駄猫の時事放談

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音楽は絞り込めないこと 

ある店に冷やかしで入っていたら、聴き覚えのある音楽が流れていた。
それは数年前、クラブで耳にしたことのある曲で、どんなCDに収録されているのかが分かれば、また聴きたいと思っている曲だった。ところが、曲のタイトルなんて分からないので、探しようが無いのだ。
音楽という趣味は、自分の欲しい情報を探すのが難しい。
これが漫画とか、ゲームとか、小説とかだったら、ジャンルとかで情報を絞り込んでいって、目的のタイトルに辿り着くことができるけれど、音楽の場合はそれが難しいんだよ。
リフレインされている歌詞のインパクトが強いので、その部分を試しにググってみたんだけれど、それらしき情報にアクセスすることができなかった。
曲のタイトルも、歌っている奴の名前も、作曲家・作詞家も分からない音楽を調べる方法って無いのかな?
2005/03/29 12:15|雑記、未分類、その他の話題CM:0
 

ベルセルク 

ベルセルクっていう漫画の単行本の最新刊(28巻)を読んだんですが、前ほど面白くなくて、不満が溜まっている。

中世末期の欧州(まだ、騎士階級は現役だが、火砲が戦争で実用化されているような時期)を模した架空世界を舞台にした骨太のファンタジーで、俺は8年前にテレビアニメで知って以来のファンなんだけれど、ここ1〜2年ぐらいは、前ほどの精彩を欠いているように感じるのだ。
元々は人の心の弱さとか、人間と魔の絶望的な力の差を前にして、登場人物の足掻きや葛藤を深く描き込んでいるところが見所だった。ところが、最近――魔女と会ってから、トロールを退治しに行く話の辺りから、安っぽいゲームチックなネタが目立つようになって、興が醒めるようになってしまった。

ひょっとして、違う人が物語を考えているのか?
そんな訳ないが、そう勘繰りたくなる物足りなさを感じている。

ベルセルク 28
三浦 建太郎著
白泉社 (2005.3)
通常24時間以内に発送します。


しかし、アマゾンのレビューは訳が分からない。新しい方の巻のページに、どう見ても、古い巻に対する内容としか思えないレビューが掲載されている。どうなってんだ?
2005/03/28 12:14|漫画、アニメCM:0
 

日本が諸国に分割されてしまう危険 

大韓民国が「過去の歴史犯罪」を外交に持ち出して、竹島を自国の領土であることを既成事実化してしまおうとしている。
自衛隊も日本の安全を保証するために駐留している筈の米帝軍も、近隣諸国の領土侵犯に対して、限定的にしか機能していない。何故、海上自衛隊は艦砲で威嚇するぐらいのこともできないんだろうか?

中国もそうだけれど、何度も繰り返されている抗議外交は言い掛かりでしかないのだ。
先の大戦は日本にとっては仕掛けられて、止むに止まれずに行われた防衛戦争なんだけれど、そのことは戦勝した連合国軍の司令官マッカーサーだって、ハッキリ公言していたじゃないか。
半島の「支配」だって、当時の日本政府は乗り気じゃなかったそうじゃないか。
そのあたりのことについては、ここに長々と書くよりも、下記の考察サイトを参照してもらった方が分かり易い。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/nikkan4.html

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/index.html

世間の関心がライブドア、フジテレビ、ニッポン放送に逸れている最近、とんでもない立法が通されようとしている。


サルでも分かる?人権擁護法案

もし、この法案提出が可決されてしまえば、上記の歴史考察サイトのような内容のWEBページは真っ先に圧力で末梢されるだろう。
でも、日本の社会には我々が想像している以上に、反日の勢力が深く食い込んでしまっているのかも知れない。ここ数年、政治がやったことと言えば、米欧の外国資本に日本の優良な不動産や企業を叩き値で売り渡す施策でしかなかったし、外交問題は弱腰だし、国益に反することばかりじゃないか。
「漂流」するのは、フリーターばかりじゃなくなってしまいそうだ。

このままでは、18世紀のポーランドみたいに、諸国に分割されてしまうかも知れない。

現代において、国が存在しなくなるというのは、単に王家の血筋・皇統が絶えるとか、地図上から消えてしまうという意味ばかりとは限らない。
日本人は誰でも職と住む土地を奪われる危険に晒されるようになったり、何かを表現する自由を奪われたり、そういう形になりそうじゃないか。

かわぐちかいじの『太陽の黙示録』 の話なんかは引用しないよ。件の漫画は人間ドラマは兎も角、シミュレーション的なことは二流なんじゃないかと個人的には思うから(他の作品にしても、経済や科学についての考察は……、と感じる)。

でも、名実ともに米帝の属州になり下がるのも、ひとつの選択肢だとは思う。また、シナや半島両国が過去の戦争責任を持ち出してきたら、アメリカの外務省にでも庇ってもらうという案はどうだろうか。
2005/03/19 12:06|外交、安全保障、軍事CM:0
 

エア・フォース 

昨日、『NHKスペシャル』をちょっとだけ観たんですが、今年は東亜大戦の敗戦から60年目という節目だからなのか、東京大空襲のことを特集した番組が放送されていました。件の爆撃作戦は、三月十日に敢行されたから、これも今週でちょうど60年目ということだ。
その当時、実際に下町で地獄を経験した人のインタビュー(空襲で燃える街とかを絵に描いていた)の後、図表を交えて再現シミュレーションみたいなことをやっている場面があったのだけれど、何とも表現し難い抵抗感を感じてしまった。
最後まで観たわけじゃないから、多くは書けないんだけれど、「データ」を分析して、避難民がどの経路で逃げたとか、動かなかったとか、そんなことをやっていた場面(この辺で観るのを止めた)は、仮にもし、これが「トリビア」な扱いに留まっているんだとしたら、やや疑問に感じる。
上手い表現方法が見つからないのだが、この前の「フリーター漂流」に出ていた、NIKKEN総業の人材開発部の部長(スタッフのことを「弾丸」呼ばわりしていた男)と似たような感性なんじゃないかとかいう邪推もしてしまった。

でも、国や企業を実際に動かしている人間の感性は、そういう感じのことが当たり前なんだと思う。
個人の平和な生活など、二の次どころか、無視なのだ。

だから、この空襲作戦を立案・指揮した米帝のエア・フォースのルメイとかいう将校が、日本国政府から勲章をもらえるような、訳の分からないことが通っているのだ。
「東京の下町の民家は、兵器の部品製造を分担してやっていた。我々は民間人を殺したのではなくて、軍需工場を破壊した。」
ルメイ将軍はこういう意味の屁理屈を自伝に書いて、自分を正当化しているそうだが、解釈次第では防衛産業の裾野は広いのだし、兵士を産み育てた母親だって、罪の無い非力な女性ではなく、制裁を加える対象になるのだ。
仮にそうだとしても、皆が皆、好き好んでそういう仕事を選んでやっていたわけではないんだから、あまりな話だと思う。
この軍人は広島・長崎での「原爆投下実験」にも関っていたそうだが、この間の寝屋川事件の出っ歯の馬鹿餓鬼の万倍は極悪人だ。
だいたい、「軍需工場」を破壊する・戦争の早期終結が目的ならば、先に都民の避難路を塞ぐような爆撃の仕方をする必要なんかないじゃないか。

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-kusyu.t.htm

過去の空爆のことは、何もアメリカばかりじゃなくて、国民を守らなければならない日本政府・軍だって、敵国の残虐行為を消極的に認めていたふしがある。
戦時中、都内の博物館では空襲に見舞われる前に、所蔵物を安全な場所へ運び出す指示が出された事実があるし、広島の原爆投下だって、事前に無線かラジオで作戦計画を察知していた人間が幾人かいたのだが、それを軍が箝口したのだ。
少しでも侠気があるなら、市民を避難させるべきじゃないか。

その一例

とどのつまり、企業の経営者とか、議員とか、役人とか、社会を動かしているような階層の人間の大半は、日研総業の「弾丸発言」の部長やルメイ将軍のような感性なんじゃないかな。

もう、卒業式のシーズンだけれど、今年はどういうわけか、教育現場での君が代や国旗掲揚の指導の強制の是非に関する話題が少ないような気がする。ライブドアとフジテレビのラジオ放送局買収攻防騒動や、西武の不祥事のことで、世間の関心が逸れているからだろうか?

以前、「武力行使してでも北方領土は取り戻すべき」みたいなことを書いたことがあるから、こんなことを言うと、矛盾しているように感じられるかも知れないけれど、私は「愛国心」の強要にについては、そらぞらしく感じている。
「国のためだ。鬼畜米英を殺せ」とマインドコントロールされて、軍需労働を強いられたら爆撃の的になったのに、戦争が終わった後、自分たちの同胞を虐殺した軍の大将に勲章を与えているし、今ではかつての敵国が他の国で自分たちの国土に対してやったような残虐行為を行っているが、それを手助けしようだなんて言うのだ。

数ヶ月前、兵器の輸出の解禁の是非について、議論が目立つようになったけれど、ルメイ将軍の理屈が他でも通用するなら、将来、三菱重工とか東芝とか日本製鋼所の工場がテロルの標的になるかも知れないじゃないか。
その裾野産業を含めれば、日研総業みたいな人材屋が請負で入っている会社もあるだろう。

人の痛みの分からない奴、私利私欲のことばかりの奴が指導者層に座って、社会を動かしていて、その建前のために「愛国心」を用いようとするなら、「日の丸・君が代を強制するな!」と激昂する教育関係者や識者がいるのはしょうがないことだ。

「君が代」についてのコラムも近々、書こうかと思います。
2005/03/07 11:42|外交、安全保障、軍事CM:0
 

君が代について、軽視できない日本語の問題 

卒業&入学シーズンの只中である。
昨年や一昨年に比べて、騒ぎが目立たなくなっているような感があるけれど、教育現場では国歌斉唱の強制の是非をめぐって、議論が絶えない。
まずは今一度、歴史背景を大雑把に振り返ってみることにしよう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3

歌詞自体の発祥は平安時代にまで遡ることができるけれど、正式な国家を合唱する目的で旋律がつけられたのは、明治時代になってからのことなんだそうだ。
“和歌”としての「君が代」の「君」の字は、国語辞典で引いた通り、広い解釈ができる。日本の天皇を含めて、国家元首を意味する敬称であると同時に、配偶者を呼ぶこともあるし、男性が同輩・後輩に対して呼びかけるための言葉でもある。
また、皮肉なことだけれど、遊女に対する異称として用いられることもあった。例えば、豊臣秀吉の側室に淀(織田信長の姪で、浅井長政の子女)っていう女性がいたのだけれど、“淀君”っていう呼び方をされることが多いじゃないですか。これは淀と対立している勢力の人間が嘲りの意味を込めて用いた呼び方で、徳川が豊臣を滅ぼした歴史過程で定着してしまったようなものなんじゃないかと思う。
女性の名前に対して、“君”をつけることは、蔑称になるんだそうだ。だから、現代でも、女性の名前を君付けで呼ぶ奴がいたら、失礼なことなのだ。

でも、いずれにしても、昔は「君主・天皇」を表す言葉ではなく、尊王色なんか殆ど無くて、恋人を意味していたそうだ。江戸時代の頃だと、この歌は庶民が一般的な祝いの席――婚儀で祝いの歌として、歌われるようになったそうだ。要するに、「君」は新郎を意味していたわけだ。

つまり、元々は帝王の威光を讃えるための歌じゃなかったってことだ。

問題は明治時代以降のことだ。薩長が江戸徳川政権を倒して、新政府を打ち立てた時、英帝から招聘した軍事顧問の進言があって、国歌を制定する必要性を認めたのが始まりだった。
現代、歌われている国歌に旋律がつけられたのは明治13年(1880年)のことで、宮内省雅樂課の奥好義のつけた旋律を雅楽奏者の林廣守なる人物が曲に起こした。

ここで指摘する問題は、その旋律のことだ。
もう、10年以上前の物だけれど、軽視できない新聞記事を保存している。
それはある読者の投稿だったのだけれど、要約すると「『君が代』のアクセントはおかしい」という指摘だった。
「君が代」の「きみ」のアクセントは、「天皇、王侯君主、恋人、新郎、遊女」を意味する「君」という意図で歌うのだったら、「き」が低くて「み」が高くなっていなければならない。
ところが、実際はそれが逆になっていて、「き」が高く、「み」が低くなっていると、全く異なった意味になってしまっているというのだ。
日本語の法則として、「き」が高く、「み」が低くなっている「きみ」という言葉を漢字で表記すると、「鬼魅」という、恐ろしい言葉になってしまうのだ。

もし、それが本当だとしたら、教育現場とかで歌われる歌曲として、大きな欠陥があると言わざるをえないじゃないか。
現代語訳すると、「君の御代は、いついつまでも、細石が大きな岩にまでなり、その岩が苔生すときまで続きますように」ということになるそうだが、その「君」がそのまま、「魔物」になってしまっている可能性が高いのだ。
つまり、我々は知らないうちに、自国の歴史や未来を呪詛することを強いられてしまっているんだな。

だから、軍国・国粋をイメージさせられるという意味とは異なる意味で(寧ろ、他の立憲君主国の国歌と比較しても、「君が代」は“君主の威光を讃える”色は少ないらしい)、こういう国歌が強制される風潮に危惧を感じざるをえない。
皆がこういう歴史背景・正しい日本語の知識を知って、早急に作り直すか改編すべきなのだ。

トンデモな陰謀論になってしまうけれど、そうしたことを考えると、曲を作った人物、或いは明治新政府を樹立した倒幕勢力は、組織ぐるみで反日勢力の手先になっていたのかも知れないな、などと勘繰ってしまう。

また、日本人という民族は、言語に鈍感なのかも知れない。
そのことについて、更に書いてみたいことがあるけれど、長くなるので、次の機会に送る。
2005/03/02 12:11|皇室、国歌CM:0
 

京都議定書と政府・世論の矛盾 

今朝の朝刊に政府広報の広告が載っていて、「京都議定書が発効されるので、皆さんCO2の削減のために努力しましょう。環境に優しいクルマや家電を選びましょう」という旨が書かれていた。

その一方で昨今、行政は若年層のフリーター・無業者の雇用対策も行うようなことが報道されている。
(ニートは論外として)何故、フリーター増加を放置しておくのがマズいのかと言うと、フリーターの生涯収入は正社員の四分の一だから、消費が細って、経済に深刻な打撃を与えることになるから、なんだそうだ。

公にされている政府の方針に矛盾を感じるのは俺だけか?
個人消費に依存するところが大きい景気浮揚を目指しながら、環境破壊を食い止めようだなんて、両立するんだろうか?
「環境に優しいクルマや家電」を買うことにしたって、今まで使用していた非エコロジーなアイテムを処分するとなると、環境に害じゃないか。
僕は2ストのバイクに乗っているから、ホントは大声で偉そうなことは言えない立場なんだけれど、エコカーに課税する諸々の税金を普通のクルマの十分の一くらいに優遇でもしないと、協力者が伸びないんじゃないかと思う。
今現在、「環境に優しい車種」の売り上げの伸びや、全体に占めるその割合がどの程度なのかを知らないから、深くも論じられないが。

とにかく、そういう意味で考えると、低所得者の増加は環境にとってプラスってことなのだ。
そうじゃなければ、英国人みたいにとは言わないが、これからの日本を支える労働者に「古い物を大切に長く使って、消費を最低限に抑える豊かな生活のしかた」を躾けなければならないってことだ。

法律や条約の決め事ばかりで、精神が入っていない議論ばかりが繰り返されているような印象がするのだ。

京都議定書については、どの程度の実効が上げられるのか、疑問視している。
変な喩えになるかも知れないけれど、米帝の批准拒否は、第一次世界大戦の後、彼の国が国際連盟に加盟しなかった過去の歴史を連想させられる(米大統領が提唱したものの、国内の反対が大きくて、加盟できなかった)。
それと同じで、こういう国際条約に将来の不幸を避けるための抑止力があるのかどうか、甚だ疑わしいじゃないか。
2005/03/01 11:40|環境CM:0
 
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