駄猫の時事放談

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ガソリン価格高騰でクルマが減っているってホントなのか? 

最近、ニュースとかを読むと、「ガソリン価格の高騰でクルマを手放したり、乗るのを控えている人が増えている。クルマから自転車や原付に乗り換える人が増えてきた。渋滞も減った」などという話がちょくちょく載っているけれど、それを書いている人が嘘ついていないんだとしたら、どこの地方の話なんだ?

少なくとも、私が住んでいる地域では四輪車の交通量は減っているようには見えないし、原付やチャリで会社に通う人が増えている気配も無いのだが。
一時間に3〜4本は列車が運行されている私鉄が通っている地域だけれど、やっぱり、クルマが無いと生活が不便なことは多い。

でも、クルマ無しで生活している俺だから言えるんだけれど、やってできないことじゃないがな。

それでもクルマを手放す人はあんまりいないってことは、皆、ガソリンを湯水のように入れられるほど、お金を持っているんだろうな。
俺はまともな企業の正社員で働いた経験が殆ど無いので、間違ったことを言っているかも知れないが、ちゃんとした会社の正社員って、通勤のガソリン代は全額出るんだろうから、ガソリン代が幾ら高騰しても痛くも痒くもないってことだろうか。

俺としては、道路が空いてくれた方がいいから、ガソリン代はもっと高くなったって良いとも思っているところがある。もっと高くして、一人しか乗らないくせに、無駄にデカいクルマは道路から減って欲しいと思っている。

クルマが嫌いだから、こんなことを言っているのではない。
極端な提案を書いてしまうが、クルマに掛かる税金はガソリン以外は全部廃止して、その分をガソリン代に上乗せしたらどうなんだろうか。
燃費の悪い車を長距離乗る奴ほど、負担するような仕組みにすればいいと思う。

あまり乗らない人、生活の必要性で燃費の良い軽自動車を消極的に乗っているような人の負担をうんと軽くするべきだと思っている。

無茶苦茶な意見に聞こえるかも知れないが、俺なりに考えた理由がある。

今、自動車メーカー各社は国内の販売の不振に頭を悩ませているが、格差社会で安い給料で働かされている人が増えているから、そういう負の現象に繋がっているのだ。
でも、どっちかというと俺がそうなんだけれど、クルマを欲しくても金銭的な事情で買うのを躊躇・買えないような人は車両本体価格よりも、定期的に掛かる維持費の方が負担感を重く見ているんじゃないかって気がする。

こういう意見を書く意図をもうひとつ説明させてもらうが、自動車が走る台数は減っても構わないが(寧ろ減った方が良いが)、「造る台数は減らさない方がいい」って考えがある。
理由は単純なことだが、日本の自動車関係の産業が抱える労働者の数はあまりに膨大だから、これが衰退したら、失業がとんでもなく増えてしまうという懸念があるよな。あとは技術の継承や発展の問題もある。

燃費の良い車種を選択したり、保有しても、できるだけ乗り控えるインセンシブが働くような仕組みに、今の自動車関係の税制は変えていかなきゃいけないんじゃないかって考えている。

こういうことを考えたきっかけは、もうひとつ書くと、ある本に書いてあったことを読んだからだ。
今の制度だと、乗っても乗らなくても定期的に負担する税金とかは同じなのだ。だから、乗らないと損する気になって、必要も無いのに乗る奴が増える。それが渋滞や環境の問題に繋がっているのだ。
……こんなことが書いてあったんだ。

あと、車両本体の購入の後は、あんまり金を食わないシステムを整えることは、クルマ離れの若者に興味を持ってもらうための第一歩なんじゃないかと思っている。

こういう記事を書いている俺自身、実はクルマに興味があるのかも知れないな。
2008/08/05 00:29|モータリゼーションCM:0
 

都会の若者はクルマ離れ 

千葉県の幕張で、「東京モーターショー2007」が開催中だが、メーカー各社は「若者のクルマ離れ」に歯止めを掛けることを今年の大きなテーマに持ち上げているらしい。

ご存知のように、ここ数年、日本の自動車メーカーは海外市場での躍進著しいものの、国内市場は低迷の一途、過去最高益を更新している豊田自動車ですら国内販売は苦戦している。

昭和の異常な好景気の時代は、物欲熱に浮かされて、消費者が買い替える周期が短かっただけで、不況が長引いたということもあるんだろうが、それが多少は落ち着いたところで、今は品質・耐久性の高さも手伝って、頻繁に買い換える必要性が無いから、どうしても、過去と比べれば、年間の販売台数は減少するのが道理なんじゃないかって気がする。

ところが、マーケティングのリサーチャーの目には、そんな月並みな分析を提出することでは許されない状況、看過できない社会の変化が浮上してきた。それが、今回のお題の「若者のクルマ離れ」である。

ここのブログでも、前に取り上げたことがあるかも知れないが、昨今は首都圏・都市圏に限ると、特に二十代の男性の間で自分の自動車を保有していない、或いは保有したいという考えを全く持っていない者の割合が増えているんだそうだ(興味深いことを指摘すると、24歳以下の女性が保有する割合は上昇している)。

その原因について、どこでも指摘されていることを挙げれば、無くても生活に困らない環境なら、重い維持費を負担してまで乗りたくないっていう考え方をする若者が増えた。
ITや各種コンテンツ産業の拡大によって、クルマの購入・維持費よりも優先させたい趣味やコミュニケーションのために必要な費用も増えている。
それに、就職したばかりの世代を想定したスポーツカーの開発に、メーカーが力を入れなくなったという要因もあるみたいだ。でも、自分もクルマ離れの一人なので、これについては詳しいことは分からないが。
ましてや、今は所得格差が拡がっている経済情勢で、安定した賃金がもらえる正社員で就職する口が少ない。
やっぱり、企業の業績や上の世代の保身のために、正規雇用を減らして、非正規雇用を増やし、若い世代を冷遇してきた社会を批判する意見が多い。
自分の個人的な意見もそれと概ね同じなので、今更、若者のクルマ離れで国内市場の先行きを不安視していることを言っている企業の幹部や中高年層に侮蔑や反感のようなものは感じている。

でも、こういう屁理屈ブログをやっていると、私は何事も少数意見に興味を引かれるところもあるから、それに対する反論みたいなものもネットで探して読んでみた。

自称、「自動車業界で働いている人」のブログだったが、「格差や雇用が悪くなったから、買えない若者が増えているんじゃない。今の若者はクルマを買いたいというモチベーションが無いから働かないんだ」などという意見が書かれていた。

このブログでも前に同じようなことを書いたことがあるんだけれど、高校を出たばかりの若者が働いて得られる賃金と自動車の購入費用の比率を比べれば、昔――今の20代30代の若者の親世代が若い時期の方が、自動車の購入の敷居はずっと高かった。
それでも、その当時の若者は無理を圧してでも、クルマを買い求めた。クルマに乗っていないと、女を口説くこともできないというモチベーション(デートカー概念)が強かったし、悪く言えば、仲間と遊べないっていう強迫観念も強かったからだ(経済評論家の邱永漢は、そういう雰囲気を世間よりも先に察知したから、自動車株が凄く成長することを予見できたんだそうだ)。

しかし、現在はたとえ、フリーターの賃金でも、昔の若者と比べれば、クルマの購入の壁はずっと容易になっている。それなのに、あえて買わないんだから、若者の間でそういうモチベーションが働かなくなっている。つまり、「下流化」しているのだという指摘なのである(モテない男の中でも、恋愛や結婚を諦めている層の増大とリンクしているかも知れない)。

そういう「若者の下流化」という要因については、一理は認める。しかし、点と点だけを見た早計なところがある考察だと思う。
昔は会社に勤めていれば、毎年万単位の額の昇給が当たり前だったそうだが、インフレ・物価の上昇率だって大きかった。
物を消費しないで貯金に勤しみ、それに金利がついたところで、物価の上昇の方が大きい。
きっと、ファイナンシャル・プランニングだなんて概念も定着していなかった時代だから、細かい計算をする人は殆どいなかったのだろうが、物を消費せず、コツコツ貯金だなんて馬鹿らしい、どんどん遊びに使ったり、月賦ででも欲しい物はどんどん買った方がいいっていう考え方になるのが当たり前の時代だったんだろう。

ところが、将来の保障が期待できる雇用環境が無くなってしまったし、デフレーションが続いている時期に社会に出てくる世代の間では、そういう価値観が引っ繰り返っているということだ。
だから、クルマに限らず、最近の若者の消費意欲は酷く淡白になってしまっている。クルマは買わない、海外旅行にも行かない、酒は飲まない……何でも消費行動は消極的になって、貯蓄志向が強くなってしまったというリサーチ結果に表れているんだろう。

でも、モチベーションについての話に戻すが、今の中高年は加齢や収入増に比例して、一生を通して、高い車種に乗り換えていく楽しさを謳歌してきたわけだろ。
まぁ、不況に入ってから、買い替えを控えたり、生活防衛のために、今までよりもグレードの低い車種に乗り換えるケースも多いだろうがね。

その世代の子供は経済力のある親がそれなりの車種を保有しているケースが多く、学生時代に免許を取得して、同居していれば、個々の家庭によって事情の違いはあるだろうが、借りて乗る機会もあるだろう。
そういう環境で育った世代は、安いスポーツカーを中古か月賦で購入することを出発点にして、クルマライフを楽しんでいくモチベーションが湧き辛いのも道理のような気もする。
まぁ、メーカーが安いスポーツカーを作らなくなったのが先なのか、若者がクルマに金を使わなくなったから、メーカーの方はミニバンや女性向けのクルマばかりに力を入れる戦略になったのかは、四ツ輪に興味の無い俺には本当のところは分からないが。

テレビゲームのRPGで喩えれば分かり易いだろう。
昔、ファミコンのドラクエ2で、「ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺぺぺ……」っていう復活の呪文を入力すると、いきなり、レベル48で万単位の所持金を持った状態でスタートできる裏ワザがあった。
裏ワザとか、改造コードなんかを使って、一度、楽にゲームをクリアしてしまうと、ゼロから経験値をコツコツ積んで、フラグを踏んでいくっていう作業がつまらなくなってしまう嫌いはあるだろう。
経済的に豊かになった社会を築いた世代の子供がクルマ離れする心理って、それと同じことのような気がしないでもない。

大体、今のメーカーは女性に媚を売ったクルマ作りがトレンドになっているんだから、昔の若者の発想のクルマ選びは軟派の武器にならないってことだ。
勿論、そういうことに拘っている若者が今でも一定数はいるんだろうけれど、そういうことって、他人に強制することではないし。

結局、若者のクルマに対するモチベーションが低下しているっていう指摘も的外れではないが、だからといって、企業とか、国とか、そういう社会を築いてきた世代に責任は無いかというと、決してそんなことはないと思っている。

でも、こんな記事を書きながら、密かに恐れていることは、政治が保守に傾いていて、昭和を懐古する雰囲気が強い世の中だから、パラサイト・シングル批判論みたいな考え方をする奴が増えるんじゃないかってことだ。

若者が下流化でクルマ離れしているから、日本の産業・技術の継承など、将来が心配される。何故なら、今までの教育や躾が間違っているからだ。
日本経済の生産性を高く維持するためには、若者がそういうモチベーションを持つようにしなければならない。でも、経済力のある親の元で育てると、ゼロから上昇志向を持つモチベーションが育まれない。
そういうことでも、教育改革がやかましく叫ばれているんだろうが、極端な話、子供はなるべく早く、豊かな家庭環境から引き離して育てなければ、そういうモチベーションを持たないって発想に行き着くこともあるだろ。
カンボジアのクメール・ルージュや、宮崎駿のアニメ映画の世界みたいな社会になっちまうかもね。

こんなことを書くと、妄想だと笑われても仕方がないが、日本の社会は自動車という消費財の扱われた方が異常に見えるから、飛躍した想像をしてしまうのだ。

前も同じことを書いたが、未成年者の非行とか、若者が関係している犯罪のニュースがマスコミで取り上げられると、決まって、何らかの消費財・趣味の世界のせいにする識者・コメンテーター・井戸端会議があるだろ。

テレビゲームのせいでキレやすくなったとか、パソコンやインターネットが悪いとか、携帯電話のせいで、女子高生が出会い系のトラブルにまきこまれ易くなっているとか、ビックリマンチョコのシールのせいで、食べ物を粗末にする子供がいるとか、ファーストフードのせいで、何かの病気が増えたとか。
同じ乗り物でも、暴走族に入る若者がいるのは、バイクに乗せるのがいけないっていう理屈も聞いたことがあるが、何故なのか、この類の議論に四輪の自動車が悪玉に持ち上がった例は無いのだ。

実際、自動車が普及したせいで、家族の仲が悪くなり易い、近所付き合いが疎遠になりやすいってことが科学的にも証明されているというのに、子供や若者がおかしくなったのは、自動車が増え過ぎた社会が悪いだなんていう議論は殆ど聞いたことがないだろ。

クルマの普及が進むと、クルマを利用した犯罪も起こるようになって、モータリゼーションの発達が犯人の特定を困難にしている面もある。
しかし、1988年に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件もクルマを用いた犯罪だった(幼女をクルマで拉致する)が、あの犯人と同じような趣味を持つ奴やそういう世界をバッシングする声は激しかったが、やはり、クルマ社会を批判するような意見は殆ど無かっただろう。

何で、自動車だけ特別扱いなのだろう?
今の日本の社会は、自動車を製造している・売っている会社の関係か、クルマが好きな奴に牛耳られているから、そんな主張はあったとしても、握りつぶされているんだろうか?

こういう変な雰囲気を感じているので、上に書いたような妄想を誘われるのだ。
2007/11/06 20:16|モータリゼーションCM:0
 

自動車大国の黄昏 

今年に入ってから、こういう内容のニュースが目立つようになった。
このブログで取り上げるのも何度目だろうか?


新車販売 国内で不振 売れなくなったのはなぜ?

新車が売れない。戦後最長の景気拡大が続いているというのに、国内の新車販売台数は年々減る一方だ。「マイカー」が庶民のあこがれだった高度経済成長期と比べると、車の種類はセダン、ミニバン、SUV(スポーツタイプ多目的車)など豊富になり、ナビゲーション機能も付いて格段と使いやすくなった。なのに、売れなくなったのはなぜ? 自動車各社に妙案はあるのだろうか。

 ■29年ぶりの低水準■
 国内の乗用車販売(軽自動車を除く)のピークは、バブル経済末期の90年度で、年間590万台が売れた。88年発売の日産自動車「シーマ」は、高級車ブームに火を付け「シーマ現象」という流行語まで生んだ。以後、減少傾向が続き、06年度は359万台(前年度比8.3%減)に。90年度比4割減で、29年前の水準にまで落ち込んだ。

業界の危機感の高まりを反映し、日本自動車工業会が初めて「新車が売れない理由」をリポートにまとめた。「乗用車を新車で買って、5年以内に買い替える傾向が減少した」と指摘。保有期間の長期化と、最初から車を持たない非保有者の増加により、新車が売れにくくなったのだという。  リポートによると、公共交通網が発達した大都市への人口集中と単身世帯の増加で、車を持つ必要性が低下。さらに年収が300万円未満の貧困層が拡大したことがある。だが何より、若い世代の興味や行動の変化が大きいようだ。  ここ数年、20〜30歳代を中心に、将来の収入や家計負担に対する不安がより高まった。自動車各社が最大のターゲットにしている層だが、子どもの教育投資、住宅ローン、税金、金利、医療費などの負担が重くのしかかり、年金制度への不信も強い。消費は、自動車ほど価格が高くなく維持費もかからないデジタル家電を優先させる傾向が強まっているという。車に魅力を感じず、関心の対象は薄型テレビやデジタルカメラなどの新しい製品に流れているようだ。

 毎月の出費も、携帯電話やインターネット接続料などがかさみ、車が敬遠される要因になっているという。



確か12年ぐらい前のことだ。前の経団連の会長、トヨタの元役員の奥田がこんなことを言ったわけだ。

「もう、企業が従業員の生活の面倒を色々と見てやるのは止めにしようぜ。そういう負担を軽くして、国際競争力をつけなきゃ、日本経済は駄目になるぜ」

クルマの国内販売台数の現象の大きな原因のひとつになっている「貧困層の拡大」ってやつは、非正規雇用の急増に他ならない。

前も同じことを書いたが、俺は企業や行政の労働政策を批判しているわけではない。

今の内閣の外務大臣の麻生太郎は、「企業は海外で新しい市場を開拓すればいいのだから、今の日本の少子化は経済に深刻な影響は及ぼさない」などという内容のことを公言していた。
企業・経済界がそういう方針なら、日本人は非正規雇用が増えて、内需・消費が冷え込むのは止むを得ないと言えるのかも知れない。
外需の拡大のために、内需を犠牲にする戦略もありだとは思う。

何に呆れているかといえば、自分たちでその因果関係の種を撒いておいて、今更、その結果――国内販売が不振になっていることについて、頭を悩ませているようなことを公言していることだ。

馬鹿か、お前らは!?

こういうニュースから何を読み取れるかといえば、要するに、最近は「団塊世代の引退」が大きなテーマになっているけれど、退職金をもらって、会社を辞める人は後のことは関係無いのだ。
役員以下、自分たちが在籍している時期だけ業績を守ることを考えれば、後は関係無いって考え方の持ち主の方が多数派ってことだろう。「サラリーマン」「役人」の悪い面と言えるものかも知れない。
だから、本来、その世代が抜けた後を継ぐ年齢層の人材が不足するとか、年齢に応じた購買力を持たない20代30代の急増による販売市場が縮小という難題を後継世代が尻拭いしなければならなくなっているわけだ。
日産を多少は立て直したカルロス・ゴーンだとか、ボッシュ(旧ゼクセル)のドイツ人社長などもサラリーマンの範疇だと思う。

サラリーマン・役人感覚でない真の経営者なら、30年とか、50年先のことまで考えられる奴なら、そんなことはとっくの昔に見越して、こんなにあたふたしないだろう。

下記の書き込みは、2チャンネルで以前、同じニュースを取り上げたスレッドに書き込まれていた内容だ。多分、団塊世代じゃない年齢層の奴が、下流層のチャンネラーを煽るために釣りで書いたんじゃないかと推測しているが、概ね団塊世代の典型的思考の表れだと思う。


469 名前:正月なんてなかった[] 投稿日:2007/01/02(火) 01:49:30 ID:NEFEIhxKO

うーん、維持費がかかるからという意見が多いですが、正直理解できませんね。
我々団塊も少ない給料で家をローンで買い、車を新車で買い、家族を養ってきました。
あなたたちは自分の趣味ばかりに投資して大事なものを見失ってるんじゃないですか?
むしろ借金してでも車を買うべきです。

自動車大国日本の火を消すのは非国民です。



私事を書くけれど、ウチの父親もこういう考えの持ち主だったし、実際、これと同じようなことを言われたことがある。
自営の仕事を手伝っていた時期のことなんだけれど、ある別の口論が発端となって、俺が自分のクルマを買わないことについて、非難されたことがある。
「お前みたいな考え方の奴がいると、世の中の景気が悪くなって、ウチの会社(部品の加工業)にも悪影響がめぐってくるんだよ」などということを言われた。
しかし、元々、俺はクルマに興味が無く、当時の自分の月給でも贅沢過ぎる買い物だと思っていた。
こっちの月給が幾らなのかが分かっているのに、そんなことを強いようとするなんて、酷なことを言う人だなと煙たく感じながら聞いていた。

そういえば、「パラサイト・シングル」をテーマにした本を読んでもある種の反感を覚えたことだけれど、国の経済や産業の活力を維持するために、国民の消費や人生設計を特定の方向へコントロールしなければならないっていう考え方には、リベラリストの俺は否定的なのだ。
でも、ウチの親も含めて、団塊世代以上の年代は、そういう思想を信じている人の方が多数派なんだろうか?

俺は景気の悪い時期に手伝い始めたから、何も文句は言える立場ではなかったけれど、同じ会社で働いている伯父は住宅ローンが苦しいだなんて理由で、会社が最も厳しい時期でも、他の皆より毎月10万余計に給料を持っていっていた。

団塊世代っていうのは、こういう人種が多いのか。だから、バブルが崩壊した後、若い奴の給料や就職口を切り下げたんだと思えてくる。

こんなことを書くと、また、この間のコメントで書かれていたように「自分の不遇を社会のせいにするな」みたいに思われるだろうが、その点については、ウチの親や親類を見ただけでも、団塊世代は戦後日本の経済成長に大きく貢献したことも分からないでもないから、相応の収入・退職金・年金を受け取る権利は主張してもいいとは思う。
「お前ら若造は、俺らが築いた社会で、豊かに暮らせているのだから、黙って安い金で言う通りに働け」と言われても反論できない。

ただ、自分も含めて、今の若い世代は、自分の金の使い方に上から口を挟まされる謂れは無いんだということを言いたいだけだ。

いずれにしろ、そんなに国内市場が欠かせないことなら、自動車大国の看板は下ろす日が訪れるかも知れない。製造業を軽視しても構わないとまでは言えないが、昨今、農産物や素材の価格相場が高騰しているのを見ると、工業製品の輸出は相対的に稼げなくなっていくに違いないから、日本経済は金融と二足の草鞋になっていかざるをえないだろう。

どのみち、新卒に偏った採用・人材育成の企業風土を変えられない社会ならば、就職する機会を失った層を救う道は殆ど無いから、消費だって伸びない。もう、これからの日本経済は外需の片翼飛行・片肺呼吸で回していくしか無いんじゃないだろうか。

でも、今の世の中、何か不振なことがあれば、他者のせいにする奴ばっかり、って気がする。

自動車業界は、販売台数が落ちている原因は、「子供の教育費用、社会保障への不信、クルマよりも家電を欲しがる消費者心理」のせいなどにしている。
きっと、それが家電業界だったら、各企業の経営者は「クルマや子供の教育費用」などのせいにするだろう。
不動産屋は物件が売れなければ、「最初からマイホームを諦めて、収入は子供への教育とか、消費財(クルマ、家電)の購入に充てている人が増えているのではないか」などということを言うだろう。
政府や少子高齢化を気にしている人の中には、若い人が結婚しない・子供を産まない理由を「クルマや家電などの趣味に自分のお金を使いたい我侭な奴が多くなった」などと決め付けている奴もいるだろうし。

【自動車大国】日本の火だなんて、守る甲斐はあるのかと訝しく思っている。
安倍晋三宰相の所信演説にもあったが、日本も今後はバイオ燃料で走るクルマの生産が主力になるんだろう。
最近の穀物価格の急騰は何を意味しているかといえば、食料となる穀物以外の雑草からエタノールを抽出する技術は今のところは無いってことだ。
このままだと、2020年までに、今の世界の飢餓人口は8億から12億、今の1.5倍に急増するって言われている。
大きな戦争の火種になるだろう。

日本人も世界の食料を燃料に燃やして走るクルマを乗る奴が多くなれば、飢餓の国から凄い反感を買うだろうから、今以上に国際貢献をしなければならないし、若者を異国の戦場に送らなければならないことだって増えてくる筈だ。
ここ最近、書いたことの繰り返しだけれど、憲法改正議論はそういうことのためなんだろ?

馬鹿が!

子に、孫に、そういう過酷な未来を用意してしまっているというのに、何が消費拡大だ? 何が少子化対策だ?

ふざけるなよ。

そんなグロデスクな世界の現実を「美しい国」などと、そんな奇麗事ばかり聞かされていると、虫唾が走るんだよ。
2007/05/08 20:00|モータリゼーションCM:3
 

自動車の販売台数が減少していることについて 

半月くらい前のニュースだが、気になったので、取り上げてみたいと思います。


景気に取り残される車、国内市場は07年も前年割れへ−競争力に危機も

12月30日(ブルームバーグ):国内の景気拡大が戦後最長記録を更新する中、自動車はその波に取り残されている。今年の新車販売は1986年以来の580 万台割れ、来年はさらに570万台も下回って85年以来の低水準になることが見込まれているほどだ。メーカー各社はてこ入れ策に乗り出しているものの、今のところはっきりした効果は見られない。このまま低空飛行が続けば、日本の自動車メーカーの競争力低下につながりかねないとの指摘も出ている。

  日本自動車工業会が21日公表した今年の国内新車需要見込みは、前年比 1.9%減の574万2600台と2年連続の前年割れ、86年(実績570万8152台)以来の水準にとどまる。このうち軽自動車は各社から一気に11もの新車が投入された効果とガソリン高も追い風となって、同4.8%増の201万7000台と初の大台乗せが見込まれている。その一方で登録車は、排ガス規制強化に伴う代替需要があったトラックが快走したものの、乗用車の落ち込みまではカバーできずに同 5.2%減の363万5000台と3年連続の前年割れを余儀なくされる。

  自工会の07年見通しは同2.0%減の563万3000台と、さらに落ち込むとみている。その理由として自工会では、ガソリン価格の落ち着きや新車投入が通年並みになることで軽が4年ぶりの前年割れが見込まれるほか、登録車ではトラックが前年の代替需要の反動が生じるためとしている。

メーカー首脳の困惑

  07年も水面下、しかも85年(実績555万6878台)以来の570万台割れという状況にメーカー首脳も困惑している。マツダの井巻久一社長は「正直言って分からない」と本音を漏らす。またホンダの福井威夫社長は「近所を歩いてみると、これまで2台持っていたところが1台に減っているところが目につく」としたうえで、「ガソリン高や道路事情など車が使いにくくなっている。それに車自体が良くなっているので買い換える必要がなくなっているのではないか」と話す。

 トヨタ自動車の一丸陽一郎専務は「薄型テレビや住宅などとの競合で、車を買う優先順位が下がっている。それに車本来が持つ、乗る楽しさや走る楽しさが少なくなったこともある」と反省する。一方、初の大台乗せが確実な軽だが、大手には危機感はある。「軽市場は良いといわれているが、ダイハツはシェアを落としている」とダイハツ工業の神尾克幸副社長は語る。実際、軽を販売している7メーカー中、11月までの累計販売でシェアを落としているのはダイハツとスズキの大手2社だ。しかも神尾副社長は、同社の軽量販モデル「ミラ」でも「80 万円台のモデルでは利益が出ない」と打ち明ける。



俺はこのブログで、このニュースを知ったのだけれど、ちょっと驚いている。
ハッキリ言って、メーカーが人件費を厳しく抑制してきたのは、海外での競争力を強くしたいからに他ならないからだ。なので、国内の市場・売上はある程度、捨てていたのではないかと思っていたのだ。
ところが、このニュースを読む限り、各メーカーの経営者たちは決して、国内市場を軽視していたわけではないと感じられるのだ。

2チャンネルの該当スレッドなどを読むと、豊田自動車の奥田を筆頭とする経済人の無神経さを叩く書き込みが洪水のように溢れている。
要するに、労働法の規制緩和を推進するように政府に圧力を掛けて、正規雇用を減らして、クルマを購入・維持できるだけの経済力を持つ消費者を激減させたのは、他ならぬ自動車メーカーの経営者たちだ。それで、国内で自動車の販売台数が低減している理由が分からないなどと嘆いているから、失笑を買っているわけだよ。

だが、単に惚けて、そんなことを言っているわけでもないような気がする。それだけなら、俺がわざわざ、このブログで取り上げる必要の無い話だ。

経済評論家の邱永漢の著書に書かれていたことを思い出す。この人は株式投資の評論家としても有名だったそうだが、過去の高度成長期に自動車産業がかなり伸びることを予見していたと自称している。以下は記憶があやふやなので、少し間違っている部分もあるかも知れないが、「月給の百倍ぐらいの価格でも、自動車を欲しがっている人が多い様子を見て、私は自動車メーカーの株価が――」などという話が書かれていたのだ。

何を指摘したいかといえば、今の自動車メーカーの経営者の消費者に対する認識は、過去の高度成長期のイメージをそのまま引き摺っているのではないかということだ。
邱永漢の著書を読んで感じたことは、40年ぐらい前も勤労者の多くは貧しかったけれど、自動車という文明の利器は、無理をしてでも手に入れたかった物だったということだ。
だから、メーカーの経営者たちは「今の若い世代だって、正社員で就職できず、収入が不安定でも、クルマを買う金は出し惜しみしないだろう」と高を括っていた面があるのかも知れない。

それにしても、皮肉なことだな。過去、この国で自動車が急速に普及したのは、「いざなぎ景気」の時代だったけれど、その「いざなぎ景気」を上回る戦後最長の現在の景気拡大期に販売台数が減少し続けているのだ。

色々と思うこと・考えていることは多いが、長い話になるから、後日に譲る。
2007/01/13 20:00|モータリゼーションCM:0
 

危険運転の撲滅や交通事故の多発問題の根本的解決は、「脱・クルマ社会」しかない 

飲酒運転のドライバーのせいによる悲惨な事故が後を絶たないこともあって、危険運転致死傷罪などの刑罰の再強化を求める声が大きくなっている。

日本のモータリゼーションが抱えている課題は、大きく以下の三つに分けられると考える。

危険運転によって事故を起こしたドライバーに対する罰則が軽いという問題。
交通事故の被害者に対する補償の問題。
交通事故を未然に防ぐ、件数を減らす対策をしなければならないこと。

認知症を患っている高齢者が運転するクルマが、大きな幹線道路の反対車線を逆走することが原因の事故も増えているらしい。
この間はテレビのニュース番組で、認知症を抱えた高齢ドライバーの問題が取り上げられていた。どこの自治体なのかは失念したが、運転免許証を返上した高齢者に対して、タクシーの利用料金が一割免除される特典を与えて、認知症の高齢者ドライバーが起こす事故を減らす取り組みのことが取り上げられていた。

警察庁は高齢ドライバーに簡易検査を義務付けるよう道路交通法を改正したり、機能が低下している高齢者に対して、運転技術の指導も行っていくなどという対策をやるだなんて公言しているが、俺は焼け石に水と言うか、今日の日本社会が抱える問題の根本を変えない限り、大幅な効果は上げられないだろうと冷ややかに見ている。

認知機能が低下している奴は運転免許を剥奪される決まりになっている。
だが、それが守られていないのは、特に地方では、公共交通機関が貧弱だから、クルマを所持して、それを運転できなければ、生活が成り立たなくなっているという社会の構造が何よりの原因だと思う。
タクシー代を少々、補助するくらいでは、地方の年金受給者の免許証の返上を大幅に促すことなど無理だと考えられる。

この前も書いたことの繰り返しの部分もあるが、まず、意図してモータリゼーションを加速させる一方で、鉄道を廃れさせる方向へ誘導してきた政治の負の遺産だろう。そして、それを推進した政治家を選挙で選ぶ国民は、豊かさの象徴として、クルマを欲しがった。
それで、今日の経済繁栄が成り立っているけれど、結果として、弱者(経済的、身体的な事情で、クルマを所持・運転できない層)に冷たい世の中になったというわけだ。
しかし、昔はクルマ無しで生活するのが当たり前だった。だから、クルマを所持できない人間のことを「弱者」と呼ぶのは、適切ではないという見方もできる。それに、上にも書いた通り、多くの国民がそういう政治家を選び、そういう経済生活を望んだのだから、政治を批判するのは筋違いとも言える。

別の言い方をすれば、危険運転で人を轢き殺した奴には、二度とハンドルを握らせたくないという考え方がある。でも、仮に危険運転致死傷罪で処分された前歴の持ち主が免許を持つこと厳しく制限する法を整備したとしても、その加害者が地方に住んでいれば、「地方では、クルマが無いと生活できない。免許を再取得させろ!」などという主張を憲法で保障されている生存権を根拠に裁判で訴えるかも知れないってことだ。

だが、いずれにしろ、危険運転のドライバーのせいで、理不尽に命を奪われたり、怪我をする不幸な人間を減らすためには、クルマを減らすというか、クルマが通行できるエリアを厳しく制限する法を整備するしか無いと思う。罰則の強化は、それはそれで必要なことだけれど、それだけでは事故を減らせないだろう。

先月、埼玉県川口市で保育園児らの列に脇見運転のライトバンが突っ込んで、4人の子供が死亡、17人が重軽傷を負うという酷い事故があったけれど、そういう事故の心配をせずに、子供に外を出歩かせることができない社会は、革めなければならないと思う。

以前、紹介した下記の新書では、街の歩行者の安全を確保するためのアイデア――海外で効果が上がっている実例が幾つも紹介されている。

クルマを捨てて歩く!
杉田∀錙銘・糧lt;br />講談社 (2001.8)
この本は現在お取り扱いできません。


でも、それが推進されるかどうかは、国民の意識次第なのだ。繰り返すが、多くの国民がそういう政治家を選び、そういう経済生活を望んで、今日の結果があるわけだ。
それを変えるには、「教育改革」並の時間――少なくとも30年以上は掛かるだろうけれど、残念ながら、生活や仕事のためにクルマに乗るのが当たり前になってしまった意識を変えることは、とても困難だと思う。
2006/10/16 06:21|モータリゼーションCM:0
 
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