駄猫の時事放談

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『クルマを捨てて歩く!』(杉田聡著、講談社+α新書) 

日本の社会にクルマが増え過ぎたことによって生じている弊害を分かり易く説いているのだが、かといって、「多少、生活や経済効率が不便になっても、クルマは減らさなければならないぞ」という警鐘ばかりでなく、寧ろマイカーを持たない、クルマを利用しない生活の快適さや経済性について、どこかユーモラスに感じさせられる文体で論証を進めている内容です。
子供を持つ家庭人の立場から、交通行政に対する提案も述べている点も、この本の大きな特徴です。

クルマを捨てて歩く!
杉田∀錙銘・糧lt;br />講談社 (2001.8)
この本は現在お取り扱いできません。

まぁ、私はこういう本を読まなくても、クルマやバイクが碌でもない文明の凶器だという事実はとっくに分かっているのだけれど、何が興味を引かれたかと言えば、この著者は北海道の帯広に妻子と一緒に30年以上も住んでいるのだけれど、マイカーを持っていないということだ。
北海道で暮らすなら、クルマが必要だ・無ければ生活できないという話を聞くんだけれど、この杉田先生一家はどうやって暮らしているんでしょうか?

その点について興味があったので読んでみたのですが、流石の俺も帯広という土地では、クルマを保有せずに生活するのは難しそうだなと思わざるをえなかった。
ただ、この人は北海道の厳寒の時期でも、歩くことを本当に心の底から楽しんでいる感じが行間から伝わってくるんですが。

この人のアンチ・カー思想には、子供に対する愛情も含まれている。自分の子供に対しても、クルマの無い生活の快適さを躾けることをやっているのだ。

しかし、このことについては若干の疑問を抱いてしまった。
俺はこの本を読まなくても、この著者が主張していることには概ね賛成なのだが、それでも、だ。

私の家庭のことだが、ウチの両親はこの著者とは逆の方針だった。昔、近所でマイカーを二台同時に所有したのは我が家が初めてだったし、息子の俺はその親から「クルマを買って乗らなければ駄目だ」みたいなことを若い頃から何度も言われてきた。
この本の94ページで書かれていること――家族でクルマで出掛けると、運転等のストレスで夫婦喧嘩が起こりやすいこと――は、ウチの家庭でもよくあったことだ。だから、俺は子供の頃からクルマが好きじゃなくて、テレビのCMで家族連れがワンボックスカーでドライブする映像を見ていると、反吐が出る気分なのだ。

クルマを持たずに生活すれば、その維持費が浮いた分の貯蓄ができるが、長期的には住宅が買えるくらいの額になるという試算も示されている。
俺は4歳の頃から住んでいる今の住まいが凄く嫌で、小学校の頃から早く新しい住まいに引っ越して欲しいと願っていた。

でも、世の中にはそれとは逆のことを思っている子供もいるようだ。
確か、読売オンラインの『発言小町』という掲示板だったと思うが、「親がマイホーム購入資金を作るために、家計が切り詰められて、クルマもボロかった(無かった)のが嫌だった」という、自分の子供時代の経験を書き込んでいた人がいた。

この著者の杉田先生の子供たちだって、実はそういうことを思っている――父親の「クルマを持たない主義」にウンザリしていて、大人になって家を出れば、クルマを持ちたいと思うようになるかも知れないのだ。
この本の第六章の内容には、そういう憶測を誘われる部分があるのだ。

どっちにしても、子供って親が意図した通りには育たないところがあるもんだなぁとつくづく思います。
2005/11/11 08:27|本の寸評、読書感想CM:0
 

フランスの暴動について 

フランスの労働者は日本人と比べて、労働時間が短く、年休消化率も高い。そして、子供を産み育てる女性を優遇する福祉行政が整っているから、少子化にも歯止めがかかっているみたいだから、日本政府も見習うべきだというような意見をよく目にする。
また、よくある所得格差問題議論でも、日本のこれからは米帝型社会よりも、欧州型社会を目指した方が良いのではないかという意見の持ち主も少なからずいるのだと思う。

しかし、連日の騒動についてのニュースを読むと、フランスの社会も根の深い矛盾を抱えているのではないかという印象が拭えない。

特に移民層に多い失業や貧困が原因だという指摘がありますよね。
これも、安定した収入を得る手段を持たないから、異性から配偶者として選択される機会を奪われている若者の不満が爆発しているのだという見方ができる。

解雇規制に守られた労働者と職に就けない若年層の格差とか、(向こうは日本と比べて、シングルに対する偏見が少ないという差はありそうだが、子供を産んだ女性がかなり優遇されているということは)独身者が相対的に重い社会保障負担を背負わされていることは、日本と似ているのではないかと思う。
2005/11/09 08:31|国際問題、海外のニュースCM:0
 

日本人移民問題と日本の人口問題 

先月の17日、ドミニカ移民訴訟という裁判が結審しました。

1950年代のことだが、当時の政府は将来、予想される人口爆発問題を緩和するために、海外移住を奨励していた。
ドミニカもその対象に挙がったのだが、政府は移住希望者に対して、移住先の土地の事情や条件などを正しく説明しなかった。
優良な農地を無償で譲渡されるぞという嘘八百の餌に釣られた移住希望者を待っていたのは、悲惨な生活だった。
土地は石ころだらけで塩が混ざっていて、耕作に適さなかった。
だから、生活の糧を得られる土地を買うため、農奴・債務奴隷のような身分に落ちてしまう人間が多かった。
もちろん、貧窮しているから、医療も受けられず、子供に教育を与えることもできなかった。
しかも、緊張が高まっている隣国ハイチとの国境に近い地域に住まわされ、屯田兵の役割まで担わされるというドミニカ政府の意図もあった。

http://www.dominica.jp/index.html

http://arch.asahi.com/national/update/1017/TKY200510170353.html

国は裁判で「ドミニカ共和国政府が企画して入植させたことなのだから、日本政府への賠償請求は成立しない」などと主張しているそうだが、全く酷い話だと思う。

日本人の海外移民の歴史は明治時代に始まるのだけれど、特に東亜大戦後(第二次世界大戦終結後)の移民については、人口爆発問題の緩和という目的のために、国を挙げて取り組まれていたという事情があって、 このドミニカ移民が実施されていた時期も重なっているのだ。

第二次ベビーブームの直後で国の人口が急増していた時期だったが、それでも少子高齢化問題を憂慮されている昨今よりも遥かに人口が少なかったにも拘らず、その当時は逆に人が増え過ぎることを懸念する声が大きかったようだ。ちょっと興味深いですね。
まぁ、今の人口問題について、少子化対策必要論者が指摘していることは単に減少が予想されることではなくて、高齢者が増え過ぎて、世代間のバランスが悪いという点なのでしょうが。

しかし、私は昨今の行政や識者がしきりに唱えている少子化懸念・少子化対策必要論に対して、ある種の反感を抱いているのだけれど、その核心はこういった移民問題のことに含まれている。

ちょっと極端な喩えを書かせてもらうが、増え過ぎた野良犬や野良猫は保健所で毒殺するけれど、トキやパンダのような希少動物はどこかの施設で大事に保護して、何とか繁殖させようと試みますよね。

人間だって増え過ぎれば、このドミニカ移民問題のように、為政者が無知な奴を騙して、遠い異国へ移住させた過去があるし、今は逆に人口が減ることを懸念して、少子化対策のため、母親になる女性や子供を大事にしましょうだなんていう風潮が盛り上がりつつある。
動物に対する態度と似たようなものだと感じるなんて書いたら、俺の感性は疑われてしまうだろうか?

それでも、「ふざけるな」って思う。

政府の言うこと・やることは信用しない方がいいのだ。
敗戦後に産児制限政策やら移民政策をやっていたけれど、少し前の戦時中は逆の方針――殖産を奨励していたじゃないか。
なので、今は出生率を上げることに躍起になっているけれど、10年後は逆のことを言い出しているかも分からないのだ。
政治や経済の都合だけでそういうことを考えている立場の奴等が、「家庭・子育ての尊さ」みたいなことを言っているのを聞くと、反吐が出る気分になるのだ。

だから、俺はここで何度も「少子化対策だなんて必要無い」「国民一人一人の判断で人口減少社会が選択されていることを無理に曲げる政策なんかやるな」と書いているのだ。

まぁ、高齢者に回し過ぎている社会保障費を減らして、不妊治療や無痛分娩に保険を適用させるぐらいのことはやるべきだとは思っていますが。

でも、人口は増やさない方がいい。
社会の仕組みは人口を増やせば、為政者や富裕層の搾取が厳しくなって、不幸な家庭が増えるようになっているみたいだからな。
2005/11/06 08:34|人口問題、少子化対策批判CM:0
 

マッド・サイエンティスト・ガール騒動で、子育てについて議論百出 

静岡県で県立高校に通う少女が、母親にタリウムを摂取させて殺害しようとしていたことが明らかになり、警察に殺人未遂で逮捕されたというニュースが世間を震撼させている。

新聞に掲載される専門家の見解が「いい子ほど、思春期にキレる可能性が大きい」ということの指摘であることとか、子育てについて、どうのこうのと論じる奴が増えてくることとか、ネット上の辛口論客が厳罰を主張していること等は、毎度のことだなと思うだけです。

そういえば、昨夜はまた、細木数子が出演するテレビ番組を観たんですが、相変わらず同じことを繰り返し言っているなと思いました(このブログもそうだが)。
要するに、「女は仕事と子育てを両立できるわけねーだろ。子供を産んだ女が育児を放棄して、家にいないから、子供はまともに育たないし、世の中も悪くなるんだ」という内容だ。

私が最近、考えていることを書かせてもらうが、どの子供にでも当てはまる最善の育児法なんてものは無いのではないかと思う。

まず、私個人の幼少の頃の経験なのだが、母は父の実家の会社の仕事を手伝わなければならないという経緯で、私は近所の保育園に預けられたのだが、そこでの生活がとても嫌だった。
給食も食べられずに残して、一人だけ昼休みまで食事の時間を延長させられたし、食後の昼寝の時間も大人しく寝られず、園の保母に怒られてばかりだった。
この頃から集団生活が苦手で、社会不適応者の素養がバッチリだったのだが、保育園の生活があまりに苦痛だから、昼寝の時間に園からの脱出を試みたこともあるくらいだ。
でも、そんな子供は俺だけだったと思う。

そういえば、ポリティカル・コンパスに「子どもは三歳までは母親の手で育てるべき」という質問があったけれど、どうなんでしょうね?

同じ3歳未満児でも、母親の手から離しても、しっかりと育つ子もいれば、駄目になる子もいるのではないかと思っている。

だから、これは育児・保育に限らず、引き篭もりやニートの社会参加の支援だとか、非行少年の更生のことも含まれているのだが、ある特定の考え方を持った人間が問題解決のために、全ての子供に対して一律に、自分の方法論だけで対処に当たるのは危険なことなんだなと思っている。

例えば、スパルタ教育で有名な「戸塚ヨットスクール」の校長や、親に虐待された経験を持っているとか、対人恐怖症を患っている等の女性を対称に「育て直し」(オムツプレー)と呼ばれる治療法を施していた岩月謙二が警察に捕まっている。
要はどちらも、ご自身の理論・治療法がクライアントに適しているかどうかの判断を誤ったから、そういうトラブルを招いたわけでしょ。

まぁ、不勉強だから、私はあくまで、自分の経験上のことでしか論じられないから、今日はこのくらいにしておく。

でも、この頃、そう考えるようになったのだが、「少子高齢化対策のため、出生率を上げるため、働いている女性でも、子育てし易い環境を作れ」だなんていう意見は、寝惚けたことを言っているなと思うようになった。
やっぱり、細木数子の言う通り、女性はキャリアと子育てのどっちかを選択するしかないのですよ。
その結果、キャリアを取る人が増えて、少子化が進んでも、それはしょうがないことだ。多分、子供を増やせば、この国は経済先進国の地位から転落するからな(詳しくは後日にまた書いてみる)。
今の出生率を上げるほどに、大多数の女性が出産と仕事を両立できるようなシステムを作ったら、国や企業の財政が耐えられなくなるだろうし、かといって、仕事を辞めて子育てを選択する女性ばかりになったら、国の経済力が落ちると思う。
2005/11/05 08:36|教育CM:0
 

資本連鎖 

仕事中、少し悔しいことがあった。
午前中、ゴム製の部品だったのだけれど、不具合品を見過ごして、後工程に流したら、3工程目の大久保がそれを止めたのだけれど、職制を呼び出して報告したら、元請企業から寸志が支給されそうな雰囲気なのだ。
ちょっとした金が目の前を流れていたかも知れないのに、俺は深く考えずにそのまま見送ってしまったのだ。
で、これは聞いた話だが、午後には早速、そのゴム製品のメーカーのフコクに連絡がいき、そこの社員が全数検査に来たらしい。

まぁ、この業界も上から下まで、どこの会社も客先企業には頭が上がらない。
前も少し書いたことがあると思うが、自営業を手伝っている時期も、そういう辛い立場になったことがある。ここの会社の下請けに当たる企業へ全数検査に来させられたことが何度かあるのだ。最初は父子で一緒に行ったけれど、やがては特に忙しい時期は、一人で行かなきゃならなかったが、俺は人一倍、人見知りが激しいわけだから、その時は凄く鬱だった。

細かい経緯はよく覚えていないのだが、仕事で理不尽に感じる出来事があった時、親と激しく口論したことを覚えている。俺が23歳の時だった。
その当時は株式投資を始めたばかりで、まだオンラインの証券口座を持っていなかったから、会社の電話で証券会社とやり取りすることがあった。
それがよく目に付くから、息子は株のことばかり頭にあって、仕事が疎かに見えたのでしょう。
口論の途中で、親からそのことについてもケチをつけられたのだけれど、俺はつい激昂して、大言してしまった。
「俺は株で巨億の富を築いて、A社(今、働きに行っている会社)の株式を買収して、支配してやる!」
無論、そこでは「できるわけねーじゃねーか。馬鹿」と一蹴された。確かに我ながら、馬鹿なことを口走ったとは思う。
でも、よく考えてみると、俺の生きる意味というか、目的みたいなものは、ここに尽きるのではないかと思うようになった。先に断っておくけれど、億万長者になりたいということではないですよ。

弱肉強食という四字熟語があるが、人間の社会は食物連鎖ではなくて、資本(イジメ)の連鎖で成り立っているところがある。これを資本連鎖と名づけようかな。
大資本は中小企業に理不尽を押し付けるし、企業は労働者を酷使するし、先進国は後進国を経済侵略するし、政府は国民を税金という名目で恐喝するし、学校の教師は女子生徒に猥褻をするし、親は子供を虐待する。

A社は自動車メーカーには頭が上がらないが、下請のフコクの社員を呼んで叱るし、この産業を海外の末端まで辿れば、現代奴隷制労働があるわけだよ。棍棒で殴られながら、ゴムの樹液の採取に従事している児童労働者だっているかも知れない。

もう、ここまで書けば、察しのいい読者なら、お分かりだろう。

イジメ(資本連鎖)を免れるためには、資本から自立する力(経済力、知力、マネーIQ等)が必要になってくるってことだ。
2005/11/04 08:39|格差社会、経済大国の貧困CM:0
 
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