察しのいい人なら、これだけ書けば分かるだろうが、日経の系列の出版社が、こういうジャンルの小説のガイドブックを出した時期って、ニートという時事用語が登場して、従来のフリーターのことも含めて、若い世代の雇用の問題が大きく取り沙汰されるようになった時期と同じ頃だっただろう。
また、そういう世相を反映して、『13歳のハローワーク』などという、ふざけた内容の本が話題になっていた。

また、正社員で就労していて、経済的に安定していても、仕事が忙しいとか、趣味などに没頭して、30過ぎても結婚しない男女が増えている社会現象なども、世代間の助け合いの社会保障制度の継続に支障を来たすという観点で、問題視されるようになっていた。
それで、『キノの旅』の4巻の「ぶどう」に登場する男の台詞のような文句を若い世代に対して言う中高年が増えたのだ。

米帝や英国が近代から現代に掛けて、経済的繁栄を謳歌しているのは、信徒に職業的成功を達成させるための努力を促すプロテスタンティズムの信仰が盛んだった歴史背景があるからだって、マックス・ウェーバーっていう有名な学者によって論証されているだろ。
ずっと前にも、こういうことを書いたが、現代の日本には、それと似たような風潮がある。
だから、『製造業崩壊』の著者なんかはその典型だが、戦後の復興や高度成長を支えてきたような世代の中に、ニートやフリーターが多い世代に異様な嫌悪感・憎悪を抱いている奴が多いのは、そういうことがあるからだ。

話は飛躍して、これはちょっと乱暴な論法になってしまうが、近代の純文学の小説って、ある意味、そんなプロテスタンティズムの価値観に適応できない、天国へ行く切符を手に入れることが出来ない不器用なタイプの人間の生きる支えのような物なのだ。
太宰治とか、芥川龍之介なんかだ。

アマゾンで『13歳のハローワーク』のレビューを覗いたら、こんなことを書いている人がいる。

「村上龍のような作家は、どうやっても、自分の仕事を見つけられなくて、引き篭もったりして悩んでいる人のために小説を書くべきなんだから、こんな内容の本を書いて欲しくなかった」

概ね、こんな意味の投稿だったと記憶しているが、村上龍って、他ならぬ芥川賞出身の小説家だったな。
『エヴァンゲリオン』は登場人物の名前に村上龍のある作品から引用されたり、何らかの関係についての考察が一部で論じられているが、『13歳のハローワーク』みたいな物を書くような奴だから、エヴァの劇場版のラストは、あんなオチだったのか?

俺は今年公開されている新装版は未見だけれど、どちらかといえば、10年前に公開された劇場版のラストには否定的な考え方を持っている(多分、新装版の同じことの繰り返しだと思うが、要するに、あれは「引き篭もりがちなオタク」に対して、外で出ることを強いるメッセージだっただろう)。

10年前、エヴァ劇場版が公開された頃は、日本の社会は金融恐慌で未曾有の不況になって、「失われた十年」の時代で、若い世代は最悪の雇用情勢に直面させられる時期だった。
そこで、本来ならば、精神的な受け皿になるべきものに叱咤されては、立つ瀬がなかろう。

俺の妄想の世界で語ってしまえば、セカイ系とか呼ばれているジュニア小説が、そんなに多く読まれるようになった背景には、既存の文学が本来の存在意義を忘れてしまって、プロテスタンティズムに迎合してしまったところがある現状に失望した読書家がそれだけ多く、今のジュニア小説はその受け皿になっていることの表れのような気がする。

要するに、みんな疲れているんだろうよ。
当の若者も、それに憎悪を募らせている上の世代も、社会に対する義務の重さってヤツにな。

きっと、前の総理大臣とその支持者が連呼していた「美しい国」とやらは、そういうことを国民に押し付ける考え方なんだろうが、思いっきり大声で言い返してやればいいさ。

日本(セカイ)は美しくなんかないんだってな。
2007/10/17 18:00|本の寸評、読書感想CM:1
 

『悪夢のサイクル』(文芸春秋、内橋克人著) 

今日の日本の政治は、先の国政選挙の大敗と後を絶たない不祥事で、現宰相の指導力は失墜、前宰相から引き継いだ改革の継続が疑われている。

とりわけ、郵政民営化に反対した平沼赳夫の無条件での自民復党の決定は、党を割り、政界の再編すら促すかのような気配も誘ってきた。
まぁ、小泉チルドレンの反応は当たり前だろうが。ここで誰もゴネなければ、それほど有権者を馬鹿にした話も無いと思うし。

過去、市場経済の暴走を象徴するものとして、9.11に起こった大きな出来事を少なくとも3つ挙げられるだろう。
今日はそういうことをおさらいするのに、うってつけの本の拙評を書こうと思う。

悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環
悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環

米帝や南米のチリ、アルゼンチン、そして、バブル崩壊後の日本で、貧富の差を著しく拡大させて、社会に様々な弊害を生じさせる結果になった経済政策が進められた歴史、その根拠である経済思想の起源と米帝で最初にそれを訴えたフリードマンという思想家の人物像、それらに批判的な著者が解決の方策を最後の章で披露する構成になっている。

この人はこういうテーマの本を何冊も出しているが、文芸春秋という出版社は著者の意図の良き理解者で、会社を挙げて取り組んでいるんだそうだ。
そういえば、『拒否できない日本』という本を出しているのもココだった。

市場原理主義・新自由主義の弊害を危惧し、日本の将来を憂えていることを標榜する論者は多いが、それぞれの思想はバラバラで、極右、保守、リベラル、左翼、それぞれの立場から提言を出している。
この本の著者はどちらかというと、ナショナリズムと距離を置いている立場だ。

僕は多分、この著者と同じ方向の思想だし、この本に書かれていることには概ね同意している。
特に印象的、我が意を得たりと思ったところは、211〜214ページの「企業は潰れても人は潰れないシステム」だった。
デンマークを除いた北欧諸国でも、1990年代は日本と同じような不良債権問題が発生していたのだが、その処理に費やした歳月は日本の半分にも満たなかった。
日本と違って、問題を出した企業に対して、断固たる清算処置を取ったからなのだ。

じゃあ、1992年頃、宮沢喜一宰相が北欧諸国のような政策を取れなかったのは何故かって言うと、大蔵官僚や銀行の経営幹部の保身に足を引っ張られたということもあるが、日本人は企業に生活を依存する部分があまりに大きいから、簡単に企業を解体することができなかったからだ。
例えば、住宅に関して述べれば、日本の社会は公営住宅の数が少ない分、社宅や住宅手当などといった企業の福利厚生が補ってきた面がある。
だから、会社を倒産させれば、生活が破綻する奴が急増するから、労働組合の抵抗も大きかっただろうし、容易には倒産させることができないのだ。

会社中心に社会が築かれている日本に対して、北欧諸国は個人個人の生活の基盤を企業ではなくて、社会全体で背負うシステムを構築している。だから、大企業の倒産で生活の見通しが立たなくなるような人が続出するような弊害は無く、却って資本主義のルールをダイナミックに適用して、駄目な会社をドンドン淘汰できたのだ。

俺は今まで、何度か折に触れて、『製造業崩壊』という本の内容を批判してきた。

製造業崩壊 苦悩する工場とワーキングプア
製造業崩壊 苦悩する工場とワーキングプア

個人の人生と企業を一蓮托生にする考え方の復古を訴えている内容に疑問を感じたからなんだけれど、こういう意見に賛同する人間が未だに多いところを見ると、日本の未来は明るくないと思うな。

というか、市場原理主義の害毒の説明は分かったものの、この本を読んだ限り、今の日本人はネオリベラリズム(新自由主義)という悪魔との闘争のため、政治的に結束することは難しいんじゃないかって気がしてくる。

例えば、安倍晋三が自著で語っていたように、戦後に成立した自由民主党という政党は、日本を共産主義の魔の手から守りたい気持ちを持っていれば、保守もリベラルも受け入れていた。
「伊藤が死にそうだ。早く次の市長の候補を立てないと、長崎市は共産党の市長に牛耳られてしまうぞ!」
「原爆は仕方が無かった」失言で辞職した久間のそんな発言は、自民党の精神そのものなのだ。
今の日本の宗主国の米帝の方針であるし、満州や樺太への侵攻、シベリア抑留のことなどで、ソビエトに悪印象を持っている人が多いから、日本人は防共で団結することが容易なわけだ。

それに対して、新自由主義という概念に、そこまで敵愾心を持っている人はどのくらい、いるんだろうか?
そして、アンチ・ネオリベラリズムで一つの政党が成立することはありうるか?

この本には大手スーパー・マーケットのイオンの岡田元也社長が大店舗規制法に反対を表明していることを批判的に取り上げられているが、その弟の克也はどうだ?
この人物は元は通産省の官僚で、大店法改正案の内容を知る立場にありながら、届出もせずに身内の不動産会社の役員をやっていたそうだが、まさに村上世彰と「同じ穴のムジナ」にしか見えないんだけれど、2年前の総選挙で、こんな人物が市場原理の害毒を日本社会に流布する小泉改革を批判するべき野党の代表を務めていたことこそ、日本の政治の貧困を象徴しているような気がする。

マイクロソフトという一企業のOSが市場を席巻していることの危険性を指摘し、リナックスの可能性を賞賛しているが、著者が敵視する市場原理主義・マネーの象徴そのもののライブドア・ホリエモンこそ、一時は国内でのリナックスの普及に力を入れていることを標榜していた。

米帝のCIAの支援を受けたピノチェトがクーデターで政権を取った後のチリの経済、フリードマンが勘違いな礼賛を送った経済政策の失敗例が詳述されている。
ここで新風っていう極右政党の公約を思い出したが、アメリカの市場原理経済に批判的なことを標榜していて、「大きな政府」の方針である。
だけれど、ここの政党には昔の民社党関係者が多いそうだが、1973年の9月11日に起こったクーデターを支持したことについて、反省しているという話は聞いたことが無い。

昨今の日本の政治や経済の現状を見ていると、ネオリベから国土と国民を防衛する目的で、防共のような団結が実現することは、ありえないような気がする。

ぶっちゃけていえば、日本は不良債権処理が遅れる原因となった企業中心の仕組みは相変わらず温存され、社会を牛耳っている奴らが各々、自分たちに都合のいい部分だけ、ネオリベ理論を利用しているかの感がある。

もう、尋常な民主的手段では無理、一度、明治維新や60年前の敗戦のような荒療治を経て、国民の価値観をひっくり返さない限り、今の社会を根本的に改めることはできないんだろうなと思う。

他にも思うことはあるが、別の機会に少しずつ書いていくことにする。
2007/09/11 23:44|本の寸評、読書感想CM:0
 

『指輪物語』 

指輪物語・ style=

評論社 (200201)
通常24時間以内に発送します。


遅まきながら、ファンタジーの古典『指輪物語』を完読した。

既に多くの人が指摘しているが、1巻の序章は物語の舞台になる世界の説明が冗長で、匙を投げる人が多いけれど、その後の物語は秀逸の一言に尽きると思う。
今更、俺が解説するほどのことではないのだけれど、この小説の何が特に優れているのか、個人的に感じたことを書かせてもらえば、広い世界を旅する主人公たちの息遣いが行間から溢れていることに尽きるのではないだろうか。
主人公たちがサウロンの使徒に追われる不安を圧して、荒野を旅している間に胸を去来している恐怖や苦痛、疲労感といったものが丹念に描かれている。
同じジャンルで括られている他の作品で、登場人物の旅路について、ここまで丁寧に書き込まれている物は殆ど無いような気がする。それが金字塔と言わしめる所以なのではないだろうか。

この作品のことを第二次世界大戦の寓意的物語などといい、フロドが破棄するために所持した指輪は原爆だという解釈をしている論者が少なからずいるそうだが、著者のトールキンは一貫して、政治的意図は全く無いことを表明し続けている。

しかし、著者自身にはホントにその意図が無いのだとしても、小説という物は、これほど多くの読者を魅了する作品にもなれば、作者の意図を超えて、生命を得てしまう面があるのではないかと思っている。

この小説を読み込むためには、英国の文化に対する理解も問われる部分があるのだけれど、ここで何を指摘したいのかを言えば、英国は占星術の研究が盛んな国でもあるということだ。

この作品が書かれたのは、1937年から1949年にかけてのことだが、天文学の世界では、冥王星が発見されるという大きな出来事が起こってから間もない時期だ。
そして、この太陽系第9番目の惑星の発見者はアメリカ人であるけれど、『Pluto』(プルート)という名前を最初に提案したのは、英国人の少女だった。「プルトニウム」という物質の名称の由来もこれに他ならない。

この小説で描写されている「ひとつの指輪」の力だが、西洋占星術で定義されている冥王星の象意と酷似しているように感じられた。

http://fortune.goo.ne.jp/telunkoi/servlet/UkwIndex?item=telunkoi&ctrl=lecture&lecturecd=16

以上のことから、俺は「指輪=原爆」という解釈もあながち的外れではないような気がする。

そして、ガンダルフという魔法使いのキャラクターは、作中、みだりに魔術を行使することがない人物像は、核やそれに準じる兵器を保有している国に対して、その行使を諌めるメッセージを発しているように見えなくもない。
2007/03/12 20:00|本の寸評、読書感想CM:0
 

『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(城繁幸著、光文社) 

若者はなぜ3年で辞めるのか?
城 繁幸著
光文社 (2006.9)
通常24時間以内に発送します。


最近、書店で平積みになっている本。

「若者はなぜ――」などという著名から、したり顔した年寄が見下ろした視線で書いた内容を想像させらる。が、著者は1973年生まれ、団塊ジュニア世代だ。

昨今、経済格差に関する議論が盛んだけれど、よく持ち出されるのは、旧来の日本社会の慣行を否定する「アメリカ型の資本主義」「市場原理主義」「新自由主義」などと呼ばれる概念に対する批判的な見解だ。
ところが、だ。皮肉なことに、今の若年層から機会を奪い、低い待遇の労働に追いやっているのは、外来の政治・経済思想よりも、実は日本型資本主義のシステムの罪の方が大きいのではないか。
――要約すると、こういうテーマを訴えている一冊である。

年功序列人事制度は賦課式の公的年金制度と同じく、構造的欠陥を抱えている。人口増と経済成長が永久に継続しなければ、途端に成り立たなくなるという短所だ。
バブル期に大勢の社員を抱えてしまった企業は、「年功序列」の看板で、上の世代に保証した賃金・待遇を維持するため、バブル景気が破綻する直前に採用した世代の出世を制限する。更にもっと下の世代は端から正規で雇用することすらできなくなった。
そして、経済的に安定しない二十代三十代の増加は婚姻率の低下に繋がって――。皺寄せを受けた世代は、もっと下の世代に対して、「産まない」っていう皺寄せをやっているから、少子高齢化現象が加速するのだ。
つまり、「年功序列」の恩恵を受ける世代が下の世代に配慮せず、その論理で自己の受益の確保ばかりを図れば、それが制度の土台(ピラミッド型の年齢層別人口グラフ)を歪ませ、その寿命を更に短くするというパラドックスがあるわけだ。
また、バブル景気崩壊後の企業の採用抑制はどんな問題を生じさせているかといえば、単に競争の厳しさにより、能力が劣る新卒者の就業機会の減少という現象だけではない。
狭い門となった選考を勝ち抜いて、採用を勝ち取った奴はプライドが高いが、会社には自分よりも先に入った社員があまりに多く、出世が難しくて、詰まらない仕事ばかりを押し付けられるから、職場が嫌になって、早期の離職に繋がるケースが少なからず起こっている。などという問題もある。

著者の意図は、それらの問題を見てみぬ振りをする既得権益層である世代を喝破することもあるが、自分の同世代や、もっと若い世代に対して、そういう矛盾を明示して、各々が自己の人生について、自分の頭で考えることを促しているわけだ。


この本は、読む人によっては、社会統計的には何の根拠も無い著者自身の主観が感情に任せて、書き殴られているだけのようにも見えるかも知れない。だから、欲を言えば、主張したいことを裏付ける統計データをもっと揃えてから、まとめた方が良かったのではないかと感じました。

でも、日経のような大新聞に大きな広告が掲載され、大型書店の店頭で平積みになるほどだから、広い世代に読まれているだろうな。
この本を読むことがきっかけで、今の雇用の問題について、著者が指摘していることを考える者が増えるなら、それはそれで良いだろうと思う。
まぁ、著者が特に読んで欲しいと願う対象の年齢層の者にとっては、山田昌弘の『希望格差社会』同様、何の希望も見えない、お先真っ暗な読後感になること請け合いだがな!

評者(幣ブログ主)の個人的な意見(?)は、後日に書きたい。
2007/03/07 20:00|本の寸評、読書感想CM:0
 

『製造業崩壊 苦悩する工場とワーキングプア』(北見昌朗著、東洋経済新報社) 

しばらく、更新の頻度が落ちながら、テレビドラマの拙評を続けてきました。どちらかといえば、得意ではないテーマだったので、あまり面白い文章じゃなかったかも知れません。

製造業崩壊
製造業崩壊
posted with 簡単リンクくん at 2007. 2.15
北見 昌朗著
東洋経済新報社 (2006.12)
通常24時間以内に発送します。


さて、今日は書評ですが、これは衝撃的な内容の本だった。

愛知で社会保険労務士事務所と労務管理のコンサルタントを営む著者が、地域の中小の製造業の不安定かつ危機的な実態について、独自の手段も含めた多くの統計データと、聞き取り調査を基に警鐘を発している内容になっている。

愛知といえば、最高益を更新しているトヨタ自動車の繁栄で潤っている地域のように聞こえる。ところが、一部の大手企業を除くと、多くの中小企業は、景気の拡大が長引いているのにもかかわらず、未だに業績の低迷から抜け出せていない。
愛知の製造業界に限らず、大半の日本人が今日の景気について、何となく感じていることが平易にまとめられている一冊だと感じた。

近年、中小企業の経営者が最も頭を抱えている問題は、若い社員の定着率の悪さである。
雇っても3年以内に辞める奴が多いから、人件費を幾ら投じても、技能が腕につく社員の数が増えず、生産性や品質が劣化して、会社の経営を圧迫する。当然、近い将来、定年を迎える社員の後を任せられる人材の不足も懸念されている。
また、バブル崩壊後の長引く不況、経済の構造の激変によって、旧来の商慣習が廃れたことも大きい。ルノーの傘下に入った後の日産自動車とその下請け企業の関係(「系列」「護送船団式」の解体)がその典型だが、コストカットの強要で経営は圧迫され、倒産・廃業に追い込まれなくても、正社員を非正規雇用に置き換えることによって、人件費を圧縮せざるを得なかった会社も多い。
それも技能のレベルが低い従業員を急増させ、やっぱり、生産性や品質を悪くする悪循環の原因になっている。

当然、社会全体へも深刻な影響を及ぼすが、それは収入が安定しないために結婚できない奴が増え、少子化現象の原因になる。一時は厳しいコストカットで好景気を謳歌している大企業にしても、中小企業から納入されている部品を組み立てることで事業を営んでいる以上、悪影響を免れることはできない。大手メーカーの製品の品質は低下して国際競争力は落ちるし、国内は収入が不安定な勤労者が増えているため、消費は減退して、やはり売り上げを伸ばすことが難しい環境になってしまう。
やがて、中国や韓国の企業に追い抜かれ、今は世界でも名立たる企業も外資に買収され、日本の国は衰退してしまう。

こんな感じの警鐘を発しながら、旧来の終身雇用制度や商慣習の良さを強調して、それらへの部分的復旧を訴え、最後の方では、こういう社会を作った大企業や行政、忍耐力が弱く、常識が無い若者やそれを育てた教育や家庭を批判する構成になっている。

個人的な感想を言わせてもらうと、今の日本の製造業の問題や社会の状況(多くの国民が景気回復を実感していない実情)について、概ね正しい指摘をしているのではないかとは思うものの、著者のグローバリズム批判や若者観は「典型的なステレオタイプだな」と冷ややかに感じている。

大体、家庭の躾が悪いから、非常識・我慢が足りない若者が育ったなどと批判するが、元はと言えば、そういう家庭ができたきっかけは、終身雇用が当たり前の時代に、その父母の結婚の世話をした勤務先の上司なんだろ?
森永卓郎の『非婚のすすめ』に書かれていた表現だが、勤労者の殆どに結婚相手を「配給」するシステムが社会で成り立っていた。それで、男は定職に就いてさえいれば、誰でも所帯を持てた、或いは、持たなければならない雰囲気が濃かった。

俺はこのブログで、前回まで、テレビドラマ『女王の教室』の感想文を連載したのだけれど、これを観て感じたことは、子供をまともな大人に育てることって、実は相当の難業なのだということだ。
多分、同じ会社に何年も勤め続けて、仕事を覚えていくことよりも難しいことで、誰にでもできることでもないような気がする。
思うんだけれど、一生独身ないし晩婚が認められないような雰囲気の社会が、結婚に向いていない性格の奴を無理に結婚させたり、相性の合わない男女を安易に結婚させたりするから、夫婦関係が悪いことが原因で子供を駄目な大人に育ててしまう家庭が増えたんじゃないの?
また、父親を労働で長時間拘束し、子育てを母親に任せきりにしたことによる弊害などによって、家庭が崩壊するケースが増えたんじゃないの?
熟年離婚の増加は、そういう矛盾の噴出のひとつの形ではないか。

結婚したくても、経済的なことがネックで希望が叶わない奴がいるなら、それは解決しなければならない問題だろう。
だが、そもそも、少子高齢化という現象が必ずしも日本経済に大きなマイナス影響を及ぼす問題なのかどうかも定かではないし、著者は経営者に社員の婚姻率を上げる努力を推奨することをやけに強調しているが、会社が社員の私生活・結婚にそこまで躍起になるのはどうかと思う。

1990年代の半ばに経済界の重鎮たちが、「勤労者の一生の生活の面倒を会社が事細かに見てやるのは止めようぜ」という方針を打ち出したのは、そうでもしなければ、企業の国際競争力が弱体化して、日本が沈没してしまうからだろ。だから、「団塊ジュニア世代の中で、就職できない奴が多く出たのは、日本の国力のためには、仕方の無いことだった」などと言っている識者もいるわけだ。
善悪は別として、そのリストラクチャリング方針で、日本経済はやっと息を吹き返したわけだろ。

この著者の罪作りなところをひとつ指摘すると、「社員の採用は、新卒に限る」などと言い切っているところだ。
採用は新卒に限っている会社は、中途を積極的に採用している会社よりも社員の定着率が高くて業績が伸び易いということがハッキリと証明されているらしい。何故かと言えば、他に就業経験が無い奴は、何にも染まっていないから、その会社の社風に染まり易いからだ。
でも、この人が指摘するまでもなく、大企業の経営者・採用担当者はとっくにそのことに気付いているから、景気が回復している今になっても、新卒ばかり欲しがっているのだ。
そういう理論は的を得ているのだろうけれど、就職氷河期に新卒で就職できなかった世代の者にとっては、酷な話だと思う。要するに「棄民」なのだ。かくいう俺もその年齢層なので、こういう話には、ある種の反感を感じている。

これは「二律背反だな」と感じたことだけれど、大手企業の理不尽な下請け叩き・コストカットを批判し、規模を問わず、企業の社会的な義務の必要性を訴えるならば、就職氷河期世代のフリーターの雇用問題を看過することも許されないことだと思うんですよ。
そういう主張をする立場の人間は、「どうせ、中途採用は碌な人材を採れないから、新卒採用だけにしようぜ」だなんて、口が裂けても言ってはいけないことだと思う。
そういう理由で中小企業が中途採用を辞めるなら、大企業の理不尽を非難する資格は無いだろ。
この著者のように、そこまで企業にある種の社会的義務を求めるなら、もう、新卒で就職が上手くいかず、不安定な身分の人間が国全体で膨大な人数になっている以上、政策や法で企業の新卒偏重採用方針を矯正しなければならない状況になっているような気がする。

俺の意見だが、旧来の企業慣習、会社に従業員の私生活のフォローを求める考え方には否定的です。また、そんな余裕を奪われる不況の時期が来るに決まっているし、過去の企業に代わって、国や自治体が最低限の社会資本の整備や適当な金融政策をやるより他は無いんじゃなかろうか。

団塊世代の子供以下の世代は、なかなか努力が報われ難い経験が重なっているし、親世代は長年勤務した会社を解雇されるとか、両親の夫婦生活の破綻とかを見てきた人が少なくないだろう。
俺はそうなんだけれど、この著者が唱えている勤労観・人生観などを懐疑的に思う奴が多いかも知れないし、無論、そういう態度を責められる謂れも無いと思っている。

日本の経済を底辺で支えている中小企業・産業界の実態と予測できる危機の詳述はとても秀逸なので、様々な立場の人に読むことを薦められるが、俺個人は著者の主張に賛同し難い箇所が少なくなかった。

製造業は全く放棄しろとは言わないが、今の日本は金融で稼ぐ国に生まれ変わっている。もし、それを成し遂げられなければ、もう、この国の未来は真っ暗だ。
2007/02/16 00:37|本の寸評、読書感想CM:0
 
カレンダー 

08 | 2008/09 | 10
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

DVD、CD 

ぽすれん

このブログのお値段 

賛同 


リンク 

Copyright(C) 2006 駄猫の時事放談 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー 1GB!FC2ブログ(blog) template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.