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『壬生義士伝』(浅田次郎著、文春文庫)、その3 

その2からの続きです。

江戸時代後期は幕府もそれに従属する諸藩も財政危機と人口・食糧問題に悩まされた。
この小説では足軽の吉村貫一郎の家庭の台所の描写を通して、南部領の窮状が見えてくる。

吉村貫一郎は妻子を貧窮から救うため、主家に後ろ足で砂を掛けることまでして故郷を出て、高給を望める新撰組に入隊する。武士としての資質は非常に疑われながら、それを忍んで、家族のために命を賭して戦う生き方は現代人の心を虜にしているのだ。

だから、この小説を読んで、「少子化」の原因とされている「無業者」や「独身生活を謳歌して、子供を産まない若者」に説教する大人もいるのかも知れない。要するに「ニートや少子化の問題の原因は家庭や教育の問題だ。仕事をすることや結婚して家庭を築くことなど、生きる意味を教えてこなかったのも悪い」という考え方ですよね。
そういうことのために、この小説を読ませるべきだなどと持ち出してくる人もいるんじゃないかと思う。

しかし、この小説は著者の意図はどうあれ、人間・歴史の暗部や核心を語っていない。
吉村貫一郎という男の生き方を賞賛するだけなら構わないが、そういうことを考慮せずに「それと比較して、今の日本人は軟弱」みたいな批判をする人の声には賛同できない。

以前、紹介した『人口減少 日本はこう変わる』(古田隆彦著、PHP研究所)という本には、江戸時代後期の人口推移と食糧・経済問題のことが平易に書かれている。
五代将軍綱吉治世下で農耕を基盤にした経済成長はピークに達した。そして、人口減は吉宗が将軍職に就いていた時期に始まった(1730年頃)。バブルが崩壊して15年が過ぎてから、人口減が始まった現代はこの時代の社会情勢をトレースしているみたいに思える。
きっと、綱吉の治世期の晩年にも少子高齢化の傾向が認められたのだろう。
経済成長が止まってしまったから、生活水準の向上を望めなければ、人間は子供を増やすことを控えた。それが間引きなどの闇の風習や、一生独身を通す居候・冷や飯食いという生き方(現代のパラサイト・シングルのようなもの)が増える現象としても表れたのだ。

それは『利己的な遺伝子』で詳述されている理論でも説明がつくことだ。人間も含めて、生物というものはどうすれば、最も自分の子孫が数多く繁栄するかを計算して、あらゆる行動を選択するようにできているらしい。基本的に食糧を獲得する環境が拡がるなら、出生数は伸びるのだけれど、それに上限を感じれば、子を作ることを控えるようにできている。

よく、少子化が話題に上る時、「自分の子供を欲しいと思わない女性は欠陥がある」だとか、「今の日本人は本能が弱くなっている」などというトンチンカンな批判を展開する奴が少なくない。
でも、こういう概念を知れば、今も昔も人は本能に従った選択をしたまでのことに過ぎないということがよく分かるだろう。
これはシングル・DINKS・負け犬を少子化懸念論者の批判罵倒から擁護する『利己的遺伝子論』、その2という記事でも詳述したことだが、自分の血を直に引く子供を産まなくても、自分と似た遺伝子を持つ子孫が繁栄することに貢献しているのだ。

現にこの『壬生義士伝』という小説でもそれが描かれている。吉村貫一郎の息子の嘉一郎が函館で戦死したことがそうだ。嘉一郎は明らかに、弟や妹を通して父母の血を遺すために、最後の戦闘に身を投じたのだ。彼はその時、二十歳にもなっていなかったし、独身で女を知らないままだった。
別に両親でなくても、仕えている藩の当主や天皇の血筋を守るために戦った奴もいるだろう。
とどのつまり、江戸時代の後半は、吉村貫一郎父子と同じような悲劇が探せば五万と出てくるだろう。皆、自分と似た遺伝子(それは兄弟姉妹のこともあれば、藩の主君や将軍や天皇など、忠誠を捧げた対象のこともある)を生存繁栄させるために、あらゆる行動が選択されるのだ。
誰が吉村嘉一郎のことを親不孝者だと非難できるだろうか?

現代の独身者の労働や消費は、吉村嘉一郎の生き方と本質的に同じものだと思う。社会があまりにも複雑になってしまったから、それが分かり辛くなっているのだ。

でも、こんな感想文をアマゾンのレビューにポストしたら、「このレビューは参考になりましたか?」で「いいえ」がクリックされまくるんだろーな。

壬生義士伝 上
浅田 次郎著
文芸春秋 (2002.9)
通常24時間以内に発送します。


壬生義士伝 下
浅田 次郎著
文芸春秋 (2002.9)
通常24時間以内に発送します。
2006/04/30 01:23|本の寸評、読書感想CM:0
 

『壬生義士伝』(浅田次郎著、文春文庫)、その2 

その1からの続き。

現在でも福島県民――特に会津地方在住の人の中には、鹿児島県民や山口県民のことを嫌っている人が少なからずいるらしい。
戊辰戦争の一局面の会津戦争で、島津や毛利の兵隊の悪行が酷かったからだ。会津若松城下の住民は虐殺や略奪の対象にされた。戦闘が終わった後、付近の住民は新政府軍の戦死者を丁寧に弔ったというのに、維新斎(16世紀末の英君、島津義弘)の精神を全く持ち合わせていない新政府軍はそれに酷い報いを与えた。佐幕の戦死者を逆賊だからと言い、埋葬することを禁じたのだ。

勿論、『壬生義士伝』に登場する人物はほぼ全て佐幕・奥羽越列藩同盟の立場だったから、薩摩や長州について、あまり好意的なことは語っていない。

1986年には山口県萩市(毛利家の江戸期の拠点)が会津若松市に対して友好都市締結を申し入れたが、会津若松市側はこれを断った。今でも地域の宿泊施設の中には、山口県人や鹿児島県人の観光客の宿泊を拒否をする所があるのかも知れない。

100年以上前のことをいまだに根に持っているだなんて聞くと、人によっては呆れるだろう。それは今の中国人や朝鮮人が日本に対して言っていることと同じレベルだと失笑を買ってしまうかも知れない。

しかし、公にはいつまでも過去を引きずることが良いとは思えないが、人の心を改めるのは難しい。問題は同じ時代を生きる人間同士でも、改める・歩み寄る態度に差があることだろうか。

長州人の徳川に対する恨みも大きかった(薩摩は別の要因で討幕に傾いたと思う。別の機会に書く)。関ヶ原の戦の後、石田三成に味方した責任を問われて、領土を削減され、荻という僻地に遷都することを強いられたことだ。

しかし、同じ時代、奥州の伊達家は長年の宿敵だった相馬家が改易に追い込まれそうになった時、幕府に対する外交工作でその存続を図ってやった。

現代もそうだけれど、同じ時代を生きる人間でも、昨日の敵に対する憎しみを捨てられない人もいれば、水に流して付き合うことができる人もいるようである。

例えば、この間、保釈された堀エモンはその著書を読めば分かるが、そういった境界感覚を全く持たない人間の典型例だ。福島県民がいつまでもそういう感情に捕らわれて、鹿児島や山口の人間のことを拒めば、それだけビジネスチャンスを失ってしまうのだから損なのではと言う考え方だ。
無論、それは現代の国家間の関係についても同様で、無用な流血を世界から無くすためには、全ての人がそういう考え方に導かれるべきなのかも知れない。

でも、それは左翼の絵空事に聞こえる人が多いだろう。
それに、そういうことを言う堀エモンは家族や郷土に対する愛情が欠けているから、モラルハザードの種なのだという印象の人間も多いだろう。

堀エモンはIT長者に上り詰めたが、伊達政宗は欧州に独自の使節を派遣した。
俺がここで指摘することは、交通や情報の伝達が発達する時代には、相対的に広い視野で物事を見る人間と旧来の地域・社会の枠を中心に思考する人間のギャップが拡大するんじゃないかと言うことだ(そう言えば、伊達政宗ってホリエモン同様、親との仲が良くなかったらしいがな)。

この小説は南部領だった盛岡の情景描写も優れていて、これを読んで岩手へ旅行に行きたくなる人もいるだろう。

だが、今の日本はモータリゼーションを加速させた経済政策などのせいで、地方は産業が弱体化して雇用も無くなった結果、そんな地域愛を持つ人間が減ってしまった。だから、ネット右翼など、自らのアイデンティティを変なナショナリズムに求めている若者が増えているのかも知れない。
家族や郷土に対する愛情が欠けているホリエモンだとか、地域に無関係な人間を刺客として送る選挙戦術の大成功などは、そういうことを象徴しているように見える。

最近は教育基本法の改正で「愛国心」のことが盛んに議論されているが、こういう時代だから、どこに落ち着いたとしても反感を抱く奴はいるのも頷ける。
未だに同国人同士の地域感情の対立も根強く残っているのに、思考が貨幣の流通そのもので国境や民族の区別の概念が無い人間もいるのだ。

その3へつづく。

壬生義士伝 下
浅田 次郎著
文芸春秋 (2002.9)
通常24時間以内に発送します。
2006/04/29 10:47|本の寸評、読書感想CM:0
 

『壬生義士伝』(浅田次郎著、文春文庫)、その1 

新撰組の中でも最も剣術の腕が立つと評されながら、どこか存在感が薄く、歴史家の間では半ば忘れられていた吉村貫一郎という男の生き方・死に様について、様々な人物の視点で描くことに挑んだ長編小説である。
何年か前に映画や長時間テレビドラマにもなったので、ご存知の人が多いと思う。

この作品の中心主人公の吉村という男が現代人を魅了するところは、「士道」や幕府への忠誠心などではなく、故郷に残している家族の生活を支えるために命のやり取りに身を投じている生き方である。アマゾンの読者レビューを覗いても分かるが、半分以上のレビュアーがそういうことを激しく賞賛して、五つ星をつけているのである。

構成は幾多の関係者(新撰組の隊士の生き残りとか、吉村の幼馴染の息子とか)の回顧録的な内容に息絶える直前の吉村の一人称の小節が付随する作りのチャプターが積み重なっていくごとに、徐々に作品世界の全体が見通せるようになっている。
その随所随所で、会津を攻撃した薩長に対する憎しみも表されている。
吉村貫一郎という男は盛岡南部藩の出身で、新撰組に入る前は貧しい足軽だった。その南部藩は戊辰戦争で会津に味方して、賊軍の汚名を着せられた。

そう言えば、民主党の代表が小沢一郎(岩手県出身)になって、与党は小泉純一郎の次に安倍晋三(山口県出身)が宰相になれば、因縁試合である。
あまり意味が無い「どーでもいいこと」に聞こえる人もいれば、人によっては「どうでもよくないこと」かも分からない。この記事のテーマは単なる小説の感想・レビューではなく、そういうことに触れた内容である。そして、作品の感想みたいな話を通して、国とか政治とか家族というものについて、自分が何となく思っていることを書いてみようと思う。

私はこの小説を1年半近くも掛かって、やっと上・下巻を読み終えたのだが、この作品を手に取ったきっかけは以前、まだ、カインというハンドルネームを用いていなかった頃に運営していたWEB日記を見てくれる人に勧められたことだ。
あまり、ここのブログには個人的なことは書きたくないのだが、その当時、俺はやっと就職が決まったばかりの企業の業務にどうしてもついていかれず、短期で辞めることになってしまって、とても落ち込んでいた。
そのことの悩みを日記に綴っていたら、ある読者の人から「浅田次郎の『壬生義士伝』という小説を読んでみてね」と薦められたのだ。今ならば、よく分かるけれど、「男の生き方を知って、強くなってもらいたい」というような気持ちがあって、この本のタイトルを出したに違いない。

吉村貫一郎という男の家族や故郷に対する深い愛情とか、歴史に翻弄されたその生命に涙を誘われる読者が多いだろう。確かに秀逸な作品だ。
しかし、それは凡その意図が理解できるだけであって、性格が歪んでいる俺は世間の多くが抱いているであろう感想に突っ込みを入れたくなってしまうのである。

例えば、アマゾンのレビューの中には「人と人の絆が薄くなり、身勝手な理由による凶悪事件が増加している現代に生きる私には、この本の登場人物が眩しく見える。現代の方が豊かだけれど、もしかすると安定や平和を手に入れたがゆえに、大切なものを見失ったってしまったのではないかと思った」だとか、「要領と狡賢さを駆使して金を儲けることだけしか考えない人間ばかりになってしまっている今の世の中に辟易していると、この本の主人公の実直な生き方から受ける感銘は強い」などといった内容のことを書いている人がいる。

が、今の社会の碌でもない部分を見て、それと比較して、自分が生き抜いたわけではない・知らない過去を美化する意見には残念ながら手放しで与することができない。「身勝手な理由による暴力」はいつの時代にもあったし、「狡賢くて金儲けのことしか考えない人間」はどの時代にも多いだろう。

最近はこういう小説の表面だけを読んで、「少子化」の原因になっている「無業者」や「独身生活を謳歌して、子供を産まない若者」に説教する大人もいるのかも知れない。要するに「ニートが増えている原因は家庭や教育の問題だ。仕事をすることや結婚して家庭を築くことなど、生きる意味を教えてこなかったのも悪い」という考え方ですよね。
そういうことのために、この小説を読ませるべきだなどと持ち出してくる人もいるんじゃないかと思うし、私にこの本を薦めてくれた人の意図もそれに近いんじゃないかと思う。

ここで何を訴えたいのかと言えば、そういう人々が期待することとは違った解釈を持っているということだ。
長引きそうだから、その2に続く。

壬生義士伝 上
浅田 次郎著
文芸春秋 (2002.9)
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2006/04/28 23:50|本の寸評、読書感想CM:0
 

小泉改革・日本の新自由主義は、暗黒の共産主義社会への架け橋 

――極東に亡霊が徘徊している
――新自由主義という亡霊である
――古い亜細亜の全ての強国は、
この亡霊を退治しようと神聖な同盟を結んでいる


昨今の格差問題に関心がある人なら、一度は目を通したことがあるだろう『希望格差社会』という本の197ページ末から次のページにかけて、以下のようなことが書かれている。
「哲学者バートランド・ラッセルは『西洋哲学史』という本で、マルクス主義に代表される革命思想はキリスト教の教義とそっくりだということを強調している」という内容だ。

私はそこが妙に気になって、その本を少しずつ読んでいるのだが、確かにその通りのことが書かれている。あらゆる宗教的伝統には「マルクス主義」が含まれているというようなことが書かれていて、邦訳の2巻目の「第四章 アウグスティヌスの哲学と進学」には下記の対照辞引が記載されているのだ。

ヤーヴェ弁証法的唯物論
救世主マルクス
選ばれたる者プロレタリア階級
教会共産党
キリストの再臨革命
地獄資本家の処罰
至福千年共産主義的共同社会

過去未来に通ずる歴史に対するユダヤ人の類型的見方はあらゆる時代の抑圧された層に訴えるようなものであり、アウグスティヌスはそれをキリスト教に、カール・マルクスは共産主義にそれを当てはめた。
要するに貧困に追いやられ、抑圧感を抱いている民衆のハートを掴むノウハウということだな。

そして、ラッセルは「ナチスも当てはめている」というようなことを書いている。件の本にはその対照辞引までは書かれていなかったので、以下は俺の回答である。

ヤーヴェハーケンクロイツ
救世主殉教者ホルスト・ヴェッセル
選ばれたる者アーリア民族
教会国家社会主義ドイツ労働者党
キリストの再臨ブランデンブルクの奇跡
地獄ホロコースト
至福千年千年帝国

これを読んでやっと分かったことがある。『共産主義』はどうして「亡霊」なのか、が。キリストはどうして再臨するのか、が。
私見だが、「何度、殺しても絶対に滅びない」ということなんじゃないだろうか。世界に「格差」というものがある限り、似たような者が必ず後から後から生まれてくるということなのだ。
だから、今はもう、世界の大多数の人間は「共産主義は市場経済に駆逐されて失敗に終わった」と認識しているんだろうけれど、「マルクス主義を含んでいる運動」は必ず再生されるのだ。

かなり前のログだが、アンチ=サタニストというタイトルの記事で、『エホバの証人』という宗教団体のことを取り上げた。
これもそうなんだけれど、「マルクス主義」が含まれている宗教・思想は身分や民族の違いを超えて、人の心を集められるようだ。
「徴兵を拒否したために懲役刑を食らうことが確定した韓国人の青年が、日本で他国の信徒と交流して希望を抱いた」という話を書いたよな。
最近、日韓は竹島の領有問題などで緊張感が高まっているが、こういう宗教は民族間のそういう諍いすらも乗り越えてしまうのだ。

尤も、上記のナチスのように民族主義を掲げて特定の民族を攻撃する思想もあるが。しかし、ナチスも実は共産党とそっくりだった。
第二次世界大戦が終結するまでの欧州史はファシズムとコミュニズムの抗争などと言われているが、やっていることは同じだった。ドイツの共産党はナチスと同様、議会制民主主義を暴力で破壊して一党独裁を目論んでいた。

『希望格差社会』によれば、社会を安定させて生産を伸ばすためには、その末端の構成員にまで希望を抱かせなければならないということが書かれている。封建制の時代までは宗教がその役割を果たしてきたのだけれど、近代以降はそれとは別の思想が必要になってくる。それは『マルクス主義』に始まる左系の思想もそうだし、戦後の日本では「努力すれば、家庭を築いて経済的に豊かになれる」という期待感を持たせるために、年功序列の雇用制度や護送船団方式のシステムが築かれ、バブル景気の時期まではそれで上手くいっていた(ホリエモンや米帝のアナルコ・キャピタリストに言わせれば、それも「共産主義」だった)。ところが、産業システムの構造変化などで崩壊してしまい、並みの能力の持ち主は将来に収入が増える希望を持ち辛い社会(終身雇用・年功序列の崩壊)になってしまい、それが今日と将来の社会不安を招く要因になっているなどということが書かれている。
それはホリエモンや青木雄二が「一億層中流などは幻想に過ぎなかった」と喝破していたことだが、それでも(本当に総中流が無かったとしても)著者の山田氏が著書で論証するとおり、希望を抱かせるという機能は概ね果たしていたのだろう。

つまり、新自由主義が進んで所得格差が拡大し、並みの能力の持ち主では収入が伸びる期待が持てず、他に希望の拠り所の無い社会になると、抑圧感を抱いた人間は危険な思想(「マルクス主義」が含まれている)にアジテートされ易くなる。件の本を著した山田昌弘だとか、「ニート問題」の第一人者で知られる玄田有史などはそういう警鐘を発して、現体制下でフリーター・ニート対策に取り組む立場になっているわけだ。

しかし、大抵の人はそういう警鐘を大袈裟なものとして一笑に付すだろう。
何故なら、以前、『下流は平和な社会の証です』という記事で指摘したことだが、我々――特に1970年代以降に生まれた日本人は多感な時期に共産主義の国が解体しているのを見てきたし、毛沢東やスターリンやポル・ポトやチャウシェスクが大量殺戮をしたことを知っている。そして、『共産主義』の失敗を目の当たりにした宮崎駿の不機嫌さもその映画作品を通して知っている。

だから、自分も含めて、今の日本の下流層と呼ばれるような若者がそうした運動に走るわけがないと思っていた(思っている)。そういう意欲の低い人間が多いことが調整弁となり、日本の社会は治安が維持されて平和なのだ。ニートになるような無気力な若者がいなければ、暴動が起こり易くなって社会不安が高まっていただろう。
少し前までは、そのように認識していた。

ところが、世の中の動きをよく見ていると、そうでもないことが見えてくる。ライブドア・ホリエモンの凋落をきっかけに、考察の縄の結び目が解きほぐされる。
度々、書いてきたことだけれど、ホリエモンって、マルクス主義者を標榜していた青木雄二と物の考え方が酷似している。金の使い方次第で人の心がどう変わるのかとか、金に絡んだ女性の心理のことを「知り尽くしている」(と、彼ら自身は自惚れている)ことがそうだが、何よりも世間から反感を買うことを承知で、それを開けっ広げに公言していることもそうだ。
そして、資本家が労働者をどれだけ搾取しているのかを見抜いて、会社勤めを敬遠した人生を選んだところもそうだし、この国には最初から一億層中流などは無かったと断言していることもそうだし、究極的に国境の無くなる世界を理想に描いている節があるところも一緒だと思う。
強いて両者の異なる点を指摘すれば、青木雄二は「掃除」を重要視する考え方を持っていたことに対して、堀江はそれを軽視していた。そして、堀江モンは表面的には『マルクス主義』を古臭いシステムだと言い切って否定している。

でも、マルクス主義者を標榜する青木雄二と新自由主義者の堀江貴文は一見、全く正反対に見えるが、実はイデオロギーがかなり近い。
どちらもその先の理想は正反対に見えるが、日本の社会を良くするためには、米帝型市場原理主義の輸入に積極的な考えを示していたし、少しでも早く世界平和を実現させるためには、民族や国境の垣根を無くすべきだというようなことを訴えていたのだ。

日本人も中国人も朝鮮人もペルシア人もインド人もアメリカ人も皆が民族意識でいがみ合うことをやめれば、世界は平和に向かうという考え方だ。青木雄二に言わせれば、それが共産革命への前進になるということだし、共産主義社会を実現させるためには、市場原理主義への移行は歴史の必然なのだ。
対して、堀江モンはそういう民族意識を剥き出しにして、国家が争うのは馬鹿馬鹿しいと言っていたよな。

今の日韓・日中関係を見ていれば、多くの人には絵空事に聞こえるだろう。でも、有り得ない事ではないかも知れないなと思う。現にある種の巨大宗教団体(上に例として出した『エホバの証人』など)は、民族間の諍いを乗り越えて信徒を増やしているではないか。
マルクスとか共産主義という言葉が全く含まれなくても、それらと同じような性格の思想・哲学が生まれる・生まれているのだ。

何を隠そうか。日本の新自由主義推進者たちこそ、他ならぬアジテーターだからな。
米帝型グローバリズムの輸入を強行する小泉純一郎や竹中平蔵が昨年の総選挙で取った戦術は、そのような性格を帯びたアジテートそのものだった。
旧来の「共産主義のような資本主義」を悪玉視するホリエモンを象徴に仕立て上げて、抑圧感を抱く若い世代の票を集めた。日本人の若者は無気力だから、フランスの若者のようなデモ行動を起こさないわけじゃなくて、体制はそういう抑圧感を巧みに取り込んでいるのだよ。
勿論、バートランド・ラッセルの『西洋哲学史』に載っている上記の対照辞引のようなものを、小泉改革についても作成することができるだろう。

こう書くと、世の中は右も左も「マルクス主義者」だらけである(笑)。旧来の日本は「共産主義」だったが、それを破壊するのも結局、「マルクス主義」が含まれる運動なのだ。

青木雄二は郵政民営化の胡散臭さを指摘しながら、どこか米帝の市場原理主義の導入を歓迎する節も確かにあった。日本よりも米帝の方が先に共産主義になると言うのだ。

以下は俺のトンデモな勘繰りなんだけれど、左翼の中にも構造改革推進協力者がいたんじゃないかな。
以前、『これから10年 長期投資のロードマップ』(岡崎良介著、ダイヤモンド社)いう本の感想文で書いたことだけれど、郵政選挙の前、共産党の機関紙の赤旗が「民営化で郵貯は外資に食われる」という内容の記事を掲載したことがあった。それは外国のあるメディアで掲載された記事の翻訳だったのだけれど、構造改革・郵政民営化賛成論者のブログの中には、その記事の訳が間違っていることを指摘し、したり顔で民営化の正しさを強調するダシに利用しているサイトが幾つかあった。
今思えば、それも巧妙に仕掛けられた罠だったのかも知れない。間違いなく左翼の中にも売国奴がいる。

男系皇位継承を滅ぼす皇室典範の改正を準備する有識者会議も左派系知識人で構成したからな。

例えば、「日本が滅びる」という言葉を聞いて、読者はどんな世界を想像するだろうか?
俺は「女系天皇」と経済界が圧力かけて自民党政権にやらせようとしている「外国人労働者・移民の受け入れの緩和」の実現も、日本という国の滅亡を意味することになるんじゃないかと思う。
それは戦争に負けて国土を占領されるという誰の目にも明らかな形ではなくて、ある種の愛国心を持っている日本人にとっての最悪の展開だ。
一方、それはホリエモンや青木雄二のような思想の人間にとっては何とも感じないことだ。寧ろ、世界平和への前進と受け止めるだろ。

その本の感想文でこういうことを書いたら、以下のような的外れの突込みをしてきた人がいたが、右も左も行くところまで行き着いたら、実は本質は同じってことを知らない人間の言いそうなことである。歴史の本質を分かっていない。

>>共産制以外にも、共和主義、リバタリアニズムも君主制を強烈に否定しますが、それらを混同していませんか?
>>リバタリアニズムが共産制へ転訛するなど、考えるだに噴飯モノです。

日本では、藤岡信勝、早坂茂三、西部邁、渡辺恒雄、森田実、高野孟、長谷川慶太郎、水野成夫などといった人物が好い例だろ。隅っこの思想の奴はあっさりと正反対に移動することも多々あるのだ。

しかし、今後の世界・日本はマルクスの予言(「原始共産制→奴隷制→封建制→資本主義→共産主義」)の通り、共産主義で理想の社会が築かれるなんてことは流石に有り得ないだろう。
ただ、市場原理主義が加速すれば、「マルクス主義」が含まれる何らかの思想・宗教的運動が民族を超えたレベルで活発になり、資本主義が終焉の時を迎える時期が早まる可能性は決して低くは無いと思う。俺が生きている間ではないとは思うがね。
これについての考察は少子化・世界の人口問題と絡むのだけれど、これも長い話だから機会を改めて書きます。
2006/04/27 22:13|歴史の考察CM:0
 

UENOという文字が、USENに見えてしまうなら末期症状 

円高が嫌気されて日経平均は急落し、新興市場も寒々しい今日は株式市場の動向に神経質になってしまう。満玉抱えている人は、夜も眠れないんじゃないだろうか。

そのせいだろうか。JRの駅の電光掲示板にUENO(上野)という文字が表示されると、

この間、退場したライブドアと業務提携したUSENという会社名に見えてしまう。

このように、あんまりボンヤリしていると、日中の仕事中に注意散漫で労災に見舞われて、パイオニア屋のオヤジみたいにカ×ワになってしまうぞ。

おちんちん、ビロ〜ン。
2006/04/26 19:46|意味不明、珍珍CM:0
 

このマセガキが! 

交際相手の高1逮捕 岐阜・中2殺害 殺人容疑「1人で犯行」供述

岐阜県中津川市にある空き店舗で同市立第二中2年の清水直さん(13)=同市中津川=の遺体が見つかった事件で、中津川署捜査本部は21日深夜、首を絞めるなどして清水さんを殺害したとして、殺人容疑で交際相手の高校1年の男子生徒(15)=同市=を逮捕した。容疑を認め「1人でやった」と供述しているという。

男子生徒は清水さんと同じ中学を3月に卒業したばかりで、自宅は空き店舗から数百メートルにある両親の勤務先の寮。清水さんとは2、3年前からの付き合いとみられ、数人のグループで遊ぶことが多かったという。捜査本部は、交際をめぐり2人の間にトラブルがあったとみて動機などを追及する。



最近の中学生の間では、「憧れの先輩」が卒業したら、体操着のジャージなどの着る物をもらい、それを着て生活する習慣があるそうだ。
男子がそういうことをやったら変態の謗りを免れられないが、女子生徒がそういうことをやるのは「恋に恋している」と微笑ましく思われる傾向があるようだ。それを男女差別だとか、どうのこうのと言うつもりは無いが、どこか釈然としないところがある。

記事中の「空き店舗」というのは、廃業したパチンコ屋なのだそうだが、不純異性交遊が行われていても不思議じゃない環境である。
この事件の加害者と被害者もそこまで発展していたのかも知れない。
でも、少女は殺害された時点で13歳(中一)である。誕生日はいつなのかは分からないが、もし13歳未満の少女と性行為をすれば、強姦罪である(でも、年度が替わったばかりだから、ありえる、よな……)。私の勘違いでしたが、中二だったらしい
少年、再逮捕か!?

イヒヒヒヒ。
2006/04/25 22:21|司法、刑罰、犯罪CM:0
 

ブログの感想をもらった 

実は一ヶ月くらい前、このブログのURLを初めて何人かの友達に教えたんだけれど、やっと大雑把な感想をもらえた。
「ざっと読んだところでは半分くらいは共感できたけれど、もう半分くらいは意味がよく分からない」などと言われてしまった(笑)。
そうなのか……。筆力が及ばないことを反省する駄猫である。
2006/04/25 22:21|ブログの運営に関する話CM:2
 

乙部綾子 

元ライブドア広報の乙部綾子さん再就職…また広報に

ライブドアの元広報担当、乙部綾子さん(30)が大手芸能プロダクション系列の会社に再就職することが27日、分かった。

乙部さんは約3年半前にライブドアに入社し、前社長の堀江貴文被告(33)に付き添う姿で有名に。昨年はエッセーを発売し、バスローブ姿まで披露。バラエティー番組に出演するなどタレント化していた。

3月16日に自身のブログで退社を発表し、「充電をしていく中で、ゆっくりと考えていければ」「またいつか何らかの形でお会いする日が来ますように」と綴っていた。

仕事は芸能活動ではなく、一般企業に対する広報担当を務める。仕事始めは4月18日という。



まさかと思っていたが……。直接、芸能活動はやらないとは言え、そういう業界に入るとは……。
「堀江を信じています」の涙のコメントはどうだったんでしょうね。それに嘘が無ければ、さっさと退職するなんてことは無かっただろう。
ブログはクソTBを送信されまくっているかもね。
その神経の図太さに感心しました。貴女のあだ名は今日から「峰不二子」だ!
2006/04/24 01:54|マスコミ、芸能、醜聞CM:0
 

ライブドアがIT企業とは呼べなくなったきっかけ 

東証マザースに株式を上場していたライブドアは先月中旬、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載容疑)で地検に告訴され、そのことによって東証は上場廃止を決定し、4月14日を最後に取引所での取引が廃止された。
そして、週明け(明日だな)には「ライブドア・ショック」(マネックス・ショックとも呼ぶ)がきっかけで、取引所のシステムを保護するために取られた後場の立会い開始を30分遅らせる措置が解除されることが決まった。

ライブドアといえば、最近はUSENとの提携ないし子会社化されること、外資が株を大量に買ったことなどが話題を集めているようだが、ここで他のブログと同じ話題を書いても詰まらないだろう。個人的に感じたことを気ままに書こうと思う。

どうも、世間の奴らはホリエモンの「宇宙旅行や生命の秘密を解明するという夢」には殆ど関心を抱かず、経営や投資や金融や会計や犯罪という面からの視点ばかりで物を論じている。
俺は会計とか経済などの知識は疎いのだが、どいつもこいつも視野の狭い人間ばかりだなと思う。実は大抵の人間が「堀江氏個人の夢」だとか、キ×ガイじゃないかと感じているようなことにこそ興味を引かれている。
若しかすれば、ダーウィンやコペルニクスやフロイトといった偉人に比肩する偉業を達成していたかも知れない。これらは「世界から神を追放した3人」とも呼ばれている。

ライブドアは上場以来、本業では黒字化を達成できなかった。極端な株式分割にタイミングを合わせた増資やマスコミを驚かすニュースの発表で成長性を演出するやり方は、次第に「あの会社の本業はITなどではなく、投資事業ではないのか」という印象を抱く人が増えていったのだろう。
俺個人の考えを書けば、リンドウズからの撤退を決めた時にITとは呼べるものじゃなくなったという気がしているし、それが堀江という人物の胡散臭さを濃くしてしまったんじゃないかと思う。

http://linspire.livedoor.com/

社長は『稼ぐが勝ち』という自著で、OSのシェアがマイクロソフト一社に独占されている昨今の現状を危険視していることと、リナックスをベースにしたリンドウズの可能性について、かなり熱く語っている。
リンドウズ(現在はマイクロソフトに著作権で訴えられて、リンスパイアに名前が変わっているが)とは何かと簡単に説明すれば、リナックスの一種ではあるが、マイクロソフトのソフトも起動させることができるエミュレーターを実装したOSなのだ。
つまり、今は皆、マイクロソフトのOSで動くソフトを使い慣れていて、それを手放したくないが故に他のOSの普及を阻んでしまっている。世界中のパソコンがウィンドウズばかりだと、サイバーテロなどの危険性が懸念されるし、そのOSのライセンス価格が上乗せされているせいで、パソコンの価格が下がらないから、不健全な市場になっている。
それがウィンドウズ用ソフトも起動できるリナックスのOSの普及でシェアが変動すれば、リスクも下がるし、コンピューターの価格も下がるということだ。
ここでホリエモンが語っていた通りに運べば、日本経済に計り知れない影響を与えられることになり、恐らくは本田技研やソニーのような本物になって、「ライブドアなど、日本経済にさしたる影響はない」で片付けられなくなっていた筈である。

しかし、どういう理由でそうなったのかは寡聞にして知らないが、ライブドアは2005年中にウェブストレージサービスもリンドウズOS自体の販売も中止してしまった。

どうして?

そこまで熱く新しいOSの可能性を語っていて、中途半端に撤退とはどういうことだろうか?

ひとつのOSで独占される状況にリスクが高いことをそんなに懸念するならば、国を挙げてリンドウズの普及にも力を入れるべきだろう。

日本では過去にも『トロン』という名前のOSの国内普及を米帝の圧力で潰された過去があるようだ。
ここで「潰された」という言葉に失笑を感じるなら、この間、紹介した『拒否できない日本』という新書の内容がインチキだと言うなら、ライブドアはリンドウズの普及を中途半端に止めるべきじゃなかった筈だ。
現政権も昨年の衆院選で選挙応援するくらいなら、それをバックアップするべきだっただろう。

そこでホリエモンは「マイクロソフトの独占状態というものを米国の帝国主義やグローバリズムと結び付けて考えるのは噴飯物」だという旨のことも書いているが、自らがその言葉の嘘を証明してしまっている形になっているのだ。
つまり、『拒否できない日本』という新書に書かれている通り、今の政権・新自由主義を推進している連中は、米帝の資本家の利益だけで物事を動かしている売国奴と言えるだろう。

もし本当にマイクロソフトの市場占有率を崩すような企業が誕生すれば、殆どの日本人にとって計り知れない恩恵があっただろう。
でも、ライブドアは偽者だったってことだ。例の本には「リンドウズはウチの会社で開発したOS」だなんて書いてあるが、それも嘘っぱちなのだ。Lindows.com社という企業から販売権を買っただけだったのだ。どうして、そんな詰まらない・すぐにバレるラッパを吹いたのかは分からないが。

口先だけだったのか、それとも本当に普及を進めるつもりだったが何らかの圧力で潰されたのかは分からないが、そういうことに失望を感じている。
2006/04/23 00:47|経済CM:0
 

実は働かないことが負けないこともある 

私のブログは他所と比べて、読者からの感想や批判は少ないと思うのだけれど、4月7日付で公開した『ニートに説教する細木数子の背後には、観念論で労働者を搾取する資本家がいるということ』という記事は、その中でも反響のようなものがあった方かも知れない。
中にはこの記事をきっかけに、「ブログを読むことで、生きるエネルギーをもらっている」ということを言ってくれる人もいた。

私がこういうブログをやっている意図は微妙で、言葉で説明するのは少し難しいのだけれど、強いて言語化すれば、自分も含めて今の日本社会で悪玉視されている層の人々に対して、「もっと開き直って、わがままに生きれば良いのではないのか」というメッセージを伝えたいということも含まれているのかも知れない。
世の中、黙っていると無理難題を押し付けられたり、社会問題や悪いことの原因をこちらの責任に擦り付けられてしまう嫌いがあるような気がする。あらゆる統計データは恣意的に利用されれば、どんな結論でも導かれてしまう嫌いがある。

経済の原理でそういう結果が生まれただけのことなのに、そういう歪みを体現している層の人間に対して、訳の分からない観念論を説いて就労を促す論法に胡散臭さや反感を感じるのも道理だった。

尤も、今は日本という国自体が『下流国家』と化しているかも知れない。「黙っていると無理難題を押し付けられたり、社会問題や悪いことの原因をこちらの責任に擦り付けられてしまう嫌いがある」というのは、中共や半島両国や米帝に無理難題を押し付けられっぱなしの日本の国際的地位そのものでもある。
だから、日中共同で無宗教の慰霊施設を建設しろだなんて訴えている馬鹿な漫画は打ち切れよ!>S学館

最近の新聞は「小泉政権の構造改革」を検証するという趣旨の記事を一面に掲載することが目立つ。
東京新聞の4月18日の朝刊では、タクシー規制緩和(2002年2月1日に施行された道路運送法・タクシー業務適正化臨時措置法の一部改正)によって、過当競争に晒された業界の窮状が取り上げられていた。
その記事では大阪のことがレポートされているが、1年ぐらい前、NHKの『日本のこれから』という討論番組で取り上げられていた仙台の事情とほぼ同じ内容だった。
需要は増えないのに新規参入を自由化したせいで供給過多になり、厳しい運賃競争が始まって、運転手の収入は激減し、生活が破壊される人間が増えてしまった。規制緩和に反発する人間が増えているのだ。

ところで、ここで唐突な話だけれど、『敷居の住人』(志村 貴子、エンターブレイン)という漫画をご存知だろうか?
主人公は学業をサボりがちな不良の少年なのだけれど、その家庭は姉と母だけで父親はいない。母子家庭だ。今で言うと、子供がニートになり易い下流層なのだ。途中で主人公の父親が登場するんだけれど、30になっても親にパラサイトしている無職だった。それが子供と再会したことがきっかけで、心を入れ替えて職を探すという展開になるんだけれど、就職先はタクシー会社だった。

それは一見、細木数子が訴えているような正論だよな。働いて家庭を築くことが素晴らしいという話だ。
首都圏在住の人なら、『ガテン』っていう求人情報誌を知っているだろうが、これにはタクシー会社の求人も多く載っているよな。それで時々、「正社員で就職して、家族を養う・子供を育てることの尊さ」みたいなことを特集する記事が組まれるよな。

でも、俺が言いたいことは、今の社会は皆がそういうことを強く思うようになったら、現在も家族を養うために必死で働いている人の賃金にもマイナスの影響を与えてしまうというパラドックスを孕んでしまっているということだ。

以前も同じようなことを書いたが、労働者の人数が増えれば、それだけ一人当たりの収入が減るという反比例が明らかだ。
多分、細木数子の例の番組を観て、タクシー会社の求人に応募したニートもいるんじゃないかと思うぞ。碌な職歴の無い奴の中には、『敷居の住人』の三十路ニートと同じく、タクドラという仕事も視野に入れている奴もいるだろうから。

ここで反論が予想される。「タクシードライバーが営業成績を伸ばすためには工夫や努力が必要だ。サボっているから収入が伸びないんだ」などということだ。
今はそれを通り越している厳しさじゃないかと思う。昨年、たまたまタクシーを利用した際、その運転手の話を聞いたが、今は流しても手を挙げて拾ってくれる客などはいない。駅前で並んで待つ以外に無いそうだ。
それを個人の努力不足に帰されてしまうのだから、たまったものじゃないだろう。『ガテン』などでも、あたかも工夫次第で収入が伸びるようなことが書かれることがあるが、半分以上は嘘なんだろう。

だから、「細木数子は余計なことを言うんじゃねー!」って思ったね。

勿論、働きたくても働く場所が決まらなくて悩んでいる人間に対する対策は必要なのだろうけれど、親の脛でも齧って生きていられる人は細木や資本家の観念論などに騙されず、そのまま無業者を続けていればいいんだよ。実はそれが世の中のためになるから。それが市場原理経済の法則なんだから。もうひとつ問題視していることは、その法則も理解できないクセに、それに向かう改革を支持している人間どもの思考だ。馬鹿どもが。だから、日本は『下流国家』なんだよ。

すなわち、働いたら負けっていう名言(?)は、この時代ではある意味、正論なのだ。

今は石油が石炭に取って代わって、モータリゼーションが発達し始めた時代と違って、斜陽産業が採れなくなった分の雇用の受け皿がどこにも無いという要因もあるだろう。団塊ジュニアよりも前の世代以上なんかはその恩恵に与っているから、それが分からないんだろうが。
どーにもならんよ。

でも、まぁ、こういうことを言っても、同じ世代の人間ですら分からず、自分の努力や責任に帰すると考えている奴は案外と多いような気がする。
何でも政治や社会のせいにする奴は馬鹿・わがままで片付けるのが正論だからな。そして、卑屈さはストレスになり、それは鬱にもなるのだ。あまり自分を責めないで、もっと他人のせいにしても良いんだよというようなことを言ってみたくて、こういう記事を書いている。
2006/04/22 20:59|雇用、労働CM:3
 

アイフルの企業イメージ回復に名乗り出るぜ! 

消費者金融業大手のアイフルが財務省近畿財務局から全店舗の業務停止命令の行政処分を下された。
その理由は強引な営業・債権回収と違法金利で、以前から社会問題になっていて、被害者の会が結成されるほどだった。

アイフルといえば、チワワが出演しているCMが好感されていることで知られているが、それが消費者金融のネガティブなイメージを払拭していたところがあったのに、それがこの不祥事で水泡に帰してしまったわけだ(そして、住宅業界には「アイフルホーム」という社名が似ている会社があるのだが、件のサラ金会社とは何の関係も無い。それでも、こちらもトバッチリを受けているに違いない)。

最早、ちわわの≪くぅー≫では会社のイメージを回復させることは絶望的である。

しかし、人間など、ドストエフスキーが『罪と罰』を書いた頃から何も変わらないのである。未来永劫、こういう商売が廃れる筈が無いのである。
謝り倒して今の厳しい状況を耐え抜けば、幾らでも儲けられる筈である。だから、バリュー投資家の中には消費者金融や商品先物などの企業の株を大量に買っている奴がいるのである。

こうなったら、一日でも早い企業イメージの回復を期するため、俺にCM出演させるしかないな。

どうするアイフルゥ〜♪


2006/04/21 18:13|意味不明、珍珍CM:0
 

ニート・待ち組の心理を現代の生物学で解く 

『週刊SPA!』という雑誌の今週号に掲載されている「待ち組の遠吠え」というタイトルの記事を読んだ。

ご存知の人も多いと思うが、『待ち組』という言葉を最初に口にしたのは、現政権下で少子化・男女共同参画担当相に就いている猪口邦子、そして小泉宰相も続いて同調した。
宰相や少子化担当相の説明によれば、『待ち組』とは「勝ち組になるか、負け組になるかが分からない恐怖で、何に対しても挑戦する勇気を持てない人間」のことで、「失敗したとは言え、自分の能力を試す経験をした負け組の方が立派なのだ」そうだ。
当人たちは明確な指摘こそ避けていたが、フリータというか、ニートというか、正規就労に従事していない若い独身者のことをそう呼んでいることは疑いない。

しかし、これに対して、杉村太蔵は「僕たちは『待たされ組』だ!」と上司や上の世代に向かって反論を展開しているが、俺はこれ以上に的を得た呼び方は無いんじゃないかと猪口や宰相の言葉のセンスに感心しているのだ!

では、恐れながら、ここでカイン・ブログが新しい生物学の理論を用いて解説させてもらおう。読者の不安を煽るばかりの詰まらない週刊誌の記事を金払って読むよりも、このブログを読んだ方が面白いかも分かりませんよ(笑)。

杉村太蔵を含めて、機会に恵まれなかった世代は、自分たちのことを無気力・怠惰と決め付ける世間や上の世代に対して反感を抱いている。そして、機会さえ与えられれば、自分の能力を発揮したいなどと主張する。『SPA!』の当該記事には、そういう声が掲載されていた。
だが、それでも「待たされ組」よりは「待ち組」の方が相応しいと見ている。

この前、紹介したリチャード・ドーキンス著の『利己的な遺伝子』には、面白い話が書かれている。以下はドーキンスの全くのオリジナルの理論でもなかったと思うが、ある鳥類の生態がドーキンスの研究仲間の学者の興味を引いたそうだ。その鳥類も個体数が増え過ぎると、何らかの抑制が働くようになっているのだ。
それは雌と交尾して子孫を遺す個体と、雌と交尾する機会を得られずに死んでいく個体の違いだ。雄は縄張りを築いて交尾する雌の相手を迎え、それに産ませた子供を育てられる環境を作るために生きる。ところが、限られた環境の範囲内で個体数が増え過ぎると、力が弱い雄は自分の縄張りを持てないんだな。つまり、雌を迎え入れる場所が無い奴は子孫を遺さずに死ぬのだ。

ここから興味を持って読んでもらいたいが、その鳥類は少し変わっている。縄張りになる土地(交尾する雌)を巡って、雄同士が格闘することが殆どないんだそうだ。つまり、力が弱い奴は一か八かの勝負に出るという行動を取らない。一見、闘争心や生存本能が乏しく、無気力に見えるだろう。
しかし、それを観察した学者に言わせれば、生きる意欲が弱いから、そういう行動を取っているわけではないのだそうだ。
どういうことかといえば、下手に勝負を挑めば、相手を再起不能にして勝利を収められたとしても、自分も重傷を負うリスクも少なからずあるということを計算しているのだそうだ。そうなれば、一時的に縄張りを獲得したとしても、他の雄や天敵に襲われるリスクが格段に高まる。
考え無しに戦いを挑まず、何らかのアクシデントが起こることによって、相手が死ぬことを期待して待った方が自分が縄張りと雌を手に入れて子孫を遺せる期待率が高いと計算しているのだと指摘しているのだ。
また、利他性の観点で考えると、二匹共倒れになるよりも、片方が確実に子孫を遺した方が種の繁栄に貢献するという見方もできる。

そうだ。それは機会を待っているのだ。待たされているんじゃなくて、だ。

こんなブログを書いている俺もその世代に属するが、そういうことを話す友達が殆どいない。だから、憶測の域は出ないんだけれど、とどのつまり、ニートもフリーターも結婚を先送りにしている適齢期も、それに類する思考を持っているところがあるんだろうと思う。
「待たされている」んじゃなくて、「待っている」しか生きる道がないだけのことだ。
安易な選択は却って遠回りになるリスクを孕んでいるから、 欧米はそれほどでもないそうだが、少なくとも、この国では就職や結婚は短期で失敗して辞めるようなことになれば、世間の目は冷たくて厳しいからやり直しが難しい。自然界のそういう掟と同じだろ。
深く考えずに安易に動くよりも、慎重に「待っている方」が生き残れる望みが高いのだ。
どこかの条件の良い会社で、要員に穴が空くことを待っている。パラサイト・シングルの女は「高収入で家事を手伝ってくれて、マザコンじゃなくて、専業主婦をさせてくれる」ような男が表れることを待っている。

生物は例外なく、「自分に似た遺伝子を後世に遺す」(注意。好きな異性を見つけて子供を産むということとは限らない。 詳しくは次の機会に譲る)という目的で行動するようにプログラムされているが、ニートなど、政治家や御用学者が問題視する若年層も例外じゃないのだ。

言っただろ。実はこれを書いている俺は、ダーウィンとドーキンスを混同曲解している部分もあるかも知れない。が、『資本論』も『新自由主義』もこういう生物学が土台なのだ。
だから、そういう物の本質がある程度見えていたホリエモンは「引き篭もりやニートを問題視していない」と断言しているのだ。根っからの右派リバタニアニストだ。

http://allabout.co.jp/finance/ikujimoney/closeup/CU20050425B/comments/contribute.htm?val=

上記のリンク先などはそういう決まり文句のオンパレードだが、「選ばなければ、職はいくらでもある」だなんて言っている奴が多いな。
しかし、大企業や人気職種などに拘り過ぎるのもアレかも分からないが、妥協して選ばなければ後悔して自分の職歴を汚すリスクも高まる。しょっちゅう求人を出している会社は酷い労働環境なのだ。日本はモリタクが嫌悪しているアメリカと比べても、更に労働者の人権が蔑ろにされている社会だ。
一人一人はそういう意識こそ皆無に見えるが、無業という生き方を選ぶ奴が増えることで、人の出入りが激しい会社は十分な人員を充足することが困難になり、待遇・環境を改善する必要に迫られるという市場原理が働き出しているのかも知れない。つまり、サッチャリズムが推進されて、労働者運動が死んだ社会では必然の自浄作用なのではないかと見ることもできる。もっと古い言葉を用いれば、アダム・スミスの「神の見えない手」だろうか。

結婚しない奴・子供を産まない奴が増えていることとか、ジェンダーやフェミニズムなんかもそういうものだと思う。
日本の少子化は住環境の悪さも関係していそうだが、政府が不動産業界の利益にばかり向き合って、そういうことに取り組まないのが悪い。きっと、パラサイト・シングルという現象はそれに対する自浄作用だろう。
フェミというか、男女共同参画などというものが推進されているのは、例えば、口先では家族の尊さを謳いながら酷いことをやっている糸山英太郎や杉村太蔵みたいな奴に対する粛正作用かも知れない。

そして、これは次の機会に譲るが、自殺やある種の反社会的行為にもそういう面がある。

それら全てが日本の社会を少しでも住み良くして、次の時代を担う世代が育ち易い環境を作るための本能的な行為と理解できる。我々もそういうふうにプログラムされているから。

俺も最近、やっとおぼろげに理解できたくらいだが、今の世の中、そういうことが分からない奴があまりにも多過ぎる。
例えば、経済界が提唱している外国人労働者ないし海外からの移民の受け入れなどは、そういう人々の無意識の努力を無為に帰する犯罪行為なのだと感じている。流石のホリエモンもその点は誤っているがな。
2006/04/19 23:07|ダーウィニズムの考察CM:0
 

『拒否できない日本』(関岡英之著、文春新書) 

今更、読んでみたが……。

これは2年前の4月に初版が出されたのだけれど、去年の総選挙の前後に郵政民営化議論が活発になった頃、特に注目されるようになった一冊だ。
郵政民営化問題それ自体のことは殆ど触れられていないが、米帝政府が毎年10月、日本政府に出す宿題――『年次改革要望書』(競争政策イニシアティブに基づく要望書)によって進められている各種の規制緩和(建築基準法の改正、司法制度改革、独占禁止法の強化など)がいかに日本国民の利益を無視して、米帝の経済界の利益ばかりを押し通す内容であるかが平易に紹介されている。

つまり、この本で書かれていることが事実ならば、小泉・竹中が推進している郵政民営化も国民の利益に向き合っているものとはとても考えられないということだ。米帝の政財界の都合だけで動いている。信頼がおけるものではないのだ。

だからなのか、昨年の総選挙の前、アメリカ資本のオンライン・ショップのアマゾンでは、絶版でもないのに取り扱われていなかった。アマゾンも小泉などがやってきたような規制緩和が利になる層だから、これを読んだ国民の多くが小泉改革を支持しなくなるんじゃないかと恐れてのことかと勘繰る向きもあるということなのだ。

でも、問題は米帝が一方的に利益を得る内容ではない。著者自身も再三、断っていることだけれど、どこの国の政府も自国や選挙支持者の利を第一に考えて外交をやるのは当たり前のことである。
それよりも、要望を押し付けられた日本側で碌に議論が戦わされること無く、再販制度の廃止が撤回されたことなどの僅かな例外を除いて、殆ど向こうの意向通りに通ってしまっていることが異常で、およそまともな主権国家では考えられない事態だということだ。

最後の章は現代アメリカの政治・経済思想の歴史を大まかに書いてから、失敗したケインズ思想を否定したフリードマンやハイエクに始まる新自由主義思想を批判する怒りの肉声で締め括られている。

しかし、こんなことを書いたら、小泉改革の支持者や親米派には嫌悪感若しくは失笑を買ってしまうんだろうけれど、資本家が政治力と結びついて、アングロ・サクソンのローカル・ルールを世界に押し付けるやり方は、共産主義と同じではないか。
例えば、ホリエモンは自著で「世界のOS市場のシェアを独占しているマイクロソフトをアメリカの帝国主義と結び付ける考え方は噴飯物」などということを書いているけれど、マイクロソフトも含めて、この国の資本家がそれを維持するために自国の強い政治力や武力を利用しているのは疑いも無い事実だろう。
日本の護送船団方式の失敗とか、北朝鮮や旧ソビエトの悲惨な状況を見れば、大抵の人は共産主義というシステムは悪い・間違っていると思うだろう。でも、米帝が世界規模でやっていることもほぼ同じ内容だってことについては見えていないか、目を逸らしたいようだ。

北朝鮮はどんな社会なのかを端的に表現すれば、将軍や軍上層部が富を独占して、国民は餓死と背中合わせの悲惨な生活を強いられていると言えるだろ。
とどのつまり、米帝という国は他国に対して、北朝鮮の支配者層が被支配者層に対して強いていることとと同じことを規模を大きくしてやっているだけなのだ。異論がある人もいるに違いないけれど、俺個人はそういう物の見方をしている。
まだ、ソビエト・東欧共産圏がまだ崩壊していなくて、日本市場の規制破壊を進められなかった頃、米帝は共産圏に対する防波堤となる軍事政権国家をアジアやラテンアメリカに幾つか作った。チリのピノチェトが好例だけれど、スターリンや毛沢東やチャウシェスクなんかと大差ないだろ。
つまり、地球(世界)がひとつ国(村)のだとしたら、その国名は『アメリカ人民共和国連邦』とでも名づけられるだろう。
北朝鮮には国民全員の空腹を満たすだけの経済力が無いことと等しく、この地球上には『アメリカ人民共和国連邦』の全国民の空腹を満たすだけの資源も食料も足りていないということだ。

別に俺は世界中の国家が米帝一国に統合されても構わないんだけれど、問題は日本やその他の開発途上国の国民の生活や人権が考えられておらず、極端に貧富・生活水準の格差が拡大していることだ。
以前、ここで紹介したこの本を読めば分かるが、米帝の経済(日本もだけれど……)は開発途上国で人権や人道といったものを無視した労働で成り立っている部分が大きい。
米帝の政治家や資本家の多くは、それを知ってて知らない振りをしているだろ。

だから、日本でも新自由主義への改革が推進されれば、酷いことが待っていると思う。国民の多くが今よりも酷い労働環境で働くことを強いられるんじゃないかと悪い想像ばかりが募る。

そして、俺がもうひとつ、おかしいと感じていることは特定アジア三国に歩み寄っている左翼などには米帝のグローバリズムが悪辣に見えるようだが、逆に保守派というか、左翼・共産主義や中国・朝鮮のことを嫌っている奴の中には米帝型グローバリズムの矛盾が分からない人が少なからずいることだ。
つまり、親米はアメリカ産牛肉はOKで、中国の野菜や韓国のキムチはNGだが、逆に左翼はアメリカ産牛肉の安全性を疑うことを声高に主張しながら、中国や韓国の野菜は安全だと思っているということだ。

政治経済をメインテーマにした大抵のブログは右か左に立場が分かれているようだが、どっちも本質的には変わらないように見える。

いずれにしろ、米帝の市場原理主義の正体は政治力で下位者が自分たちの地位を脅かすことを潰す性格を多分に有している。その点では既得権益を守ることしか考えない日本の旧来の大企業・官僚機構や北朝鮮支配者層と大差ないものだろ。まぁ、形が変わっただけで、人間の欲望というものは同じというだけのことかも知れないがね。

この前、『これから10年 長期投資のロードマップ』(岡崎良介著、ダイヤモンド社)』という本の感想の記事を書いたら、「リバタリアニズムが共産制へ転訛するなど、考えるだに噴飯モノです」だなんてコメントしてくれた人がいたが、俺の書き方は適切じゃなかったのだと思う。
だが、確信の度が更に深まっているけれど、今の日本で進められている新自由主義は共産主義と紙一重じゃないかとトンデモなことを疑っている。
何故なら、他にもそれを決定づけられる要因を挙げられるが、昨年の総選挙で自民党改革派が勝利を収めた戦略は、実は心理的・哲学的にマルクス主義的な要素も含まれている。これは殆ど指摘する人がいないし、恐らく殆どの読者は一笑に付すと思うが、また別の機会に詳述するつもりである。

そういえば、アメリカ合衆国のことを「米帝」と蔑称する造語を作ったのは左翼なのだが、このブログではこの言葉を頻繁に使っているから、「カインって左派なんだ」と思っている読者がいるかも知れない。
でも、ここが俺の変わった面のひとつなのだが、特に意味無く変な言葉を使いたがるクセがあるだけのことだ。
俺がこの造語を知ったのは、数年前に流行って、映画化もされた『バトル・ロワイヤル』という小説を読んだことがきっかけだった(作中に何度か出てくるが、物語の世界では日本と米国は敵対関係になっているらしい)。
深くは考えていないが、アメリカという国の性格を最もよく表している呼び方だと思うから使っているのだ。

それに、俺はアメリカの全てが悪いと決め付けているわけでもないのだ。
いずれにしろ、今の日本は小泉じゃなくても、小さい政府は実現させて、アメリカをある程度は見習って、税制や社会保障制度をもっと単純にしなければ駄目だろう。
弱者に厳しい社会だなんて言われているが、消費税は生活必需品には掛からない。また、格差は大きいとは言え、日本と比べてれば、まだまだ労働者の権利が守られている部分も少なくないと思う。例えば、育児のために仕事を休むことに嫌な顔をされない雰囲気とか、求職者は日本のように企業に履歴書や面接を介して個人的な情報を取得されはしないことなど(尤も、農場で働く移民などは、酷い労働環境を強いられているようだが……)。

政治家はそういうバランス感覚と国民の生活に対する配慮を持って欲しいけれど、今の政権も野党もそれとは程遠いし、安全保障などの要因のせいで逆らえない構造になってしまっているのだろう。
bk1のレビューに恐ろしいことを寄稿している方がいるが、小泉や竹中が売国奴じゃないとすれば、よっぽど米帝という国家は強大で逆らい難い相手ということになる。

「日本の国を愛する心」どころじゃない。米帝と中国・朝鮮で分割されるんじゃないかと思うぞ。

英帝で新自由主義を推進したサッチャーは「社会というものはない。あるのは個人と家庭だけ」などと言ったそうだが、俺はこう言おうか。

「国家というものは無い。あるのは資本と個人だけ」

これからの社会情勢を渡っていくのに必要な心構えって、こういうことなんじゃないかと思いたくなるぞ。

拒否できない日本
関岡 英之著
文芸春秋 (2004.4)
通常24時間以内に発送します。
2006/04/18 23:16|本の寸評、読書感想CM:0
 

シングル・DINKS・負け犬を少子化懸念論者の批判罵倒から擁護する『利己的遺伝子論』、その2 

先にその1に目を通されてから、お読み下さい。その続きです。

>>例えば、蟻や蜂のような昆虫の中には、自分の子孫を遺さない個体が多いだろう。そういう個体が食料を集めるとか、外敵からコミュニティーを防衛することに従事して、女王の繁殖行為をサポートしているわけだ。
>>ドーキンスの利己的遺伝子説によれば、それは自分の遺伝子のコピーを殖やして後世に遺すための最善の行為だからなのだそうだ。
>>つまり、遺伝子は肉体としての自分の子孫を遺すことも、他の個体の繁殖を助けることも、等しく生物学的な利益になると判断して行動を決めるようにプログラムされているわけですよ。

>>こういうことを知れば、いかに的外れな少子化議論が行われているかがよく分かるだろう。

上記はその1の記事の最後の節の内容なのだが、そういう理論が人間の社会ではどのような形を見せているのかについて、実例を挙げてみようと思う。

まず、これは『反社会学講座』の「パラサイト・シングルが日本を救う」というコラムに書かれていることだし、私も以前、あのインチキ本を批判する記事で触れたことだが、「パラサイト・シングルが少子化の直接原因になっているから、これに親元同居税・独身税などを課して、自立と結婚を促せ」という論法も、こういう生物学の理論を無視した暴論なのだ。
自立を強いれば、住宅需要が急増することによって家賃が高騰し、元から親元を離れて暮らしている人の生活も厳しくなる。それが余計に若い世代の結婚・出産を困難にしてしまう。
だから、パラサイト・シングルが自分の生活水準を維持するという利己心によって急増していることは、結果的に自立して結婚したいと思っている奴が子孫を遺すことも助けていることに繋がっているのだ。

また、こういう問題の絡みで考えれば、独身者・既婚でも子供を産まない奴こそ、国や社会や結婚して子供を産んでいる家庭に大きく貢献している。
何故なら、子供に金が掛からない分、消費に回されれば、それだって経済に大きく貢献していることになる。
また、子供を産んでいない奴が納めた税金だって、教育に使われている筈だし、軍隊や警察を維持する予算になっている。小学生を襲う変質者を逮捕する警察官の給料だって賄われている。
独身者(既婚でも厚生年金・公務員共済に加入していなければ)は専業主婦の年金・健康保険料まで負担している。
要するに、子供を生まずに死んだ奴の資産は、甥っ子や姪っ子が相続するってことですよ。

つまり、結婚・子育てを避けて生きている人間は利己的に見えるようで、実は他人の子育てをサポートしているわけだし、社会や国の経済に大きく貢献している。
蜂や蟻と同じで、それを意識せずに欲望のままに生きていても、結果として自分と似た遺伝子を持つ子孫の繁栄に貢献している。

こういうことを書いたら、「人口減は需要も供給も落ち込ませるのだから、日本経済にはマイナスだ」などという反論が出てくる。
それに対しては考え方を逆転させてみなさいよと言いたい。

松平健主演の『暴れん坊将軍』という時代劇では、8代将軍・徳川吉宗が貧乏旗本の三男坊・徳田新之助という仮の姿で城下をブラブラしているのだが、その劇中で度々出てくる「俺は旗本の三男坊の冷や飯食いだ」という台詞に注目してみよう。これはその時代、家督を相続せずに実家に居候している次男以下の毒男のことを呼ぶ言葉だ。
この国は元禄期を過ぎた後は生産が伸びず、人口も頭打ちになっていた。ライフスタイルが自由になって、結婚を避ける男女が増えたからそうなったんじゃなくて、経済が頭打ちになったから、次男以下は親から資産をもらうことができないし、かといって世の中全体の生産も伸びないから、独自の所帯を築けず、子孫を遺すことができずに死んでいった奴が増え始めた時期なのだ。
将軍家の血筋ならば(吉宗もそうなる予定だったのだが)、何とか1万石くらいの扶持をお情けでもらえて大名として独立できただろう。しかし、下級士族や平民の家庭に次男坊以下として生まれれば、上の兄弟が早世するか、どこかに婿入りする機会が掴めなければ、居候・奴僕として生きるしか道が無かった。
国や家門の衰退を避けるために、そういう選択が取られたのだ。
次男坊以下が所帯を構えるなどという我を張って、親の資産を平等に相続するなどということをやれば、家が絶える危険が高まってしまうからだろ。だから、次男坊以下が居候で一生独身に甘んじることは、子孫繁栄に貢献しているということなのだよ。
昔は生まれた順番に割り当てていたことを、現代は別の選別方法でやっているだけのことなんじゃないかな。
(以上のことについては、後で別のネタから入って斬るつもりです)

蟻や蜂の中の子孫を遺さない個体と同じものだ。
少子化を懸念する立場で、「子供を産まない人間には、高い負担を課せ」などと叫んでいる奴は、こういう生物のメカニズムを知らない無知なのだ。
蜂でも蟻でも、ひとつの巣の個体の全てが交尾ばっかりやっていたら、種は滅亡してしまう。
少子化で日本民族が滅亡してしまうだなんて心配しているお年寄りもいるが、滅亡を避けるために若い世代に推奨したい行動が却ってその可能性を高めてしまう危険性があるってことを知ってもらいたいものだ。

時々、「子供を生産しないという意思は先祖から引き継いだ遺伝子をそこでストップさせることで、自己の存在を否定していることだから、人として間違っている・問題だ」などと言っている奴も見かけるが、この生物学の本質を知れば、それこそ間違った考え方だろう。

独身者やDINKSは自分でそう意識せずとも、兵隊アリ・兵隊バチのような役割を引き受けているようなものだ。
だから、恐ろしい話だけれど、こういうことも言える。たまに「ニートは自衛隊に入れて、イラクで国際貢献させろ!」などという暴論を言っている人も見かけるが、こういう生物学的な発想を持って聞くと、あながちトンデモ意見には聞こえなくなるのだ。実際、海外では貧困層の家庭に生まれた若者の就職先に軍隊が選ばれるケースが多いからな。

この話はまだ続きが書けるのだけれど、「その3」として継続させることはせず、機会を改めて書きたいと思います。
2006/04/17 21:41|ダーウィニズムの考察CM:0
 

シングル・DINKS・負け犬を少子化懸念論者の批判罵倒から擁護する『利己的遺伝子論』、その1 

数日前、『唯物論の土台になった進化論、そして利己的遺伝子説』というタイトルの記事を書き、リチャード・ドーキンスという生物学者の理論を簡単に紹介した。

元々、私は生物学も含めて、理系の知識は苦手意識があるのだけれど、あらゆる社会問題の原因はこの利己的遺伝子説によって説明がつけられるらしいということ(『ミーム』という概念が提唱されている)や、こういう生物学が新自由主義やマルクス主義のような政治思想の土台になっているらしいということに気付き、この頃、興味を覚えているわけだ。
例えば、フリーターやニートのこともそうだし、少子高齢化問題とか、あらゆるアディクション・精神病もそうだし、児童虐待もそうだし、犯罪・反社会的行為もそうだし、自殺も含まれる。
これを知れば、世の中のヘボ学者・クソバエ評論家の言っていることの中に、トンチンカンに聞こえることも含まれていると思えるようになるだろうし、ホリエモンが巨億の富を投下してまで知りたがっている宇宙・生命の秘密に迫る鍵にもなりうるのだ。

では、現在の日本で大きく問題視されていることを例に取り上げて、自分なりの解釈を書いていこうと思う。
第一回目のお題は『少子化』だ(今後は『ニート』『犯罪』『商業スポーツ』『自殺』『鬱病』『パラサイト・シングル』などの問題を取り上げる予定)。

そもそも、俺が矛盾を感じている議論は、年金問題を少子化高齢化と結びつけていることだ。
日本は市場原理主義に向かう改革で福祉を大幅に削減して、究極的には国民皆保険制度を解体する方向で進んでいるんだろ(米帝は国民の四分の一が社会保険に加入していない)。
そういうことを目指している政権が、だ。今の福祉制度を維持するために「皆が子供を3人以上産まなければならない」だとか、「そのためには、フランスをお手本にした育児支援を」だなんて、おかしな話だと誰も疑わないのか?
実はアメリカの貧困層は大して税金を納めていないんじゃないの?
表面だけを見ると、所得税は日本と大差無いようだが、消費税については生活必需品には非課税なのだ。

少子化の原因は色々と言われているが、ひとつに絞るなら、今の日本の若い女性の中には生理不順に悩まされていて、排卵がし辛い身体になっている者が多いということが最も大きいらしい。
ここで一般に誤解が多いことは、加齢によって妊娠し辛くなると思われていることだ。要するに、不妊治療にも健康保険を適用しろだとか、20代は仕事とか趣味で時間と金を費やして結婚が遅くなるのが問題という批判にも繋がる話ですよね。
しかし、加齢よりも精神的なストレスが主な原因なのではないかと思う。そして、それを生じさせる主な要因は経済問題だろう。公務員やよっぽど法令を遵守している安定企業の正社員にでもなれなければ、人権・労働法の守られていない職場で働かされることを強いられる労働環境もそうだし、住環境の悪さもそうだろう。

この間、「学力の低下が少子化傾向に歯止めを掛ける」などということを冗談半分で書いた。脳を鍛えることを怠った奴が性衝動に流され易いことは否めない。ところが、多少の差はあっても社会の環境に変化が無いままで人口が一定水準に達すれば、脳を鍛えていない人間も遅れて子供を産まなくなる。妊娠したとしても、堕胎・嬰児の遺棄が選択され易くなる。日本の歴史上では、江戸時代の後半がそうですよね。

これは様々な動物を用いた実験でも証明されていることだが、例えば、ネズミをひとつの広さが限られたケージ内で飼うと、最初は雌雄の交尾によってドンドン殖えるのだが、一定数に達すると増加がピタッと止まってしまう。そして、ストレスのせいで仲間同士の殺し合いが始まり、雌は自分が産んだ子供を殺して食べてしまう。
他の生き物を使った実験でも同様の結果が表れているんだそうだ。

人間もそういう生物の世界の法則から解放されてはいない。もし、犯罪の件数が本当に増えているのだとしたら、それは今の日本社会のストレスの多さに原因を求められるだろう(私は現在と比べて、終戦直後の方が治安が悪かったと認識しているが、国民にストレスを強いる経済システムが加速しそうだから、どの道、今後はそれに匹敵するほどの件数に急増するような気がする)。
だから、政府も厚生労働省も統計データを捏ね繰り回して、小賢しい少子化対策を打っても効果が薄いのだ。
究極的には、人間にもそれが当てはまると言うことだ。こんなことを書いたら、ビックリして椅子から引っ繰り返るかも知れんが、近年、増加していると言われている児童虐待・育児放棄もそれで説明がつけられる。

「何を馬鹿な」と眉唾に感じる人がいるだろうが、ドーキンスの提唱した『ミーム』という概念は、「人間もそういう生物の世界の法則から解放されてはいない」ということを証明しているのだそうだ(これは俺も理解が及ばない部分があるから、詳しくは邦訳の『利己的な遺伝子』を参照)。
そして、ストレスによって、仲間を殺したり、自分が産んだ子供を食べるような個体の行動は一見、利己的に見えるが、実は自分の子孫・遺伝子を遺して繁栄させるための最善の行為であると本能的に判断したものだという考え方も含まれている。


肉体という物は遺伝子の乗り物に過ぎないというような発想なんだけれど、自分のコピーを後世に遺す選択は何かという基準で、「それ」はあらゆる行動を選択しているのだ。
また、この理論は二面性があって、自分のコピーを持つ「乗り物」を再生産する行動を現時点の「乗り物」に選択させるという基準だけでなく、自分に近い仲間を後世に存続させるための行動もとるのだ。

例えば、蟻や蜂のような昆虫の中には、自分の子孫を遺さない個体が多いだろう。そういう個体が食料を集めるとか、外敵からコミュニティーを防衛することに従事して、女王の繁殖行為をサポートしているわけだ。
ドーキンスの利己的遺伝子説によれば、それは自分の遺伝子のコピーを殖やして後世に遺すための最善の行為だからなのだそうだ。
つまり、遺伝子は肉体としての自分の子孫を遺すことも、他の個体の繁殖を助けることも、等しく生物学的な利益になると判断して行動を決めるようにプログラムされているわけですよ。

こういうことを知れば、いかに的外れな少子化議論が行われているかがよく分かるだろう。

長いから、ここで区切る。その2に続く。
2006/04/16 01:06|ダーウィニズムの考察CM:0
 

『自費出版』商法は、砂上の楼閣か? 

こういうブログをやっていると、時々、「文章が上手いですね」「面白いですね」と褒めて下さる人がいる。
実はカインというハンドルネームでブログをやる以前にも文章系のサイトを幾つかやってきたが、その時期にも同じようなことを何度か言われたことがある。その中には翻訳業を生業にしている方もいた。自分で言うのもアレだが、そういう形でも出版に携わる人にも言われるくらいだから、俺の文章力はそこそこあるのだろう。
しかし、だからといって、天狗になっては駄目なのだ。世の中にはそういう心の隙を狙った悪徳商法もあるからだ。

最近、無料ブログサービスの中には、ユーザーが書いたブログのログを書籍化するサービスをタイアップさせている業者がいる。
誰でも気軽に情報を発信できる各種サービスがインターネット上に普及して、無名の個人が書いた本が書店に並ぶという現象が増えてきた。例えば、株取引で大きな資産を築いた奴が著している本もそうですよね。
そういうことはブログがこんなに流行る前からあったが、例えば、『POPOI』なんかがそうだろうし、ブログが普及してからは、『ラヴ・マシーン』がその典型だろうか。
そういうのを見て、「私の書いたブログも書籍にならないかな♪」「僕が書いた本も本屋さんに並ばないかな♪」などと願望を抱く奴が増えるのだろうし、だから、「書籍化サービス」を始める業者が表れるのだ。