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今の日本の男女共同参画だが、「一部の女性のためだけの税金のばら撒きだ」という批判が少なからずある。要するに、男性や専業主婦や専業主婦になりたい女性などには冷たい思想であり、キャリアを積極的に追求しながら子育てしたいだなんていう女性は少数派で、実は専業主婦志向は減っていないということだ。
例えば、子供を安心して預けられる施設を作って欲しいと訴えている人は多いが、その内にも温度差が大きい部分がある。どういうことかと言えば、男女共同参画推進者が謳っているキャリアと子育ての両立を本気で志向している奴もいれば、(本当は専業主婦として生きていきたいが)亭主の給料だけでは生活が厳しいから、生活のためにやむを得ず働かなければいけないという考えの消極型の女性は少なくないのだと思う。
「消極型の女性」にとって、「就労のための子育て支援」は有難迷惑というか、幸福を感じることができない社会なのだ。ホントは子育てに専念したいのに、今の日本経済は専業主婦という生き方を許容してくれなくなった。或いはそんなに苦労させられるなら、端から出産を諦める・避けるかのいずれかだ。
とどのつまり、「キャリアを積極的に追求しながら子育てしたい女性」の声ばかりが大きいことを疑問視している者が少なからずいるのだ。
上記の「消極型の女性」のことを考慮すると、女性の労働市場への参入を制限して、男性の年功序列・終身雇用を保障する政策に回帰するべきだという意見も出てくるだろう。
現に男女共同参画に否定的な保守系のブログの中には、女性の社会進出が男性の就業機会を奪った結果、雇用情勢が悪化したせいで、経済的な要因で晩婚化・未婚化が促進され、少子化が進んだ因果関係を指摘しているところがある。
しかし、こういうテーマには、アダルト・チルドレンなどのメンタルヘルスの問題やダーウィニズムも複雑に絡んでいる。
これは5月14日に書いた『杉村君。ご結婚、オメデトウ!』というタイトルの記事で指摘したことだけれど、特に援助交際などの非行に走る少女や、妻子ある男と不倫する女などに共通しているのは、父性に飢えているという面がある。
どうしてかと言えば、日本の社会が抱えている問題として、長時間労働によって性的役割の固定化(夫は仕事、妻は家事・子育て)が極端になったせいで、夫婦・家庭が分断されているからに他ならないと思う。
要するに、そういう両親を見た子供――特に女性が売春や不倫に走ったり、アディクションにふけったり、そこまで酷くなくても、結婚を避けて、キャリアを築くことばかりの人生を選択したりする。
或いは父親と似たような配偶者を選んでしまい、アダルトチルドレンの概念で言えば、負の連鎖に陥る人もいるだろう(自分が子供の頃に感じた不安や不幸を、子供にも与えること)。
杉村や糸山みたいに、「家庭」の大切さを訴えている保守の政治家は、「男は死ぬ気で長時間労働しろ!」などと言う。自分たちの遊び癖を棚に上げて、だ。それが家庭の解体を促進する可能性が含まれているジェンダー・フリーを煽っている面もあると言うのに……。
そして、皮肉なことだが、男という生き物は浮気するようにできているのだ。何故なら、それが自分の子孫を残せる可能性が高くなるからだ。いや、逆からそう言い切ることもできる。ずっと前にも書いたが、そもそも競争社会において、能力の高い個体(雄)はテストステロンの分泌量が多いのだが、それは特定の異性に性生活を安定させることが難しくなるというパラドックスを孕んでいる。つまり、貧富の差が大きい社会では、一夫多妻制が認められ易い。
敢えて極端なことを書くのだが、つまり仕事ができる・経済力がある男は、家庭や子育てに関心が向かなくなり、仕事以外の時間は遊びに関心が向く傾向があるということなのだ。一度、築いた家庭に留まっているよりも、新たに性交の相手を探した方が自分の子孫を増やせる可能性が高いという計算が成り立つならば、浮気を躊躇しないのだ。法や道徳で抑制できるものではないのだ。
また、同じ要因によって、他の男が自分の妻と姦通している可能性もある。これは自然界の冷酷な核心なのだが、その場合、知らずに自分の配偶者に他の男の血を引く子供を出産させ、自分の経済力で育てさせられて、自分は自分の血を引く子供を残せないというリスクもあるのだ(マンガ法律の抜け穴という本に、そういう話が載っていたのを読んだことがある……)。
つまり、男が家庭を築くということには、自分の血を引いていない子供を知らずに育てさせられるリスクも背負わされていると言うことなのだ。
だから、家庭および自分の配偶者が産んだ子供に関心が向かなくなるというか、自分の子供に惜しみなく愛情を注ぐことができない奴がいるのも道理なのだと思う。勿論、そうじゃない家庭人も少なくないことは否定しないが、総じて生物学的な観点から見ると、子育てに関心が向かなくなる傾向があるのだ。片方が仕事で長時間拘束されていれば、夫婦互いにそういう不安は余計に募るだろう(仕事があまりにも過酷だから、家事も浮気もやっている余力が無いというケースもあるが)。
そして、それが子供をアディクションや売春や不倫に走らせる原因になっているのだ。
世の中の男の全てが『壬生義士伝』の吉村貫一郎のような父親の鑑ならば、杉村や糸山の主張は全くの正論なんだがな。でも、そうじゃないから、フェミニズムのような思想が繁茂しているんだろ。
つまり、フェミニストは「男社会」のそういう非をつくことで支持を集めて、ジェンダーフリーを推進している部分も多々あるのではないかという考察を誘われるのだ。
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| 2006/05/29 19:19|家族政策、子育て、ジェンダー|CM:3|▲
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『日本改造計画』(小沢一郎、講談社)
これは1993年の5月に出版され、とっくに絶版になっていたが、先日の民主党代表就任を機に復刻されたそうだ。
冒頭はグランド・キャニオンの崖っぷちに観光客の安全を守るための柵が設けられていないことを取り上げ、日米社会の差異を平易に紹介することを端緒にして、まずは大まかに新自由主義への移行を訴えるメッセージで始まり、あらゆる分野に渡って自身の政策を披露していく構成になっている。
尤も、今の氏は新自由主義に懐疑的なことを標榜している。わざわざ、そのイズムが濃い過去の著書をこの時期に復刻すると、小泉との争点が見えにくくなり、曲解を招くのではないかと思う。
この本を読んで意外に感じたことは、小沢一郎という政治家は経済領域ばかりでなく、社会(家庭)領域についても、今まで何となく抱いていた印象よりもリベラル寄りだったということだ。
しかし、WEBサイトで現在、標榜している政策を読むと、リベラル色がやや引っ込められて、新保守主義に傾いているのだなと感じるが、こういう政治家に政界再編の舵を取らせて、自民党の保守層と合流して欲しいと願っている有権者が多いのだと思う。
だが、口先の公約を額面通りに受け止めるなら支持できる部分もあるが、本質的に小泉・自民党と同じで、経済界寄りの碌でもないことを推進するのではないかという気がする。以前、「自分の考えに近いかもしれない」ということを書いたが、飽く迄、額面通りに受け止められるならば、なのだ。
例えば、第3部の「5つの自由を」では「日本人は企業に束縛され過ぎている。もっと労働時間を短縮しなければならない」という主張が書かれているけれど、行間から経団連が要望している裁量労働制の導入を連想させられる。
現に大企業から集金した実績はあるし、実は小泉もこの本に書かれていることを手本にしている面がある。
そして、国防や国際貢献に関しては、日米安保を基軸にしながらの国連中心主義だ。新米色は小泉と同じだが、現状では他に選択肢が無いのかも知れないが、国連と米帝に平和を託すなんて馬鹿げていると思う。
国連なんて、ロシアとか共産中国などという碌でもない国が常任理事国の地位を占めているが、元は共産色が濃い集まりだ。米英が武器査察団による査察の継続を待たずにイラクを攻撃したのも、それに対して反発していた面もあったのではないかと思う。
ODAも生かされているかどうか分からない。例えば、米帝の影響力が及んだ開発途上国のインフラ整備のためにそれが投下され、日本企業がそれに従事したとしても、当該国の政権が新自由主義に毒されていれば、末端の国民には恩恵が届かないのだ。貧富の差の激しい国で公共サービスも民営化ならば、貧乏人は利用できないということなのだ。儲かるのはその国の上層階級とインフラ整備を請け負った企業とその株式に投資した資産家だけである。
日本のメディアは左翼のクソの役にも立たない反戦・護憲運動ばかりを報じていないで、ODAが対象国の末端に届いているかどうかについて、もっと国民に伝えるべきじゃなかろうか。
国民の知らぬ間に米帝とそれに追従する日本に反感を抱く者が増えれば、そのうちにあちこちで反グローバリズム政権が誕生して、日本は世界で孤立するってことになりかねない。
外国人労働者の受け入れのことだってそうだろう。
小沢一郎は口先では外国人の若者を単純労働で使い捨てて母国へ追い返すようなことをすれば、対日感情を悪くするから好ましくないと訴えている。
でも、結果的には新自由主義が推進されたら、外国人も多くの日本の若年層も何の希望も見えない非正規雇用に追い込まれている現実がある。
国防や国際問題はそうした影の部分を見てから、日本はどういう立場を取るかについての議論を戦わせるべきだと思う。
これからインドや中国などで人口爆発がピークに達し、限られた食糧・資源をめぐって、国家間の対立は深刻になる。もう、世界が排他的なブロックに分断されることは避けられないと思っている。中国も韓国も経済格差によって募った多くの国民の不満を逸らすため、偏狭なナショナリズムを煽るために日本との領土問題を利用しているではないか。
政治改革については、現在は小沢が訴えていた選挙制度の改革が概ね実現しているが、それで過去の日本の悪癖が払拭されたとは言えない状況だと思う。
英帝がそうだけれど、小選挙区制を単独で導入すれば、死票が多いという欠点がある。そして、軍国主義の時代を経験したことがある日本でそれをやったらファシズムに流れ易いのではないかという懸念があるから、ドイツが採用している比例代表並立制という案に落ち着いたのだ。
でも、前も指摘したが、名前こそ同じでも、仕組みはドイツのそれとは異なり、死票を最小限に抑えるという機能は果たしていない。昨年の総選挙の二大政党の得票率はそんなに乖離していない。死票が多く出るシステムだからこそ、自民党の大幅躍進になったのだ。
ぬるま湯構造・談合なれあい政治を打破して、強い政権誕生を促す目的は達成できたかに見える人もいるのだろう。少数の反対意見に付き合っていたら何も進まないのだから、死票が増えるのは止むを得ないという考えも否定はしない。
でも、今の二大政党は昔の自民党内の派閥争いの置き換えであるし、公明党などを見ていると、かつての野党・少数政党がぶら下がっている構造も変わっていないようにも見える。そして、政策を争うどころか、不勉強な国会議員を量産してしまっているではないか。
本の感想文とも呼べない、まとまりのない雑感になってしまったが、「結局、誰がやっても同じ」と政治に関心を持たない奴が再び増えるだけになりそうな気がする。
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| 2006/05/28 20:08|本の寸評、読書感想|CM:0|▲
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扶養控除の廃止が鞭なら、「国家公務員:3種採用試験にフリーター枠新設」は飴なのだろうか?
国家公務員:3種採用試験にフリーター枠新設 政府が方針
政府は9日、21歳未満を対象としている国家公務員3種の採用試験について、30〜40歳の「フリーター」を対象とする採用枠を新設する方針を固めた。格差社会の是正に向け、正規雇用拡大に取り組む姿勢を示すのが狙いで、安倍晋三官房長官が議長を務める「再チャレンジ推進会議」が月内にまとめる提言に盛り込む。6月に閣議決定する「骨太の方針」に反映させ、08年度採用からの実施を目指す。
国家公務員3種は補助的な事務や地方機関の窓口業務などが中心で、受験資格は17歳以上21歳未満の高校・短大卒業程度。04年度は約1400人が採用された。新たな採用枠は、正規雇用を希望しながらアルバイトなどを続けている30〜40歳のフリーターを対象に100人程度を想定している。
政府のやっていることの意味が分からない。人員の削減が昨今の大きなテーマになっている中で、そういう枠を設ける意図は二律背反と思われても仕方がない。一貫性が無いのだ。
まず、「受験資格は17歳以上21歳未満の高校・短大卒業程度」と制限されたのは近年になってからのことだった。それは雇用情勢が厳しい中で、大卒よりも就職活動が厳しい高卒者の機会を確保するためである筈だ。
10年ぐらい前のことだけれど、不況で大卒の新卒採用が手控えられたせいで、大卒者・大卒見込者の三種を受験する者が急増する現象が新聞で報じられていたのを読んだ覚えがある。
新卒採用に積極的な企業が増えているとは言え、予断が許されない状況だ。円高も嫌気されて株式市場は混乱しているが、これからの為替動向によっては、再び慎重姿勢に転じる企業も少なくないだろう。
行政がフリーターの正規雇用を促すために範を示す姿勢は良いのかも知れない。というか、行政が公務員として雇わないなら、法で強制でもしない限り、企業はフリーターを雇わないだろう。
地方公務員の採用にも波及するだろうが、民間企業の反応は冷ややかなのではないかと思う。
それに高卒者は兎も角、フリーターの中でも大学を出てから司法試験のような難関の資格や一流企業のホワイトカラーで就職することを目指して挫折したような人間は、下っ端の3種の採用に応募したいと思うのだろうか?
まぁ、その年代が20代だった1990年代こそ、大卒者の3種受験が増えた時期だったんだけれど、30過ぎてから下っ端からのスタートで、退職まで現業止まり確定って、精神的にキツいような気が……。
そして、これは昨日の東京新聞の特報で取り上げられていたが、国家公務員は1種の受験者数ですら激減していて、近年は厳しい競争を勝ち抜いて採用された奴でも、若くして退職してしまう奴が少なからずいるんだそうだ。
単に景気が回復して、民間企業の採用が急増したという社会背景もあるが、今の社会保険庁もその典型だが、組織が硬直していて、上の人間の権限が強く、若手の意見は通らず、安い給料(かなり年功を積まないと上がらない)で詰まらない残業が多いから、もっとやりがいのある仕事を求めて、民間へ流れる傾向が濃くなっているというのだ。
今の日本は一部の完全実力主義の会社を除けば、官庁でも民間でも、年寄が既得権を握って、若い奴を安い賃金で扱き使っている構造は似たようなものであるようだ。
いずれにしろ、能力と意欲のある奴が民間に流れて、役所は上も下も「下流人間」ばかりってことになるんだろうか。新聞記事を読んだ限り、そんな印象を受けた。
しかし、俺はここで意外なデータを知ったんですが、日本は経済協力開発機構(OECD)加盟国の中でも公務員の人件費は最も安い方なんですよ。それは何かといえば、国・地方の公務員人件費総額を国民総生産(GDP)で割った値や民間の賃金との比較だ。
そして、人数の面でも欧米諸国と比べて低い水準なのだ。俺はこれを知って驚いたのだが、何でも国営のフランスは当たり前だが、「小さい政府」を標榜している筈の米帝や英帝の水準の半分以下なのだ。日本は既に小さい政府だから、米帝政府から何を指図される謂れも無いわけだ。
勿論、非効率な部分は多いと思うし、官民の格差もあるし、一概には言えないけれど、一部の官僚の天下りを見て、公務員は楽だと決め付けるのは早計なのだろう。
またひとつ、新自由主義ないし新保守主義を標榜している政治家どもが胡散臭く見えることが増えたわけだ。
今日は演繹法で書いたので、まとまりのない記事になってしまいました。
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| 2006/05/27 20:13|雇用、労働|CM:0|▲
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少し前のニュースで恐縮ですが、今日は「ニート」「フリーター」に関する話題を書きます。
ニートは扶養控除外 自民が検討
自民党税制調査会(柳沢伯夫会長)は21日、少子化対策としての子育て支援減税の財源を確保するため、所得税の扶養控除(1人当たり38万円)に年齢制限を新設し、成人したニート、フリーターを対象から外す方向で検討に入った。現行制度は、成人した子どもが経済的に自立しないまま、親が生活費を負担しているケースも控除対象となっているため「子育ての負担軽減という趣旨から外れる」(税調幹部)と判断した。
少子高齢化による労働力の減少を補うため、ニート、フリーターを抱える世帯の税負担を増やすことで、若年層の本格的な就労を促進する狙いもある。現在は収入が一定以下の親族であれば、年齢に関係なく扶養控除の対象となる。
控除対象から除外した場合、サラリーマンと専業主婦の夫婦が年収103万円以下の成人したフリーター1人を扶養する世帯の納税額の増加は、年収500万円で約3万円、年収700万−1000万円で約7万円の見込み。
こういうことを言い出す奴がいつかは現れると思っていた。想定の範囲内だ。要するに大多数の国民の反発が比較的少ないと思われる増税をやりたいだけである。アホ学者どもが「ニート」だとか、「パラサイト・シングル」などという言葉をでっちあげたのも、少数の悪玉を作って、増税の口実を作るためだったのだろう。
いずれにしろ、少子化対策や就労促進が目的だとしても、効果は殆ど期待できないだろう。
まず、世の中の多くの人間は誤解しているようだが、ニートになる奴の育った環境は、総じて経済水準が低い家庭の方が多いんですよ。
安定した所得を得ている親の太い脛を齧って暮らしている奴も皆無ではない。が、寧ろ経済的に貧しくて子供を大学に進学させられない家庭とか、或いは親が片方いなかったり、ギャンブル狂いだったりとか、何か問題のある家庭で育ったケースが多い。
そういう家庭は元々、所得税を大して納めていないどころか、生活保護を受給している家庭だってある。
まず、「鞭」の効果はさして期待できないと思う。
少子化対策の観点で考察しても愚策というより他は無い。
ここで、政府はフリーターのことを「親が扶養控除を適用できる範囲である、給与所得が103万円以下の者」と定義している。
これも小泉改革の詐術なのだが、野党民主党の格差批判に対して、「求人倍率は1倍以上に回復した。フリーターは減って、正社員が増えている」などと答弁した。ところが、それはフルタイムで働く非正規雇用(派遣や請負や契約社員)を含めた数字なのだ。
当然、教育費や住居費が高いこの国では、そういう雇用形態で働く奴も子供を育てることなんてできないだろ。「若者の人間力を高めるナンタラ」もそうだけれど、正社員で雇用せず、かと言って、パートとの格差も是正せず、そういう働き方を強いたいだけだろ。
それで、安定した職に就いてていて、結婚して子供を生むことができるだけの奴に「子育て支援」の名目で経済支援だ。
この策は例のヘボ社会学者の「パラサイト・シングルの自立を促す税制改革」という主張も受け入れたんだろう。少子化対策のためと言って、男女共同参画の推進を強く訴えている奴だ。
「笑わせんな」だな。
数日前の記事で、男女共同参画などというものは少子化対策にはならないことを指摘したばかりだ。
誤解が無いように断っておくが、男女共同参画を否定しているわけではない。何度も言っているけれど、俺は少子高齢化なんか問題視していないんですよ。少子化と無関係でも、寧ろそれに拍車を掛けてしまっても、やらなければいけないことがあるなら推進すればいいではないか。
寧ろ、もしも自分が女に生まれていたら、熱烈にフェミニズムを支持しているんじゃないかと思うくらいなのだ。
しかし、こんな寝惚けたこと(少子化対策のために子育て支援)を言っている学者の道具にすれば、男女共同参画は汚物に成り下がるし、社会から差別や不正を無くするために闘争している人の努力もふいにするだろうよ。
いい加減に気付けよ、愚民どもが。
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| 2006/05/26 22:14|家族政策、子育て、ジェンダー|CM:0|▲
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06年国連予測 穀物生産、連続で減
二〇〇六年の世界の穀物生産は二十億千五百万トンと予測され、〇五年を千九百万トン下回る見通しであることが国連食糧農業機関(FAO)の二十日までの調査で分かった。世界の穀物需要は一貫して増加傾向にあり、〇六年から〇七年にかけて需要が生産を上回る可能性が高い。
世界の穀物の減産と、需要が生産を上回る事態は、いずれも二年連続。FAOは「穀物の備蓄分が市場に出るので世界的な穀物不足が起こる可能性はない」としているが「北朝鮮やイラク、アフリカの発展途上国など三十九カ国が、海外からの食糧援助に頼らなければならなくなる」と警告している。
米国の干ばつやロシアの寒波などの異常気象が減産の主因。専門家からは「地球温暖化などの影響で、今後、世界の穀物価格が急騰する恐れがある」との指摘が出ており、食料自給率が低い日本の経済や暮らしにも影響が出る可能性があるとみられる。
FAOによると、米国では干ばつの影響で穀物生産が約6%減少する見通し。ロシアやウクライナなどでは、この冬の異常な寒波の影響に燃料費の高騰が加わって、穀物生産が約12%も減少するとみられる。
アフリカ諸国では干ばつに加え、国際紛争や穀物価格の上昇などで食糧事情が悪化し、スーダンやケニアなど二十四カ国で海外からの援助が必要になる。これにロシアやイラク、アフガニスタン、北朝鮮などを加えた計三十九カ国が、深刻な食糧難に見舞われそうだとしている。
これは一昨日――日曜日の朝刊の一面を飾った記事なのだが、中国などのBRICS諸国の事情について触れられていないことがある。
近年、かつての輸出大国が経済成長と国民の生活水準の向上によって、輸入国へ逆転換しつつあるという不安要因である。つまり、自国で消費する分が増えるから、他国へ供給する分が減るどころか、逆に別の国からの供給にも頼るような状況になっているのだ。
言うに及ばず、食糧自給率が低く、天然資源も乏しい日本の国民にとっても他人事では済まない深刻な問題なのだ。
昨日一昨日、「男女共同参画は少子化対策にはならないぜ」などと冷笑するようなことを書いた。かといって、右派・保守層が訴えているような「教育や躾」の問題でもないのだ。
もし、「少子化・人口減」という現象を「食い止めなければならない問題である」と認識するならば(当ブログは問題視していない)、いずれも的外れで、他の観点からアプローチしなければならないのだ。
今日のテーマはその核心に近いことだが、これから考察をしてみようと思う。
平たく言えば、生物は「食」と「住」が満たされていなければ、生殖しないようにできているそうなのだ。それは人間も例外ではない。
これは、当ブログで時々、紹介しているこの本に書かれていたことだけれど、下記のリンク先(著者自身のサイト)にも転載されているので、目を通してみて下さい。
生きていくための優先順位
簡潔に述べるが、衣食住に不安がある状態では、女性の身体は排卵しづらくなり、性欲も減退するようにできているということなのだ。何故なら、それらを疎かにして先に子供を産んでも、結局は淘汰される可能性が高く、自分の遺伝子を残せない結果になるからだ。
今の日本社会は、「衣」に関しては安価な製品が出回っていて不足は無いだろう。しかし、「食」と「住」については、ここで俺が改めて指摘するまでもなく、消費者の不安が募る一方だろ。
加えて、近年は国民の最低限度の生活において、「学」が占める割合も増えていると思う。
衣食住学なのだ。
女性のオメコは正直やで!
つまり、今の日本人の女性の中には、それらが確実に確保されているとは思えず、現状で子供を産むことは賢明ではないと本能的に判断している奴が増えている状況なのだ。子供を産んで育てたとしても、それが餓死する可能性があることを悟っているところがあるのではないかと思う。だから、よっぽど経済力が強い配偶者と婚姻しない限り、不安を圧して子供を作ることができない。
そして、この世界の食糧事情の不安な見通しを伝える記事は、それに拍車を掛ける材料になる可能性が濃厚である。
実はこの新聞記事を読みながら考えていたら、他にも拍車を掛けているのではないかという要因が頭の中にふたつ浮かんだ。
ひとつは原油価格の高騰である。
日本の戦後の出生数・合計特殊出生率は、戦後の急減から昭和30年代前半を底に一旦は高く戻って、団塊ジュニア世代が生まれた時期を過ぎたのと同時に再び減少に転じたのだが、第一次石油危機と時期が一致する。石油危機が起こった1973年の翌々年から減少に転じたのだ。
それは一昨年あたりからの原油価格の高騰とその翌年の人口減少期突入に符合しているように見える。
原油の相場だが、一昨年までは10年以上、ボックス圏の往来だった。それが上放れして、俄かに市場ニュースで取り上げられるようになった。
オイルショックの翌々年に出生数が減少に転じたことと、原油価格の高騰の翌年に総人口が減少に転じたこと。ただの偶然では片付けられないことだと思う。
http://www.pref.shimane.jp/section/shoushi/taisaku/jyoukyo/data/image31.jpg
もうひとつは、郵政民営化である。
私が不信感を抱いていることをもうひとつ挙げると、特定局に対する私怨とアメリカ・コンプレックスを抱く小泉宰相と、既得権益を握っている旧勢力の利害や選挙パフォーマンスばかりに焦点を当てられ、郵貯や簡保を市場原理に委ねることのリスクについて、碌な議論も説明も無かったことだ。
それは無駄な公共事業を支える国債ばかりを買い支え、民間に資金が流動しない歪みの解消、それによる円高是正で国内産業・雇用の回復という副効果も期待されている面もあるそうだが、それが裏目に出る恐れが無いとは言えないではないか。
時々、第二海援隊の浅井隆が出す不安煽り系の本には、決まって「国債暴落! ハイパーインフレ! 食糧危機!」などという言葉が書き連ねられている。
小泉の民営化に否定的だった「よく分かる郵政民営化」というサイトは、郵貯が国債を買い支えなくなったら、ハイパーインフレが起こる可能性を指摘して、国民の生活も破綻する恐れがあるという警鐘を発していた。
そういう危機説に対する反論として、「バランスシートの左側を無視している」という論がある。つまり、債務は多いが、債権も多いのだ。日本は米帝の国債を大量に保有している。ホントに日本がそういう事態に陥って、それも一気に市場に放出されることにでもなれば、米帝も真っ青だし、世界中に影響が波及するのだ。
民営化賛成論者はそのことは承知した上で、一気に日本の国債がマーケットに放出される可能性は低いと市場を信頼しているのだ。
しかし、ケインズやルーズベルトが登場する前の市場を信頼するやり方の失敗は、現在の新自由主義で補強されているのか?
国内外でそれについての議論も不十分なのではないかと思うし、既に海外では新自由主義は失敗したものだという認識の方が優位になっている。
今の人間・国家の歴史は円環を回っているに過ぎないのか、螺旋を上方に進んでいるのかは分からないだろ。
とどのつまり、市場はどうなるのかは分からないのだ。
そして、前も書いたけれど、円安で国内産業と雇用が活性化しても、日本の輸出産業の主力である工業製品の価格の下落と、逆に輸入に頼っている食糧や資源の高騰は避けられそうにない。
円安に誘導する郵貯・簡保の民間への流出が裏目に出なければ良いけれどな。
独行にしろ道路にしろ、とても税金無しで一人立ちできるようには見えないのだ。仮に株式会社化して、株券が上場されたって、俺はそんな企業には投資しないぞ。
そういう危険も感じて、子供を産み控えている奴が増えているのかも分からない。
前も書いたけれど、今の日本は江戸時代の享保期に似ている。
それから幕末まで何度も大飢饉に見舞われていることを記憶されているだろう。
浅田次郎の『壬生義士伝』でも少し触れられているが、元々、稲作は冷涼な地域での栽培には適さなかった。だから、一旦、人口が増加してしまった後で、冷害に見舞われることが増えた東北地方は特に悲惨だったのだ。
江戸時代の『米』は、現代日本の各種の工業製品と照応するだろ。円安が裏目に出る恐れがあるというのは、そういうことだ。
やっぱり、女性のオメコは正直やで!
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| 2006/05/23 20:52|経済|CM:2|▲
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昨日、日本のフェミニストたちは、宦官か!?という記事で、女性の労働力率を上げることが少子化是正に繋がるという理屈は疑わしいということを指摘した。
内閣府男女共同参画局の「小子化対策の観点からも、仕事と子育ての両立支援策を進めることが必要であると考えられます。」などという主張は意味不明なのである。
男女共同参画とは、何だろうか?
まず、ウィキでサーチしてみたが、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」のことなんだそうだ。
これだけだと、頭の悪い駄猫には意味が分からないのだが、内閣府男女共同参画局のWEBサイトの方で、具体的に何に取り組んでいるのかを見た方が話が早いだろう。
ここで俺は、(実は出生率とは何の相関性も無い)女性の社会進出の推進の他には、女性に対する(性的なものも含む)暴力の撲滅、そして、これは決して女性に限ったではないと思うが、リプロダクツ(結婚・出産)の選択の自由を謳った概念だろうという認識で話を進めたい。
いずれも経済や社会保障制度の維持のためにやらなければならないとされる「少子化対策」とは、とても相容れないというか、全く関係の無い話だ。
まず、「女性に対する暴力」の問題だが、これは東欧の旧共産圏や東南アジアの女性が国際人身売買組織に拉致られて、売春を強いられている国際犯罪に対する対策も含まれている。
そういう問題は開発途上国の貧困問題とも関係しているが、現代のフェミニズムの中には、その観点から女性の人権問題に取り組んでいる流派もあるようだ。
それは社会主義フェミニズム、マルクス主義フェミニズムなどと呼ばれているが、奇妙なことだと思う。何故なら、フェミニズムそれ自体が共産主義を含む革命思想の妹分みたいなものだし、「フェミニズム=マルクス」と認識している奴がいるのも道理だと思う。
ずっと前、『グローバル経済と現代奴隷制』という本のことを取り上げたが、その本にはそういう非道が日本国内でも行われていることが指摘されていることも書いた。現代奴隷制の廃止運動に取り組んでいるその本の著者は、「世界の人口爆発の抑止に最も有効な戦略が、奴隷制の阻止にも効果がある」と断言している。それは「貧困を無くすこと。老齢や疾病に備えた社会保障と教育(それがリプロダクツ・フリーの獲得に繋がる)」なのだ。
国連人口基金(UNFPA)が謳っていることもそうですよね。
日本の男女共同参画の予算の内訳の大半は年金の国庫負担だが、その他もリプロダクツ・フリーに繋がることだろう。つまり、世界の人口爆発抑止に貢献する内容と同じなのだ。どうして、それが日本国内に限れば、「少子化対策・人口減に歯止めを掛けること」に逆転換するのかが理解できないのである。誰か説明してくれ。
以前、冗談でその記事を書いたが、それと逆のことをやんなきゃ駄目だろ?
そんなに出生率を上げるためにはなりふり構っていられないのだとしたら、特に女性の教育を受ける機会、リプロダクツの自由を制限するべきなのだ。
ところで、昨日の朝刊には猪口邦子のインタビューが掲載されていたが、相変わらずの「無い袖を振る」ようなことを語った内容には呆れた。この前、安倍晋三に叱られたことを全く懲りていないのだ。
しかし、フェミニズムがマルクス思想の妹である以上、フェミニストやら男女共同参画の推進者は大抵が左翼と繋がりを持っているものだが、このおばさんも例外ではないのだ。
この人の祖父の横田喜三郎という人物は戦後、最高裁判所の裁判官も務めていた法学者だが、保守系の間では評判が悪い。戦前はマルクス主義の運動にも傾倒していて、軍部にも警戒されていた。
しかし、敗戦を迎えると、自分を虐げていた層に対する報復のつもりか、極東軍事裁判の正当化を真っ先に訴え、天皇制を否定するような発言もしたそうだ。
孫娘は祖父と同様、軍縮運動がお好きなようだが、嫌米派で北朝鮮や旧ソビエトに好意的な学者の武者小路公秀の薫陶も受けている。
去年の総選挙で郵政民営化に反対した亀井静香に対する刺客になったホリエモンは、天皇制から大統領制への移行を訴えたことを問題視されて自民党の公認を得られなかった。
「ホリエモンが問題なら、このおばさんの公認も問題視する奴が自民党内にはいなかったんだろうか?」と不思議に思う。
私は小泉の選挙戦術やホリエモンのパフォーマンスは、共産主義や原始キリスト教会と同様の「抑圧感を抱く人間の心の拠り所・宗教」の手法そのものだと思うようになったが、フェミニズムも「抑圧感を抱く人間の心の拠り所・宗教」に違いないのだ。
自己の権力を磐石のものにするためなら、保守層の支持を取り付けるための靖国参拝をやりながら、「抑圧感を抱く人間の心の拠り所・宗教」の力もよく認識しているからこそ、男女共同参画を推進したがっている左翼や公明党をも巧みに取り込んでいるのだ。イソップ物語の蝙蝠である。
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| 2006/05/22 20:34|家族政策、子育て、ジェンダー|CM:2|▲
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少子化の是正のため、共働きの子育て支援とやらを促進する名目で、この国の政府は男女共同参画なるものに毎年10兆円以上の予算を投下している。
しかし、男女共同参画基本法とやらが施行されてから7年近くが過ぎているが、一向に出生率は回復する兆しが見えない。
それを推進したがっている奴らは「適齢期の女性の労働力率を上げれば、出生率も上がるぞ」と謳っており、内閣府男女共同参画局のWEBサイトには、いかにもそのことが裏付けられている統計データが公開されている。
http://www.gender.go.jp/main_contents/gaiyou/2.html
しかし、政治・経済ジャンルで保守系・右派のブロガーの中に、それを疑っている人が多く、反フェミニズム思想のサイトとタイアップして、ジェンダーフリー撲滅運動同盟のようなものを展開している。
そして、フェミニズムを批判している林道義という心理学者・ユング研究家の主張に賛同して、アフィリエイトにその著書をアップしている所が散見されるのも特徴である。
男女共同参画を推進したがっているフェミニストの背後には左翼・共産主義者がいて、碌でもないことを進めて、国家や家庭を破壊しているいるという警鐘が展開されているのである。
右翼や保守・国粋思想にアレルギーがあるならば、前も紹介したことがあるが、『子どもが減って何が悪いか!』(赤川学著、ちくま新書)という本を読めばいいだろう。
女性の労働力率と出生率には何も相関性が認められないことがハッキリと証明されているからな。
つまり、少子化対策のためなどと称して、男女共同参画の推進を主張する奴らは、内閣府男女共同参画局のWEBサイトに掲載されている統計データ『女性(25〜34歳)の労働力率と出生率の国際比較』 を根拠にして、「欧米諸国の制度を見習って、女性が子育てしながら仕事できる環境を整えろ」などと主張しているのだが、これはサンプルとする国のセレクトにある種の歪んだ意図が含まれている。
内閣府男女共同参画局のWEBサイトの『女性(25〜34歳)の労働力率と出生率の国際比較』 には、日本の他には米帝、英帝、フィンランド、スウェーデン王国、ノルウェー王国、アイスランド、イタリア、ベルギー王国、アイルランド、スペイン王国、ドイツが比較対照にされている。
ところが、赤川学の著書にも同じデータ比較が掲載されているのだが、その比較対照になる国として、日本の男女共同参画推進者が取り上げている上記の国の他、ギリシア、ポルトガル、トルコ、スイス、ニュージーランド、ルクセンブルク大公国、オーストラリア、カナダ、オランダ王国、オーストリア、デンマーク王国、フランスが加えられている。
それらを加えた上で改めて分析すれば、相関係数がグンと下がってしまうのだ。確かに女性の社会進出が進んでいる国の中には出生率が高い国家もあるけれど、ポルトガルや中欧のように、女性の労働力率が高くても日本と同じ位の出生率の国もあれば、逆にニュージーランドなどは日本と同じくらいの女性労働力率なのに、出生率が2.13という水準なのである(1995年のデータ)。
率直に言って、下記の厚生労働省の役人の報告書も支離滅裂な内容だと思う。少子化をネタにフェミニストと組み、省益を図って予算を取る算段をしているだけにしか見えないのだ。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/09/h0924-1.html
中学生ぐらいの子供が親に「参考書を買うから」と言うことで小遣いをもらっておいて、エロ本を買っているようなものである。
国民の税金を預かっている立場の公僕がそういうことをやるなら、宦官と謗られても仕方がないだろう。
だから、去年の郵政選挙で小泉独裁自民党の刺客候補として当選した猪口邦子のポストが、少子化担当相と男女共同企画担当相を兼ねているっていうのも意味不明なのである。
一体、フェミニズムっていうものは何なのだ?
自分なりに軽く調べてみて、色々なことを考察しました。これから、このテーマについて、何回かに分けて記事を書いていきます。
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| 2006/05/21 03:17|家族政策、子育て、ジェンダー|CM:0|▲
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今日は駅の中の本屋がいつもよりも早く開店していた。
何かと思えば、店員が変な帽子を被って店頭に立って、客寄せの声を上げていた。
どうやら、「『ハリー・ポッター』の最新刊(ハリー・ポッターと謎のプリンス)が本日発売!」なんだそうだ。
このシリーズだが、俺は第一巻ですら読んだことが無い。
海外のファンタジー小説は、王道のトールキンの『指輪物語』ですら読んだことが無い。
日本人が書いた物だけれど、グイン・サーガという有名な長寿シリーズも2巻までしか読んでいない。
そんな俺だが、実はムアコックの『エルリック・サーガ』という異色のシリーズは完読している(邦訳はハヤカワが版権を握っているが、最近、新装版が出たらしい)
これはヒロイック・ファンタジーの括りには入りこそするし、≪法≫と≪混沌≫という二元の対立を背景にした宗教観は他の作品でも見られるのだろうけれど、妖しい世界観と絶望的なストーリーが際立っている。
主人公は父祖が契約を交わした精霊やら≪混沌≫の神やらの加護を受けた魔術師であり、矢張り、その恩恵で栄えてきたメルニボネ帝国の皇帝エルリック。
メルニボネという民族は竜も使役し、国の歴史はとても古く、ある種の優生思想を持っている。他の新興の民族――自分たちとは異なる人間に対しては、とても冷酷非情で残虐な振る舞いをする。
しかし、この物語が始まる時点でも恐れられてはいるが、その繁栄は過去のことで、今では小さな島国になっている。
エルリックはそんな斜陽の国の皇族に生まれた身分ながら異端児だった。虚弱な体質で薬を常用しなければ、戦争や政務はおろか、日常生活もままならない。そして、繊細な性格の持ち主で、父祖から受け継がされる国の伝統とか、他の民族を蔑視する臣民の考え方に疑問を抱いて葛藤に苦しんでいた。
物語の幕開けとなる1巻ではエルリックは本編のもう一人の主人公と邂逅する。斬り殺した相手の霊魂を所持者に生命力として付与する魔剣≪ストームブリンガー≫だ。例えば、ドラクエみたいなゲームには、「装備すると味方を攻撃することがある」という負の効果があるアイテムが存在するが、簡潔に言葉で表せば、それと同じことがシビアに描写されているのも、この物語の大きな特徴だ。
その剣の呪われた力に頼らなければ生きていかれなくなってしまったが、その見返りに愛する女性や旅の仲間を自らの手で殺めるという業も背負ってしまった。
存在そのものが罪の象徴の彼が、愛する者たちを犠牲にしてまで求めたことは、善悪や倫理観を模索する旅だったというのも奇妙な話だと思う。
でも、一回読んだだけだから、作者の意図は完全に読み取れていないが、自分はこの主人公と似ているところがあるような気がする。
初めて読んだ時も何となく感じたが、今は益々、そう思うようになった
上手く説明できないが、まさしく、これも「カインの末裔」だろうと感じる。
マイクル・ムアコック著 / 井辻 朱美訳 早川書房 (2006.3) 通常24時間以内に発送します。
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| 2006/05/17 21:46|本の寸評、読書感想|CM:0|▲
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ヒャッ!!!
嫌! 嫌! 嫌! 嫌!
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| 2006/05/15 19:58|意味不明、珍珍|CM:0|▲
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5月12日の東京新聞の特報欄には、オウム真理教の教祖・麻原の二女と三女のインタビュー記事が大きく掲載されていた。
東京高裁の依頼を受けた精神科医による鑑定の結果(麻原は訴訟能力を有している)を疑問視する話から入って、教祖の子供であるということで受ける差別によって、社会生活で不自由を強いられていることの苦しみや悲しみを吐露した内容だった。
ここでは麻原の刑事責任については書かない。そして、二女と三女の本心(インタビューで話した通りかも知れないし、或いは父親の意思を引き継いで、教団を運営したい野心を密やかに抱いているかも分からない)についての推察もここでは預ける。
ただ、この記事を読みながら、「家庭」について考えたことを書いてみたいと思う。
昨日は「家族」を重視する保守的な価値観の思想の持ち主を軽く批判するようなことを書いた。少子化対策のためには、旧来の家庭や地域社会の繋がりの再生が大事だなどという発想だ。
しかし、少子化をテーマにした掲示板の論争を覗いてみると、「子供が酒鬼薔薇のような犯罪者になったら、責任を取り切れない。だから、子供を産むのは不安だ」などと書き込んでいる人がいる。
日本の社会はそういう性格が濃いのだ。例の事件の加害者の両親が表した著書を読めば明らかだが、家庭から犯罪者を出してしまえば、他の家族は普通に社会生活を送れなくなってしまう。
『産んではいけない!』という本にもそういうことが書かれていたが、この風潮が出産を躊躇させている要因のひとつだなどという意見や不安を抱いている人が少なからずいるのだ。
今、ここで「日本の社会は」という言葉を使ったことに注意を向けてもらいたい。
何かと言えば、欧米の社会はそうじゃないみたいなのだ。昔のヨーロッパ社会では、町や村の秩序を乱した者に対する罰則は罪を犯した本人だけに限られていて、家族はその罪人を庇い立てない限り累が及ぶことは無かった。個人主義の社会たる所以ですよね。
ところが、日本の場合、身内から犯罪者を出せば、何も落ち度が無くても、罪が親類にまで及ぶようになっていたのだ。それが現代にも大きく尾を引いていることは明らかだろう。
日本と欧米の慣習には、そういう違いがあるのだ。つまり、日本人は(日本では)子育てというものに対して、欧米人よりも覚悟しなければならないことが大きいということだ。
だから、それも大きな原因なのだとしたら、米英の新保守主義(ネオ・コン)を手本にして、旧来の価値観の復興を図ったとしても、少子化や家庭の崩壊の問題はどうにもならないと思う。
これは欧米よりも深刻だけれど、何かしらの問題を抱えた家庭の子供の人生をどう救うかという問題が提示されているだろう。
きっと、米英のネオコンは個人主義が土台にあるからこそ、ある程度は上手くいっているように見えるのであって、現状でその発想を取り入れることでは、日本の諸問題はとても解決できないと思う。
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| 2006/05/15 18:45|家族政策、子育て、ジェンダー|CM:0|▲
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何かと話題を提供してくれる例の小泉チルドレンだが、最近は5月11日に群馬県出身のOLと婚姻届を出したことがメディアで大きく取り上げられている。
嫁さんの容貌についてはどうこう言うつもりは無いが、もう少し自分の行動の影響力を考えて欲しい。国民は一議員の私生活のことなんかどうでもいいのだ。それより共謀罪のことが気になっているのだ。
その関心を逸らすために、上司の小泉が自分たちの慶事を利用している面があるかも知れないっていうことを想像できるならば、逆にそれが事実無根だとしても、そういう勘繰りを誘うのが好ましくないと思うならば、嫁さんをテレビのカメラの前に出すなんてことはできなかった筈だ。
でも、一度、籍を入れたならば、嫁さんや未来の子供を泣かすようなことだけはしてくれるなとだけ言っておこう。
度々、週刊誌で女性問題を取り上げられているが、こんなにしょっちゅうだと、個々の記事の真偽は兎も角、矢張り何か問題があるんじゃないかと疑わざるを得ない。
前も同じことを書いたが、矢鱈と「家庭」の尊さを謳っているこの若造は元国会議員の糸山英太郎と同じようなタイプなんじゃないかと感じている。
糸山英太郎も週刊誌で女性問題や援助交際疑惑を何度か書かれたことがある。それらの記事自体の真偽は兎も角、私生活では随分と家族を傷つけることをやってきた過去を自著の『ケンカ哲学』で認めることをぬけぬけと書いているのだ。
それは家庭を顧みないで、好き勝手に生きてきたオヤジの武勇自伝なのだ。ところが、下記のリンク先のコラムを読めば明らかだが、今の若者に対して、杉村がブログで訴えていることと同じような内容のメッセージを伝えるという意図も含まれているのだ。
出生率1.29過去最低 国益に反する行為を許さない(自分の後継者は自分でつくれ)
糸山と仲がいい東京都知事の石原慎太郎もそうだけれど、要するに彼らは自分たちの奔放な生い立ち・私生活を棚に上げ、公僕の分際で納税者にそういうことを押し付ける無神経な人間なのだ。
糸山や石原や杉村に限らず、自民党の保守系の議員は総じてそういうものだと思う。
多分、杉村も将来、糸山と同じようなテーマで自伝書みたいな物を書くんじゃないの?
ブログで文章を書くことも趣味になっているくらいだからな。
物事の捉え方は十人十色だが、俺は捻くれている方なのかも知れない。糸山や杉村が訴えていることを聞いて、そういう保守系の思想の奴の言う通りの人生が最善だと思う人もいるなら、それは否定しない。
昨日の話の絡みだが、今の日本は新保守主義に向かっており、杉村太蔵の政治思想のようなものも概ねそうなのだ。家庭や国の伝統は守りながら、小さい政府を目指すことですね。つまり、ダーウィニズム色を落とした改革になるんじゃないかという予言だ。
でも、それは上手くいかないと思うのだよ。学生時代、テニスと恋愛の他に何をやっていたのかは聞かないが、杉村君も上司の竹中平蔵が崇拝しているダーウィニズムを勉強した方がいい。
俺は何も特定の個人や自由民主党という政党を批判する意図で、この記事を書いているわけではないのだ。
何故なら、新保守主義者が必死で隠匿したがっているリチャード・ドーキンスによって完成されたダーウィニズムによれば、人間も含めて、生物が雌雄に分かたれている限り、「雄」というものは、浮気するようにプログラムされているからに他ならないのだ。そして、個別では容貌が優れている個体、「力」のある個体で更にその傾向が顕著になるのだ。逆に容姿が劣っていたり、力が弱い個体は子孫を遺せずに死んでしまうということだ。
これは自然界の冷酷な法則なのだが、浮気ばかりして、子育てには無関心な雄の個体ほど、子孫を多く残し、それが繁栄する仕組みになっているのだ。昨日の『社会進化論(ソーシャル・ダーウィニズム)の核心とその限界』の記事の前半で書いたことの繰り返しと若干の補足で書くがな。
どうして、「夜回り先生」水谷修に縋る少女が後を絶たないと思う?
何故、妻子ある男と不倫する若い女性が多いと思う?
糸山英太郎の令嬢も少女期は非行が激しかった。それが長じて、婚前妊娠を経て結婚したのだが、その経緯が例の自伝書で綴られている。下記はその結婚に反対する当の父親に対する殺し文句である。
「彼にはお父さんにはないものがある」
あらゆる問題の答えは、その一言に凝縮されている。独身の若い女が妻子持ちの男と不倫するのも、夜回り先生に電話やメールをする少女も、そういう心の飢餓感を満たしたい心理があるからに他ならない。
そして、俺が糸山英太郎という人物の件の自伝書を読んで反感を抱く部分は、家庭を持つ身分になってからも、そういう女性の心に付け込んで遊んでいた過去の話だ。
令嬢の結婚相手は中小企業に勤めるサラリーマンだ。娘の幸福を考えたら、とても認められる相手じゃなかっただなんて言う。つまり、それなりの家柄・資産を持っている相手じゃければ、自分の子孫の繁栄に不利になるという計算があるからだ。このオヤジもダーウィニズムの法則で生きていることの証拠ではないか。
最近、少子化の原因と対策のことで「夫の育児・家事への参加」も取りざたされているが、現代の生物学の本質を知れば、無理な話なのだと思う。男という生き物は多かれ少なかれ、これと同じようなものだからだ。
これは特定の個人の批判に留まらないことだ。
援助交際もそうだけれど、所帯持ちのオヤジと不倫している若い女性も多い。
中高年は自分たちの給料を下げたくないから、労組と経営者は共謀して、若年層を正社員で雇用することを避けて非正規雇用を増やした。
「少子化の原因」とやらは、そのせいで結婚できない奴が増えていることも含まれているだろ。
つまり、若い世代の男は交際相手・結婚相手を既得権を守っている汚い中高年に奪われている構造があるように見えてならない。
ホリエモンもそうだったけれど、「ニート・フリーター世代の代表」を標榜していた杉村太蔵は、そういう抑圧感を抱く若年層に取り入るパフォーマンスをやっていた。
こんなことを書いたら、社会の底辺の人間が国会議員の地位とその収入と結婚相手を手に入れた男に嫉妬しているから批判しているように思われても道理だが、杉村の一連の言動を見ていると、糸山と大差無いような気がする。こいつ、きっと糸山みたいなオヤジになるぜ。
杉村も糸山も石原も資産家の家に生まれたから、底辺の人間の本当の気持ちなどは分からないのだろう。特に杉村は「ニート・フリーター世代の代表」などと標榜しているが、笑わせるなと言いたい。
「資産よりも地位よりも、これからの日本にとっては、貧しくても必死で家族を守り、子どもを立派に育てる人が望まれていると信じています」
テメェらにそういうことを言われたくないな。
奇麗事はそういう家庭に生まれ育ってから言いなさい、だ。
個人的な好悪の感情は兎も角、俺がここで何を訴えたいかと言えば、ヒトの性は教育や躾でそうそう変わるものじゃないということだ。
ネオ・コンが排除したがっているダーウィニズムを無視しては、夜回り先生に救いをもとめる少女や、家庭環境が原因で精神を病んだ人間を減らすことはできないだろう。
国家社会の基礎として、家庭という概念が必要だという考え方は否定はしないが、男という生き物は総じてそれを蔑ろにして生きるようにできているのだ。それはダーウィニズムで証明されている。上に長々と書いたが、保守的な思想の政治家の私生活を見れば明らかではないか。
ダーウィンの進化論からマルクス思想が生まれたのだけれど、「フェミニズム」という概念はその妹のような存在なのだ。
先に断っておくけれど、カインは決してフェミニストではない。
でも、そういう思想が廃れないのは、男という生き物は女性や子供を傷つけるように生まれついていることを雄弁に語っているように思えてならないのだ。
ダーウィニズムも含めて、それを否定することは、今になって天動説を唱えるようなものだと思う。
少なくとも、杉村や糸山のような奴が家庭や子育ての尊さのようなことを口にすれば、多かれ少なかれ、フェミニズムにシンパサイズされている人の反感を買うだろうし、「家庭の解体」を目指す当の推進者の闘争心に火を点けるだけである。
俺はどちらでもないのだけれど、どっちに対しても、自分と異なった思想や生き方の人間を尊重というか容認しろよと言いたい。
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| 2006/05/14 20:45|家族政策、子育て、ジェンダー|CM:1|▲
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この間、『フリーター漂流』という本を紹介したが、それは製造業の請負会社で働くフリーターの若者に焦点を当てたドキュメント番組を制作した人の取材記録だ。それには番組の視聴者から寄せられた感想や意見を紹介するページがある。その内のひとつの要約を以下に記す。
「一生結婚もできず、子供も育てられず、家も持てず、旅行などにも行けず、そんな平凡でささやかな幸せさえ得られない世の中で、どうやって若者が希望を持てるのでしょうか。とても悲しいです――」(35歳、女性)
それは、新自由主義の核心や影の部分について考えさせられることが凝縮された意見だと思う。
恐らく、このブログが頻繁に取り上げている話題に興味のある読者の中には、『28歳からのリアル マネー編』という本を読んだことがある人が多いと思うが、この女性が番組に寄せた感想文と同じようなことが書かれている。
第1章の『仕事』の最後の方のページに書かれている話だ。要するに、勝ち組と負け組の二極化が進んで、結婚できるだけの経済力のある男が減る。結婚できる男が少なくなる。
それだけなら、昨今はよく耳にする話なのだが、その後に続く話こそ、人によっては恐怖を感じる内容だ。これを書いた奴は憶測の域を出ないことを認めているから、ここでは「――かも知れません」という表現を多用しているのだが、それは新自由主義の本質を端的に表した内容だと思う。
――女性は「タネ」と「金」さえあれば、子供を作って育てることができる。つまり、「タネ」と「金」を持っている男の人数は少なくても人類は人口減で滅亡することはない。これは自然界では自然なことだが、自分の子孫の繁栄を賭けた、雄同士のシビアな争いなのだ。つまり、力(経済力)の強い男の子孫だけが後世に遺されるという淘汰の現象が始まっている。
この本のこの章の執筆を担当した奴は、この節については断定口調で書いてはいない。が、それこそ昨今推進されてきた政治経済システムの核心なのだ。
知る人ぞ知ることだが、小泉純一郎や竹中平蔵がやってきた政策・改革は、社会進化論(ソーシャル・ダーウィニズム)の別称でも通っている。
平たく言えば、自然界のそういう法則を人間社会に当てはめた思想と思ってもらって良いだろう。
俺のブログの過去ログでは、『ニート・待ち組の心理を現代の生物学で解く』あたりも参考にして欲しい。
さて、今回は読者をいたずらに悲観させるような暗い記事を書くつもりは無い。寧ろ、上記の35歳の女性のような意見の人の不安を少し和らげるような話になると思う。
結論から言うが、一部のリバタリアンや冗談で口にしているような人を除けば、今の日本では一夫多妻制の許容を認める声は大きくならないと思われる。
日本の場合、それは皇室の皇位継承問題を見れば明らかだ。女系天皇や旧皇族の男子の皇位継承という意見はあっても、現皇太子が側室を迎えるべきだなんていう意見は殆ど聞いたことが無い。
現代民主主義国家で本当にダーウィニズムの定着が認められるならば、だ。雅子妃に男児出産を望めないなら、皇太子は側室・愛妾を迎えればいいという意見がもっと目立っているような気がする。
いくら少子化でも、一夫多妻制なんていう意見は冗談の域を出られないというのは、そういうことなのだ。
実は新自由主義主義の元祖の米帝だって、徹底し切れていない。
現大統領のブッシュ・ジュニアもそうだが、近年はキリスト教右派が政界で勢力を拡大させている影響だろう。今の米帝の政治は家族領域では保守化に傾いている。妊娠中絶を規制することもそうだし、学校で「ダーウィンの進化論」を生徒に教えることを制限している州もあるのだ。実は若年層の性感染症が減っていることや、中米からの移民を除き、ネイティブの白人・黒人の出生率が下がっていることも関係していると思う。
厳密に言えば、英帝も新自由主義を徹底し切れていなかったんじゃないのかとも思う。米帝のレーガンもそうだけれど、サッチャーの政策は新自由主義というより新保守主義だ。
マーガレット・サッチャーはこう言っているよね。
「社会というものはない。あるのは個人と家庭だけ」
その改革の影響で結果的に家庭を破壊された国民は少なからずいたとは思うが、英帝のサッチャリズムは決して家庭の破壊を目指したものではなかった筈なのだ。
どういうことかと言えば、「小さい政府・市場の信頼」を推進する政治思想は、家庭領域でも自由化を歓迎するアナーキズム(アナルコ・キャピタリズム)と逆に家庭領域については保守的な考え方(家庭・性道徳の重視、妊娠中絶などには批判的)の新保守主義に分けられるのだ。
実は読者にお詫びをしなければらないないのだが、俺は最近まで曲解していた部分があって、家庭も重要視する規制緩和派と家庭も自由化歓迎の規制緩和派を混同していた部分がある。
新自由主義(ネオリベラリズム)という括りの中が、経済は自由で家庭は保守指向の新保守主義(ネオ・コンサバティズム)と、経済も家庭も自由化である「政府最小論」的な思想に二分されているのだ。
後者の「政府最小論」的思想には、アナルコ・キャピタリズムがその典型例として含まれているが、今のところ、当ブログ管理人は「社会ダーウィニズム論」の本質もそれとほぼ同義だと解釈している。その著書は読んだことが無いのだが、最初にケインズ批判を始めたフリードマンもそうだったんじゃないかな。
| | 経済領域 |
| 保守派 | 自由化 |
| 家庭領域 | 保守派 | 護送船団方式
ケインズ思想 | 新保守主義
サッチャリズム |
| 自由化 | 社会民主主義 |
社会進化論(ダーウィニズム)
アナルコ・キャピタリズム |
小泉・竹中はダーウィニズム論者だ。ダーウィンの理論を徹底するならば、家庭領域も自由化が推進される筈なのだ。しかし、米帝も英帝もそうはなっていないし、日本もそれを後追いしそうな情勢なのだ。
先月に書いた『ニートに説教する細木数子の背後には、観念論で労働者を搾取する資本家がいるということ』という記事を読み返してもらいたい。
結局、現代民主主義国家においては今のところ、資本家は「地道に働いて、結婚して家庭を築くことの尊さ」だとか、「結婚して住宅を持てる」などという餌で釣ることの他に、労働者を効率的に扱き使う方法を考案していないということかも知れないと思う。
ダーウィニズム理論が完全に政治経済に組み込まれるならば、一生独身の低賃金労働者は社会の多数派になる一方で、富裕層の一夫多妻制が認められる筈なのだ。
でも、そうはならないだろ。少子高齢化が深刻な社会問題とされている日本では、今後も結婚・出産を促す政策が打ち出されると思われるし、その解決のために「家庭や地域の繋がり」の大切さを謳う奴の声は小さくならないと思う。そのために若年層の就労支援が今後も規模を増やすようになるかも知れない。
要するに、日本も米帝も経済領域では自由化が推進される一方で、家庭領域では保守化に向かうのだ。それはダーウィニズムとは呼べないものだと思う。
つまり、小泉が退陣した後はダーウィニズム思想を持っている奴は急速に存在感が小さくなり、経済領域では自由化、家庭領域では保守化の奴が幅を利かせるのかも知れない。男女共同参画などでは少子化は解決できない。やっぱり、地域や家庭が大事だっていう意見が強くなる。
それは「一生結婚もできない人が増えている世の中は悲しい」などと感じている人にとっては、安堵できる情勢なのかなとは思う。つまり、政府は国民が結婚できる経済力を身につけるための就労に関しては、ある程度の支援をしてくれるということだからだ。
しかし、それは「家庭を築きたいという希望があっても、経済的な事情などで希望を持てなかった若者」には福音になるかも知れないけれど、俺はそういう流れも手放しでは歓迎しないのだ。何故なら、一度は観念論を打破したダーウィニズムを否定・隠匿するということは、無益な反動以外の何物でもないという懐疑の念を抱くからだ。それでは暗黒時代への逆戻りというか、21世紀にもなって、天動説を唱えているようなものじゃないか。
強いて分類すれば、俺の思想は基本的に新保守主義(ネオ・コンサバティズム)の正反対、(英帝を除いた)欧州諸国に多く見られる社会民主主義に近いのかも知れない。経済領域ではやや保守、家庭領域ではやや自由化である。
今の日本では共産党や社民党がそういうことを標榜している。ただし、欧州諸国のそれが国防のための核武装や軍拡を躊躇しないことに対して、日本の社会民主主義政党は逆に肯定的ではない大きな違いがあるし、現状ではとても支持できない。
それに俺は旧来の家庭観を重視する「個人」の考え方を決して否定するつもりはないし、女系天皇や移民の受け入れにも反対の立場なのだ。だから、欧州の社会民主主義とも異なるだろう。
一体、俺は何主義者なのだろうか?
よし、こうなったら、自分で新しい思想――「駄猫による新革命思想」を立ち上げてやるぜ!
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| 2006/05/13 18:13|政治|CM:0|▲
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ブログの記事の書き方だが、帰納法と演繹法の二通りの方法に分けることもできる。
帰納法は予め表現したいことが決まっていて、それを訴えるために説得力のある理論を積み上げていくやり方だ。
一方、演繹法はその逆で、自分でも何を訴えたいのかは分からない状態ながら、それでも取り上げたいテーマを成り行きに任せて書き始め、オチを手探りで考えていくやり方だ。
他にもそういうブロガーはいると思うが、俺個人は帰納法の方が書き易いと感じている。しかし、今のブログを書いて公開するという一括りされる行為自体は演繹的だなと思う。最近は少しずつ見えてきたのだが、突き詰めれば、読者に何を訴えたいのかについては、やりながら試行錯誤し続けているからだ。
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| 2006/05/13 18:11|ブログの運営に関する話|CM:0|▲
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昨日のその1の続きです。
今後、国(世界)の人口がどのように推移するかだなんて、株価を予測するようなものじゃないかということを書いた。
ある程度はその傾向を予測するぐらいのことはできなくもないし、政府や企業が息の長い対策で将来のトレンドを作ることも不可能ではないとは思う。
ところが、今の日本政府がやっている少子化対策は上がる見込みの薄い相場のナンピン買い下がりにしか見えないのだ。断言はできないけれど、人口減の傾向は今後、数十年は続くんじゃないかと見ている。
何かしらの革命的なことが起こって産業・社会のシステムが根底から覆されない限り、経済成長は頭打ちであり、それが成り立たなければ、人口増は望めないのだ。
少子化の原因は若い世代が不安定雇用に追いやられたせいで、家庭を築けるだけの経済力を身につけられないという原因を指摘する声も増えてきた。
例えば、終戦直後まで盛んだった炭鉱業は1950年代以降、エネルギー革命のせいで廃れてしまい、失業者が大量に発生しただろう。でも、受け皿になる産業(自動車など)があったから、働きながら家庭を築いて子供を育てる人は減らなかったのだと思う。
ところが、今は製造業などで国際競争が厳しくなっているから、低賃金雇用が増えてしまったが、そういう要因で減った分を他の産業で探しても家庭を築けるだけの賃金を得られる求人が無いのだ。
要するに、石炭が石油に取って代ったことのように、何らかの産業革命的な転換が起こりでもしない限り、多くの識者や為政者が期待する結果――下記のチャートのような推移はとても実現しないのだと思う(世間の殆どの奴は一笑に付していたことだが、ホリエモンの錬金術をもうしばらく放置して、「宇宙開発」やら「生命の研究」やらを好きにやらせてみれば、そういう可能性も見えてきたかも知れない)。更に多くの人口を養える発展を望むというのは、そういうことなのだ。

ここで予想される反論だが、今は昔と比べて、格段に生活水準が上がっているし、子供を育てる環境も悪くなっていないと指摘があるのだろう。
でも、それは極論を言えば、水商売で金を稼いだ奴の金銭感覚を改めるのが難しいことと等しいんじゃなかろうか。人間というものは、今も昔もそういうふうにできていると思う。子供を産まない人生を選択すれば、我が侭だと批判される。逆にフリーターで結婚して子供を産めば、碌な教育を与えられずに下流層だ・ドキュンだと馬鹿にされる。
ずっと前、『シングル・DINKS・負け犬を少子化懸念論者の批判罵倒から擁護する利己的遺伝子論』という記事でも触れたが、今の日本社会の状況は、ある程度の経済力を持たなければ、子供や孫の幸福・繁栄を図れないという構造がある(低学歴で社会に送り出したら、碌な仕事に就けず、野垂れ死にする可能性があるから、少数に集中投資して大学まで出した方が良いと計算する人が多い)。
子供を産みたくても、そういう事情で控えている人にとっては残念な話だが、この社会情勢は当分の間は変わらないだろうと思われる。あらゆる対策は焼け石に水で、下記のチャートのような傾向は避けられないんじゃないかと思う。

でも、今回、俺が書きたいことは少子化の話ではなくて別の推論なのだ。
昨日の記事で、「歴史が次の段階へ発展・移行する際は、人口は一旦、減少に転ずるか、横ばいに推移している」という書き出しで、世界の過去の歴史の話を書いたよな。
どうにかして、この傾向に歯止めを掛けたいと思っている奴が多いが、それを成し遂げるためには、今の社会を根底から変えるしかないのだ。
「宇宙開発」や「生命の研究」をやりたがっていたホリエモンが口先だけの起業家でなければ、その先陣を切っていたかも知れないが、証券犯罪で失脚して、それにお墨付きを与えていた小泉政権の改革も胡散臭さが明らかになってきた。公務員削減や天下りの規制などは実質、殆ど進んでいないだろ。今の好景気は企業が人件費を厳しく切り詰めただけの結果に過ぎない。
大きな視野で見れば、この社会は長い停滞に入ったと見るべきだろう。もう言うに及ばず、それが人口の推移に表れるのだ。
ここで思い出して欲しい。明治維新やフランス大革命のような歴史的大事件、キリスト教会がローマ帝国を乗っ取ったこと、ゲルマン民族の大移動などの世界情勢不安、いずれもそういう時代に起こっていることだ。
『日本の新自由主義は暗黒の共産主義への架け橋』という記事でバートランド・ラッセルという哲学者が主張していたことを紹介したが、唯物史観において、歴史が次の段階に移行する際の推進力の源は「マルクス主義を含む宗教運動」なのだ。
それは言い方を返れば、ユダヤ人の宗教を原型モデルとする「抑圧された者の宗教・心の拠り所」なのだけれど、今の日本政府の少子化対策に関わっているフェミニズム・男女共同参画もその性格が濃いものなのだ。
つまり、小泉の劇場選挙戦術・堀エモンのパフォーマンスは、護送船団方式で恩恵を受けた上の世代に抑圧された若年層にとっての「抑圧された者の宗教・心の拠り所」だった。新自由主義の政権と男女共同参画の相性が良いのも道理だ。
だが、ご存知の通り、堀エモンは失脚し、小泉改革の内実の無さも露呈している(結局、官僚の既得権益は殆どが温存される)。『ニートに説教する細木数子の背後には、観念論で労働者を搾取する資本家がいるということ』の記事でも指摘したことだが、今まで既得権を握っていた奴が今後も社会を牛耳っていく情勢がハッキリしてしまった。日本と自分たちの将来を抑圧している諸勢力の排除を信じていた若者に対する背信行為なのだ。
これが何を意味するかといえば、新たに「抑圧された者の宗教・心の拠り所」が必要とされることに他ならないではないか。
『今の日米関係は薩摩と江戸幕府の関係に似ている』という記事でも書いたが、今の世の中は江戸時代の享保期以降の社会に酷似しているのだ。産児制限(少子化)や幕府も諸藩も台所が火の車(国と地方の財政危機)であることが問題視されていることは明らかにそうだし、目立ち過ぎた豪商が取り潰されることはヒルズの長者が粉飾決算で摘発されていることと符号が合うように見えなくもない。
遠からず、世界では古代のキリスト教やマルクス主義に代わる新たな「抑圧された者の宗教・心の拠り所」が生み出されるかも知れない。そうなれば、それは日本にも伝播して、抑圧感が臨界点に達すれば、それを核にした運動は大政奉還・明治維新のような政変に昇華するのだ。多分、その前後に今の日米関係も激変するだろうし、人が大勢死ぬでしょう。
その行き着く先は、人々にとって幸福が約束されている世界なのかどうかは分からないけれど、今の日本社会はそんな歴史の大瀑布に向かって流れているような気がしている。
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| 2006/05/12 18:41|歴史の考察|CM:0|▲
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今日の日本の少子高齢化・人口減を「歯止めを掛けなければならない問題である」と認識する立場は、大きく二つに分かれるという見方ができる。
ひとつは「女性が働きながら子育てできる環境を整備すれば、少子化に歯止めが掛かる」というような考え方だ。フェミニズム・男女共同参画・ジェンダー・フリーの推進だ(共働き夫婦の尊重ばかりに偏った考えの持ち主もいれば、旧来の家族形態の許容も含めた上で家族の多様化・自由化を訴える人もいるが)。
そして、もうひとつは旧来の家族観・ジェンダー・ロールを重視して、「若い世代に家庭や子育ての大切さを教えるべきだ」などという保守的な考え方である。
私はどちらに対しても、ぶつけたい疑問を持っているのだけれど、今回のテーマとは乖離するので、後日に取り上げようと思う。
現在、この国は男女共同参画の観点からの対策に膨大な予算を組んでいるが、一向に出生率は回復する兆しが見られない。恐らく、ジェンダー・フリー的な政策をこれからも打ち続けようが、逆にジェンダー・ロールに路線転換しようが、子供の数を増やすことはできないと思う。
今までに何度か紹介したが、『人口減少
日本はこう変わる』(古田隆彦著、PHP研究所)という本で予測されている通りに概ね推移するんじゃないかと見ている。
私がこの本のタイトルを何度も記事に出すのは、対話者として興味深い内容だなと感じているからだけれど、この著者が提唱している『人口波動説』の概念とそれを図表化したもの(縦軸は人口、横軸は年代にしたグラフである)を見ながら、色々と考察していたら、あることに思い至った。
日本も西欧諸国も人口推移が急角度で増加した後に横ばいか減少に転じるというトレンドを古来より何度か経験しているが、そういう時代に国や社会に起こった出来事にはある共通する要因が認められるのだ。
これも何度か触れてきたことだけれど、ライブドアが粉飾決算で摘発を受けて以来、新自由主義者の堀江貴文がマルキストの青木雄二と物の考え方が似ていることに気付いたことがきっかけで、そもそもマルクス思想というものは何なのかということに少し興味を持つようになった。
マルクスの歴史観にはこういう概念がある。歴史とは生産力の成長に応じて、社会が段階的に発展していくことだ。最初に原始共産制があって、その次に古代奴隷制、そして中世の封建社会に移行して、産業革命を経て資本主義が起こって、最後に資本の理論が行き着くところまで行ってしまった末に暴力で革命が成されて、共産主義が実現するという理想論だ(原始共産制→奴隷制→封建制→資本主義→共産主義)。
だから、故・青木雄二は郵政民営化の胡散臭さを指摘しながら、アメリカのシステムの受け入れを歓迎している節すらあったのだと思う。
そして、この日本には小泉改革を支持したり、新保守主義への移行を訴える左翼団体が現実に存在することも書いた。本心からナニワのマルクスと同じことを考えて期待しているのか、それとも別の意図があるのかは分からないが。
それは兎も角、件の本の日本を含めた世界の人口推移のグラフを見て気付いたことは、マルクスの唯物史観が人口の増減を描く折れ線のトレンドに合致することだ。
それは、歴史が次の段階へ発展・移行する際は、人口は一旦、減少に転ずるか、横ばいに推移しているということだ。
具体的なことを挙げると、西洋ではローマが帝政に移行してからだが、奴隷制を土台にしていた帝国の勢力伸張が頭打ちになった時期は人口も増えなかった。それが様々な要因で衰退して、激しい民族大移動があった動乱期を経て、西洋世界は中世封建制へ移行して再成長の時代に入ったのだ。
また、唯物史観では「封建制」の次に「資本主義」が来たとされているけれど、ここでは便宜上、封建制と資本主義の間に中央集権・絶対君主制を入れ、封建制は「中世封建制」と呼ぶことにしよう。
中世封建制の段階の成長は14世紀の初頭で行き詰った。ペストの流行、凶作と飢饉、教権と世俗君主権の対立、英仏の領土・権益争いなど、様々な不祥事で人口が激減した。
その混乱の中で、より高い生産力を実現させるシステムが模索されて、特にフランス王国は日本の室町期の守護大名に当たる封建領主は没落して、土地も経済力も中央の強い権力を握った国王に集約される国家に脱皮するのだ(ただし、フランスがそうなった時期、ドイツや東欧はその逆に向かったのだが、それは共産主義国家が実現してしまった要因に含まれる。後で詳述するが、実はフェミニズムも絡んでいると思う)。また、新大陸やアジアへの海洋進出も見逃せないだろう。そういう発展を経て、更に多くの人口を養える社会になったのだから。
勿論、絶対王政が革命で倒されて、共和制に移行して資本主義になる流れも、これで説明がつくことなのだ。
日本の場合、奈良時代や平安の初期がそうだったらしいが、分かり易くて、件の本でも詳しく取り上げられているのは江戸時代の半ばから後半のことだろう。
経済力・生産量が伸び悩む時代は人口が増えないという法則なのだ。それはミクロでは出産を控えるという穏やかな手段で抑制されることもあるが、寧ろ飢餓や戦乱で厳しい淘汰に晒されるケースの方が多いのだ。
そういう状況で古い制度を打破する維新思想が鍛錬され、やがて、より経済を発展させるシステムが古いものに取って代わるのだ。人間の歴史というものは、その繰り返しだったのだ。
ここで「繰り返しだった」と過去形で書いた意図だが、未来のことは分からないということに他ならないからだ。
俺はこの前、『読売オンラインの少子化論争を読んで』という記事で、「少子化の原因の議論なんて、株価はどうして変動するのか?」ということを延々と議論するようなものだというようなことを言った。
今後、国(世界)の人口がどのように推移するかだなんて、株価を予測するようなものじゃないかとも思う。
それでも相場の世界には安定して利益を出している人もいるし、損ばかりしている人もいる。人によっては、その傾向を予測するぐらいのことはできなくもないということの表れだろう。
また、無理な操作で一時的に株価を吊り上げたり、急落させることも不可能ではないし、政府や企業が息の長い対策で傾向を作ることもできなくもない。
尤も、今の政府がやっている少子化対策は上がる見込みの薄い相場のナンピン買い下がりに見えてしまう。年金の運用で穴を空けたことを見れば、そう思われても仕方が無いだろう。当ブログはそれに警鐘を発する立場で今後も記事を書いていく。
その2に続く。
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| 2006/05/11 20:31|歴史の考察|CM:0|▲
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著者は『NHKスペシャル フリーター漂流』や『フリーター417万人の衝撃』という番組を制作したディレクターである。
本のタイトルを見れば明らかだが、テーマはその番組と同じことで、それに登場したフリーターを取材した記録である。
『フリーター漂流』は製造業の請負会社で働く若者だけに焦点を絞った内容だった。それよりも1年前に放送された『フリーター417万人の衝撃』という番組で取り上げられたのは、製造アウトソーシングの世界に限った話ではなかった。
この取材の記録をまとめた形の本の内容は、そのふたつの番組と重なる部分もあるけれど、放送では語られなかった後日譚のような物も書かれている。
冒頭の目次の前の写真とインタビューのコラージュの作り――若い頃にいい加減な考えでフリーターを選んだ奴が歳を追う毎に焦りを募らせる姿の描写である。勿論、著者の意図は、世間のそういう誤ったイメージや「自己責任論」を変えさせることも含まれているが、こういう逆説からの入り方でそれができるかどうかは私個人はやや疑問に感じている。
でも、他に感想文をネットで公開している人の意見の中には、逆にそれを肯定的に評価している人もいる。実はそういう展開方法こそ、誤ったイメージを壊す効果が期待できる秀逸なやり方だというのだ。
どうなんでしょうね?
そういう罪作りな行為は玄田有史の『ニート』もそうだった。ニートも実はどちらかと言えば、裕福な家庭よりも子供の教育に金を掛けられない貧しい家庭から生まれてくる傾向がある。だから、「ニートは親が寄生を認められる裕福な家庭が悪い」というのも誤っている面が多々ある決めつけで、玄田先生はそれを訴えるべき立場なのに、あの本は大卒後にニートになった奴のインタビューばかりを長々と掲載してしまって、却って世間のそういう思い込みを助長してしまっている面もあるような気がする。
私は両方の番組を観たことがあるのだけれど、テレビで植えつけられた印象を翻されたり、それでは全く感じなかったようなことも書いてあって意外に感じたところも少なからずあった。
例えば、『フリーター漂流』に登場した札幌の中卒フリーターの山端という青年だけれど、那須塩原のあの工場を解雇されて札幌の実家に帰った後、ススキノのホストクラブでホスト見習いの職を得 |