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『国家の品格』(藤原正彦著、新潮社) 

国家の品格
国家の品格
posted with 簡単リンクくん at 2006.10.29
藤原 正彦著
新潮社 (2005.11)
通常24時間以内に発送します。


無批判に西洋思想を受け入れたことが災いして、日本の社会が荒廃したことを嘆く著者が、論理よりも情緒、外国語教育よりも国語教育、民主主義よりも武士道精神の重要性を訴えた内容だが、文字が大きく、厚さ・頁数も薄いから読み易いが、賛否が大きく極端に分かれている本ですね。書評を書く人の思想領域がハッキリする著作物の典型だろう。
『国家の品格』という著名や著者の数学者という肩書きから、もっと難しい歴史考察が展開される内容をイメージしたが、「情緒」の大切さを訴えるだけあって、他の多くの数学者にありがちな、理屈に固まった部分は殆ど感じなかった。

端的にいうと、著者の言うことは分からなくもないし、部分部分、賛同できるところ無くもないが、より優れた対案・政策を提示し切れていないというところで、昨今、巷に溢れている「格差社会を批判する本」やら「体制に否定的な本」と大差無いような気がした。

著者は米帝が政治力・軍事力で世界に拡大させている市場原理主義という経済思想や、それに迎合する日本の為政者、それに便乗して巨万の富を築いた実業家を嫌悪している。

しかし、俺は学が無いので、この著書をめぐる、もっと頭の良い人間の議論は分からない部分が多いのだけれど、この著者は西洋思想を曲解している部分もあるのではないかという感じがする。

例えば、「【市場原理主義】は勝者が全てを奪っても良いと正当化される論理だ。これは、間違っている。武士道精神では卑怯に抵触する振る舞いだ」などと書く。
古典派経済学も新古典派経済学も、そんなことは言っていないような気がするし、だからこそ、先進国の資産家は競うように寄付をやっているわけだろ。
とどのつまり、この間、「気のいい奴が一番になる」という記事で書いたことだが、国家社会も組織も、長く繁栄を平和を保つ法則は、互恵性がどれだけ保たれているかに掛かっている。
そうでなければ、欧米諸国はもっと早く繁栄が終わって、衰退に入っているのがハッキリと見て取れる筈である。
そういうことは東洋人の哲学にも、西洋人の哲学にも含まれていると思うんですよ。

逆に言うと、日本人は論理が欠けているから、今日の政治・社会の腐敗の遠因になっているのではないかとすら思う。

著者は論理を教育に持ち込むことに否定的で、47ページに会津藩の日新館という藩校の掟を引用している。
「人を殺してはいけない理由」は論理では説明できないから、「駄目なものは駄目」という価値観を押し付ける以外に無いと言う。
無論、著者が論理を全く否定しているわけでもないことは分かる。51ページで、「子供は反発して、後になって新しい価値観を見つけるかも知れないが、それはそれで良い」とも言っている。
でも、逆に言うと、非論理的な捨てる方針で戦後は社会を営んできたわけだが、50〜60年が過ぎても、論理を成熟させることもできなかった。
「駄目なものは駄目」っていう言葉を聞いて、旧・日本社会党の某議員を連想する。「消費税は反対。日米安保は憲法違反だから撤廃」の公約で議席を取っても、政権を取れば、今まで「黒」と言っていたことを「白」に翻した連中だ。
その欠陥こそが、今日の混迷の要因のひとつになっているではないか。

しかし、「世の中には様々な考え方を持った人がいるもんだな」とつくづく思う。
時々、このブログで取り上げる下記の本では、「人を殺してはいけない理由」も「他人の物を盗んではいけない理由」も「弱い者を助けなければいけない理由(いじめを減らす方法)」も「子供がみだりに異性と交遊してはいけない理由」も、西洋の生物学を根拠に論理的に詳述されているのだ。
恋愛科学研究所の藤田徳人は、全く「論理」の人ということで、この『国家の品格』の著者とは対極なのだ。とどのつまり、資本主義も共産主義も、それを見出した土台となる思想は「進化論」だが、この藤原サンがお嫌いな物の正体の核心はダーウィニズム思想なんじゃないかとも思う。

どうして勉強しなくちゃいけないの?
藤田 徳人著
PHP研究所 (2004.6)
この本は現在お取り扱いできません。


私がこの『国家の品格』を読んで得たことは、「論理」と「情緒」という二極で構成される「物差し」があるという概念の認識ぐらいだが、自分はどちらかといえば、「論理」寄りの人間なのだろう。

でも、誤解を恐れずに書けば、「共産主義ばかりでなく、資本主義・民主主義も欠陥だらけ」という著者の主張には一票を投じたい考えも持っている。
ハッキリ言って、今の日本の資本主義なんてインチキばかりの社会で、もう民主主義政治で革めることなど殆ど不可能、(自分が生きている間には、起こらないとは思うが)遅かれ早かれ暴力で転覆させられ、解体する運命は避けられないと予見している。
有権者にモラルがあって、50年100年先の国の将来を真剣に考えられる為政者を選挙で選べるなら、最善の制度なのだろう。しかし、そうじゃないから。92ページで、「国民が成熟した判断ができる」という大前提は永遠に満たされないという欠陥があると指摘しているが、ホントにそう思う。

しかし、それが悪いと思っても、例の人気ブロガーのように批判しかできなかったり、せいぜいが「新渡戸稲造の武士道が素晴らしい」ぐらいの理想論しか語れない人が殆どで、もうマトモな手続きでは社会は変えられない。国は破産まで一直線かも知れない。

それでも俺が「論理」を重視するのは、ある種の「同情心」からきている。
自殺や児童虐待やニートなどの問題がそうだが、昨今、政治的・経済的な問題を個人のモラルや人格の欠陥や教育の荒廃などと誤った原因にすり返る詐術があまりにも見苦しいと思っている。

スタート地点は、あの人気WEB日記を書いている女性と同じだったかも知れない。前回も書いたが、私の家庭も彼女と同じく、そういう政治の負の煽りを受けた層だし、自分は20代の丸十年、就職が困難な時期に重なった世代だ。
が、批判する対象(ダーウィニズム色に彩られた政治思想)を調べれば、西洋の「論理」を無視できないわけだが、経済苦に起因することはもとより、自殺する奴も子供を虐待する母親もニートも市場(自然界)の歪みの産物に過ぎないのだということが理解できるのだ。

つまり、今、日本の社会から、西洋の「論理」を抹消しようということは、そういう問題の本当の原因を益々、正しく理解されないようにすることに他ならず、今までに市場の歪みの結果として生じた問題を個人のモラルに帰させる詐術が大手を振って通る社会になる。

それじゃ、自殺などで死んでいった奴が浮かばれないだろ?

不安定雇用を増やして、自分たちに不遇を強いる政権をそれでも、日本の将来を考えた上でそれが最善と信じて支持した若年層に対して、あまりに失礼だろ?

だから、俺は西洋の「論理」を社会の表から隠蔽しようというムーブメントには賛同しないのだ。

この「論理」はある意味、「バカの壁」を破る鍵でもあると思う。が、精神力が弱い人間から「バカの壁」を奪えば、神経を患い易くなる面があるという諸刃の刃でもある。
だから、このブログは、人によっては有害なのかも知れないな。

それでも、そんな破壊的なことを書いているのは、自分の内面に「一発、ブン殴らなければ、気が済まない」とでもいうような感情があるからだろう。それが俺の「ロック」なのかも知れない。
2006/10/31 23:20|本の寸評、読書感想CM:0
 

『きっこの日記』のどこがロックなんだ? 

前回に引き続き、今回も『きっこの日記』のことを取り上げて、記事を書きたいと思う。

きっこの日記
きっこの日記
posted with 簡単リンクくん at 2006.10.15
きっこ著
白夜書房 (2006.10)
通常24時間以内に発送します。


書籍版の巻末には、ミュージシャンのサンプラザ中野の解説文が掲載されているが、俺はそれを読んで、ちょっとした違和感を感じた。

「きっこ」は福祉が切り下げられて、母親の医療費の捻出で苦労するようになったことがきっかけで、小泉純一郎前宰相の「構造改革」に代表される、自民党の新自由主義的政策を憎悪している。そして、そういう経験こそが、政治に関心を持つようになったきっかけだと、本でも書いている。
一方、サンプラザ中野と言えば、マネックス証券の社長との共著の株式投資がテーマの本などがそうだが、基本的に新自由主義的政策によって、金融が自由化する世の中を歓迎する立場に寄っているだろ。そんな人間が新自由主義者を嫌っているブロガーの書籍に好意的な解説文を寄越すなんて、矛盾とまでは言わないけれど、ちょっと変だなと思う。

でも、もっとおかしいと思ったことは、トンチンカンな賞賛文だ。
中野は「きっこのブログ」のことについて、社会に対しても、自己に対しても批評性が高くて、「秀逸なロック」だなんて評し、インターネット上で革命が起こる予感がするなどということを書いていたが、「笑わせるな」と言いたくなる。

「インターネット上で革命が起こる」どころか、インターネットの選別に堪えた情報のお陰で、若い有権者の票が去年の衆議院選挙の自民党の大勝に貢献した部分が大きく、「きっこ」が憂えている世の中になっている面があるじゃないか。

俺は何も、この本を貶す為にこんな記事を書いているわけではない。母親に対する孝心が行間から伝わってくる日記とか、俳句などの教養の深さは評価されるだろう。
でも、少なくとも政治の話については、「社民党の政策を一部、支持している」と書いていたことがあるが、朝日新聞などの記事と大差ない――明らかに左翼思想のバイアスの掛かった内容だ。ホントに批判精神が高いのか?

少なくとも、金融の自由化が促進されることを歓迎する立場の人間なら、間違っても、「このWEB日記は批判精神にも優れている」だなんて評価はできないだろう。「何でお前が?」って思うし、或いは、「このサンプラザ中野って言う人は、ちゃんと読んでいるのかな?」とも思う。

この内容のWEB日記がホントに秀逸な「ロック」だとされるならば、世の中の多くのロックは、その他のあらゆるサブカルも、為政者の「ガス抜き」の手段に堕しているということが表れているのではないかと思う。
そういえば、『バトル・ロワイアル』という小説の世界で、ロックについて、作中の登場人物の七原と川田が論議している場面があり、「国家(日本を模した全体主義の国)が国民に規制している筈の敵性音楽を演奏しても、何故か摘発されないのは、実はガス抜きの手段に利用しているからだ」などという話があったが、この『きっこの日記』だって、そうではない、とは言い切れない。

とどのつまり、こういうことだ。
自民党よりもマシな政党がないから、市場原理主義を受け入れる以外に、国力を立ち直らせる方法が無かったと思う人が多いから、多数決でそういう政治になっているわけで、それを批判する立場はベターな代案を国民に提示しなければいけないのだけれど、今のところ、賛同を多く集められる政策を打ち出せている奴はいないってことだ。
「きっこの日記」は政治について、何も代案を持ち合わせず、批判ばかりなんだよ。
今、仮に何らかの大きな不正を暴いて、自民党・安倍内閣を政権の座から追い落としたとしたら、その後はどこの政党の誰に日本の舵取りを任せればいいの?

何かを批判して、自分の訴えに多くの賛同を集めるためには、批判する対象を知り、それよりも良い案を提示する必要性があるわけだ。

この女性ブロガーは国民の誰もが安心して医療を受けられる社会、福祉の充実を願うなら、森永卓郎がアメリカ型社会よりも、欧州型の社会民主主義への移行を提唱しているように、良い案を提示したことがあるか?
そのモリタクのことだって、本にも掲載された「きっこの遠吠え」では、「森永卓郎は『非婚のすすめ』などというふざけた本を書く、無責任な個人主義者」などという罵倒で一蹴されているのだ。
自分と感性・思想が異なる相手の話には聞く耳を持たない。「バカの壁」の典型なのかなと思う。

俺もどちらかといえば、自民党の政治には批判的な思想の持ち主だ。それでも、大半の読者、第三者の目には真偽を確かめようが無い裏情報を根拠とした誹謗まがいの批判が多いことには辟易させられ、それも「毎日は読む気が失せた」理由のひとつだった。

大体、批判精神なんか無いだろ。
小泉の政治のせいで、経済苦による自殺が増えたと言いながら、ニートの問題の核心が分かっていない(「裕福な親の下にニートは増える」などという曲解)ことなんかがそうだ。

定期的にこのブログを読んでいる人なら、俺が生物学の話を書くようになった理由は、分かるだろう。
小泉内閣の構造改革の本質は何かと言えば、進化生物学の理論そのものだ。
これを批判するなら、ダーウィンやそれ以降の生物学を知らなければ、何も反撃できない。

あまり被害者意識を前面に押し出すようなことは、なるべく、ここには書きたくないが、俺も痛みを伴う構造改革の犠牲者の一人だ。それで、ウチの両親は人生設計が狂い、父親は思わぬ早世を迎えたところを目の当たりにしているから、「きっこ」と同様、今の自民党を憎悪するだけの背景は背負っている。

しかし、ここで肝心なことは、それを批判したり、闘争の対象と認識するならば、それが何なのかを知らなきゃいけないわけだ。

俺が指摘しているのは、「きっこの日記」の限界は、そういうことが欠如していることだ。だから、批判精神が優れているだなんて、中野は的外れなことを言っているなと冷笑しているんだよ。

確かに、独自の情報網を持っていて、教養が高く、親孝行者で、それが多くの読者を集めているわけだが、革命を起こす力なんか無いだろうと思っている。
これがロックだなんて、失笑させられる。「バカなことを言うな」と思う。

「俺のブログの方がよっぽど、ロックをやっているわ」と言いたい。
2006/10/30 23:17|ネットウォッチCM:0
 

『きっこの日記』周辺の諸々の二律背反 

きっこの日記
きっこの日記
posted with 簡単リンクくん at 2006.10.15
きっこ著
白夜書房 (2006.10)
通常24時間以内に発送します。


姉歯建築設計事務所がヒューザー、シノケン、木村建設から耐震強度を落とすように圧力を受けていたことが公になったのは、ちょうど1年ぐらい前だった。
建築業界の一連の不祥事に関わっている人物との、政界要人や胡散臭いIT起業家などの黒い人脈を暴露しているブログが俄かに世間の注目を集めた。
小泉政権の失政やその他、世の中のあらゆる不正や悪を憎み、独自のネットワークから得た情報をブログ・WEB日記でリークする自称「ヘアメークアーティスト」の女性の正体について、憶測が飛び交っている。

私もその頃から読み始めた口である。
当初は社会の裏側の情報の豊富さに圧倒されていたし、教養の高さやあれだけの文章量を毎日更新する能力については凄いと思う。
しかし、俺は遠からず、足が遠退くようになった。確か、ライブドアが家宅捜索を受けた後、株で損した個人投資家を馬鹿にするようなことを書いたことついて、ある種の違和感を抱いたことが最初だったと思うが、「毎日読みたいとは思わなくなる」まで、そう時間は掛からなかった。
そういう自分のネガティブな印象が何なのか、今までハッキリとは分からなかったのだが、出版化で話題性が急上昇している最近、やっとそれを文章としてまとめられるだけのものになった。今日はそれを書いてみようと思う。

例のWEB日記は最近、アパ・グループの会社ぐるみの違法行為を訴えているイーホームズの社長からのメールを公開し、アパの元谷外志雄と安倍晋三宰相の黒い繋がりを指摘している。
アパ・グループと言えば、2年前、大阪の天満駅の近くのホテルに泊まったことがあるが、部屋には女社長の自伝書とか、その夫でグループ総帥の元谷外志雄の国粋思想が満載の雑誌が置いてあり、限られた滞在時間で、それを少し読んだのを覚えている。
夫の元谷外志雄は兎も角、ホテルの経営者の元谷芙美子は表裏が無さそうな人だなという印象だったので、今度の疑惑は意外に思っている。川崎や埼玉県鶴ヶ島市マンションばかりでなく、ホテルの建物も疑わしいらしい。

元谷外志雄は右翼思想で、憲法改正して、日米の安全保障条約の強化を推進するつもりの安倍政権を強く支持しているわけだが、アメリカの覇権主義も嫌いな「きっこ」が嫌悪する対象の範疇だろう。

最近になって、やっと気付いたことがある。ライブドア・グループの株式で損した奴のことは馬鹿にするけれど、耐震強度が偽装された住宅を購入してしまった人には同情的なのだ。
ライブドアの有価証券報告書にしろ、マンションの構造計画書にしろ、当局が偽装・違法性を見逃したことで、虎の子を失った人が続出しているという問題の構造は同類のものだろ。
耐震強度が偽装された住宅を購入した人が気の毒なら、ライブドアの株式で損した奴だって被害者だろうと思うのだが、「きっこ」という女性の感覚では、株式取引はマルチ商法と同じということになっているのだろう。

俺は件の日記で公開された、イーホームズの社長のメールを読んで、「自分は日本の未来のために、正しいことをしているんだぜ」などという、どこか正義感に酔った文面に、ある種の嫌悪感を覚えた。今まで、自分が先頭を切って、自己に職業倫理を課さずに不正を見逃してきておいて、今更、正義面か?
そういうのを「五十歩百歩」って言うんだぜ。

俺は「きっこ」が日記上で糾弾する通り、「今回の問題とは関係の無い人」だから、こんなことを書けるのだろう。
でも、こんなことを書くと、怒られそうだが、逆に言うと、マンションを購入した当の被害者で、今度の告発に感動している人の心理は、マルチ商法が儲かると思ってハマったが、損したことが分かってから、加害者に対して怒りを覚えた奴の精神構造と似ているような気がしてならないのだ。
だから、ライブドアで大損こいた奴をバカにするようなことを書いた件の女史に対して、「株式投資とは関係の無い人だから、そんなことを書けるんだ」と言いたくもなる。

所詮、誰もが「バカの壁」に囲まれて生きている、ってことか。

世の中、二律背反(ダブル・スタンダード)ばかり、「きっこ」が敵視している安倍や元谷の政治思想だって同様だ。

GHQに押し付けられた憲法や教育制度などは、米帝が日本の将来の国力を弱体化させるために作ったものだ。だから、改正しなければならないぜ。でも、これからも日本にとって、米帝は安全保障上、欠かせないパートナーです。日米関係は重視しましょう。

「お前らも馬鹿か?」って聞きたい。
これが見え透いたお追従ではない、って言えるか?
こんなダブルスタンダードを標榜されて、真の意味で仲良くしてくれる奴がいるか?

アホ臭い世の中だ。
2006/10/29 23:13|ネットウォッチCM:3
 

気のいい奴が一番になる(『利己的な遺伝子』の12章) 

このブログで、これまでに何度か、下記の本に書いてある生物学の概念を根拠に、今の社会の問題について、自分の拙い意見を公開してきた。
もうしばらく、そういうことを続けるつもりでいるが、今日はこの本の12章の『気のいい奴が一番になる』にどんなことが書かれているのかについて、拙筆ながら内容を大雑把に紹介することを書きたいと思う。

この頃、北朝鮮などの外圧の脅威から、国と国民をどうやって護ろうかという議論も活発だが、国防の問題も生物進化学の概念抜きには論じ切れないのではないかと思う。近々、俺が思ったことも書こうと思うが、その前に予習してもらうつもりで、今日の話を始めたい。

利己的な遺伝子
リチャード・ドーキンス〔著〕 / 日高 敏隆〔ほか〕訳
紀伊国屋書店 (1991.2)
通常1-3週間以内に発送します。


最近になって知ったのだが、今年の5月に、この本の新装版が出たそうだ。もしかすると、それで興味を持って、このブログを読んでいる人もいるかも知れないな。

利己的な遺伝子
リチャード・ドーキンス〔著〕 / 日高 敏隆〔ほか〕訳
紀伊国屋書店 (2006.5)
通常24時間以内に発送します。


この本の12章「気のいい奴が一番になる」では、「囚人のジレンマ」及び「囚人のジレンマの反復」などと呼ばれるゲームのことと、アメリカのアクセルロッドという政治学者がこれにハマって、様々なシミュレーションを行った結果、興味深いデータを集めたことが紹介されている。「ゲーム理論」の一種である。
そして、「気のいい奴」とは、このゲームで勝ち残る確率が最も高い性格の持ち主のことに他ならないのだが、この法則はあらゆる生き物の生態系でも確認できるし、人間の社会も実はこれで成り立っている部分が大きいのだそうだ。

まず、「囚人のジレンマ」という単純なゲームのルールを説明するが、ゲームマスター(胴元・審判)の他にプレイヤーは2人いれば成り立ち、使用する道具は「信頼」と「背信・裏切り」の二種類のカードと、お金(「人生ゲーム」「モノポリー」などのボードゲームで使われるような仮想マネーでもいいし、本物の現金でも構わない)だけである。
まず、それぞれのプレイヤーには、「信頼」と「背信」のカードを1枚ずつ配られる。
プレイが始まると、マスターの指示に従って、それぞれのプレイヤーは「信頼」か「背信」のどちらかのカードを選び、2人同時にテーブルの上に伏して出す。
マスターが裏返すまで、2人のプレイヤーは互いに相手がどちらのカードを出したのかは分からない。結果は以下の4通りである。

1.自分も相手も「信頼」のカードを出した。
2.自分も相手も「背信」のカードを出した。
3.自分は「信頼」を出したのに、相手は「背信」を出した。
4.自分は「背信」を出したが、相手は「信頼」を出した。

結果に応じて、マスターはプレイヤーに対して、配当を支払ったり、逆に罰金を徴収したりする。

1の場合、両方のプレイヤーは300ドルの報酬を受け取る。
2の場合、両者は10ドルの罰金を徴収されてしまう。
3と4の場合、片方は馬鹿を見る。「信頼」を出した方は100ドルを徴収され、「背信」を出した方は500ドルの報酬を受け取る。

これが「囚人のジレンマ」などという名で呼ばれるのは、共犯の疑いで一緒に逮捕・拘束されている2人の犯罪者・囚人と警察・獄吏の関係を想起させられるから、だそうだ(つまり、自分の刑を少しでも軽くするため、相手に罪を擦り付ける・司法・警察に売る誘惑があるということだ)。

人間の社会の歴史も含めて、地球上の生物の進化はこれで説明がつけられるそうだが、諸国の為政者や学者は第三次世界大戦を未然に防ぐため、こういう概念の研究に熱心なんだそうだ。
俺もこの本、特にこの章を読んで、ホントにそう思う。核を保有している近隣諸国と、どうやって付き合っていくかを考える上で、無視できない話として、367ページで紹介されている、人間とその身体に寄生するバクテリアの関係もそうなんじゃないかと思う。

このゲームにハマったアクセルロッドという学者は、「どういう性格の持ち主が最も強いのか?」という疑問に対する答えを求めるため、 世の研究者から様々な戦略(性格)のアイデアを募集して、シミュレーションを行った。
その試みを二度、行った結果、いずれも「やられたら、やり返す」戦略が最も強いことが判明したそうだ。
一言に「やられたら、やり返す」と言っても、様々な亜種が考案されて、シミュレーションにエントリーしたのだけれど、要約すれば、「自分からは決して裏切らないが、「背信」を出した相手に対して、全く報復を行わないとは限らない、が、いつまでも裏切られたことを根に持たない」という性格の持ち主が遺伝的に最も勝ち残り易い。
それが他のあらゆる戦略(「どんなに裏切られても、絶対に自分は背信しない」「常に相手を欺き続ける」「一度、裏切られたら、二度とその相手を信用しない」「気まぐれに相手を裏切る」……等)を抑えて、一番なのだ。それが「気のいい奴が一番になる」という章の題の由来である。

しかし、この本で詳述されている理論も完全ではなく、環境によっては「やられたら、やり返す」よりも、「パブロフ戦略」の方が有利であるということも証明されているらしい。
だから、学会では現在のところ、世界(社会)全体がある戦略に収束するわけがなくて、様々な戦略が誕生しては滅んでゆく、「終わりなき進化」が繰り返されるだけっていう論を示す識者もいるそうだ。

政府が市場を放置するから大恐慌が起こった。だから、公共事業と福祉の大切さを訴えるケインズ理論が台頭した。ところが、それが行き詰れば、今度は新古典派という、政府の過剰な介入を批判する思想が出てきた。が、今では貧富の格差拡大のせいで、小さい政府思想、新自由主義の誤りが批判される。
その歴史は円環なのか螺旋状なのかは分からないが、経済に関しては、その通りなんだろうな。

しかし、bk1のレビューでも同じようなことを寄稿している人がいるが、この「気のいい奴が一番になる」は、ある種の生き方の道標になるかも知れない。

この記事の話(囚人のジレンマ)を読んで、何かを連想した人はいないかな?
福本伸行の『カイジ』という漫画の「ギャンブル・クルーズ、限定ジャンケン」編とか、中学生が閉鎖された島で、級友同士で殺し合いを強いられるストーリーで悪名高い『バトル・ロワイアル』というグロ小説もそうだろう。

どっちの作品でも、どんな登場人物が最後まで生き残れたか?
「お人好し」では、すぐに殺されてしまう。でも、常に他人を欺いて、自己の利益ばかりを露骨に追求する奴も、結局は悲惨な末路だ(カイジの船井とか)。
『カイジ』の伊藤カイジも『バトル・ロワイアル』の七原秋也も、人が好過ぎるところがあるし、危なっかしいところがあるが、決して全く復讐しない性格でもなかった。

個人は「気のいい奴」になることを心掛けてみるのも悪くない生き方かも知れない。

そして、俺はもうひとつ、ある推論に至ったのだが、組織でも国家でも、平和と繁栄を長く保つ法則・条件は、「互恵性が健全に保たれている」ことに尽きるのではないか、ということだ。

ところで、『利己的な遺伝子』を著したリチャード・ドーキンスという生物学者は、ダーウィニズムを完成させた偉人だと言われているが、俺はある妄想に至った。
皮肉な話だが、神を否定したチャールズ・ダーウィンは元々、敬虔な人間で、学生時代は神学を学んでいた(そういえば、平成日本のソーシャル・ダーウィニズム論者の典型、堀江貴文も東大では文学部の宗教学科に入学したそうだな)。

この『利己的な遺伝子』でも、それが臭ってくる部分があるのだが、そもそも、ユダヤ教やキリスト教の『聖書』という宗教文書は生物学のこういう法則について、複雑な暗喩を用いて説いている内容なのではないかというトンでもで罰当たりな憶測を誘われてしまうのだ。
前も少し書いたが、言い方を変えれば、もし、チャールズ・ダーウィンがその敬虔さを培える家庭環境に生まれていなければ、進化論を提唱できなかっただろうし、カール・マルクスも『資本論』を書けなかっただろうから、産業革命期以降の歴史が全然、変わっていたかも知れないってことだな。

この間、ユダヤ密教の「カバラ」の話を少し書いたが、霊的に高位に存在するということは、「囚人のジレンマ」において、決して「背信」のカードを出さない存在だということだ。否、そもそも「ジレンマ」という葛藤それ自体が有り得ない。
人類の遠い祖先はやっぱり「人間」なのか、それとも、聖書に書いてあることは嘘で、実はアメーバのような存在だったのかは分からないが、元々、我々人類の「祖先」は「信頼」し合って栄えていた。
ところが、何らかの突然変異により、「背信」する個体が発生した。
聖書の「蛇の誘惑」や「カインの兄弟殺し」とか、ギリシャ神話では、世界の歴史が「黄金の時代」「銀の時代」「青銅の時代」「鉄の時代」に区分されたこととか、パンドラが「開けてはいけない箱」を開けてしまった話などは、実はそういうことを示唆する隠喩の話なのではないのか。
元々、地球上に存在した生物、自然界は「信頼」だけで成り立っていたのだけれど、それが何らかの変動か、ある上位の存在(神?)の悪意によって、人も含めて、常に「囚人のジレンマ」に苛まされるように宿命づけられてしまった。
そんな妄想も募っているのである。
2006/10/28 23:50|ダーウィニズムの考察CM:0
 

『バカの壁』(養老孟司著。新潮社) 

バカの壁
バカの壁
posted with 簡単リンクくん at 2006.10.25
養老 孟司著
新潮社 (2003.4)
通常24時間以内に発送します。


今更ながら読んでみたけれど、こんな内容の物がベストセラーで、流行語大賞にエントリーされただなんて、信じられない。

特に斬新なことが書かれているとは思えなかった。
心理学の基本的な知識にこれと同じと思われる内容の講釈はあるし、例えば、「脳内の一次方程式」の話だけれど、『ドラえもん』や『ベルセルク』といった漫画で、同じ趣旨のテーマを扱った話をとっくの昔に読んだことがある。『ドラえもん』は「石ころ帽子」という道具がそうだし、『ベルセルク』は「縛鎖の章」のエルフの姿が見える人と見えない人の違いについての話がそうだと思う。

123ページ辺りのホームレスの話を読むと、著者自身が「バカの壁」に囚われていることを雄弁に証明しているように感じられた。

そういえば、『下流社会』の三浦展が、その著書に「バカの壁」を引用して、情報通信の発達と経済格差拡大によって、自分と異なる世界・社会の住人と交流しなくなる人が増えることについて、憂慮するようなことを書いているが、「そのことの何が悪いのか?」と疑問に思う。

俺の考えを要約すると、為政者とか、軍人とか、ある程度の規模の大きさの企業の経営者とか、医者や法曹家など、社会的地位が高い人には、この著者(正確に言うと、この人の話したことを編集者が文章化したのだが)の訴えていることをよく心得て欲しいとは思う。

が、それ以外の社会の大半を占める平々凡々には、必要なことなんだろうか?

人によって程度の差はあれ、自分が興味を持たない情報は無視して、深く考えないことなど、ごく自然な習性だろう。
大体、こんなことを意識して生きていたら、人生は面白くなくなる部分やストレスが溜まる負の効果があるような気がする。
ニートや引き篭もりが増えている、もうひとつの原因を挙げることになるが、社会で人や情報の流動が激しくなって、それによって蒙るストレス量も増えているからだろう。
人間の精神はそのストレスから心身を守るために、興味の無いことを遮断する心の壁を築く防衛本能が働くようにできているのではないかと思う。

では、こんな記事を書いている俺も、「バカの壁」の住人だろうか?
そうとは思わない読者もいるだろうし、逆にそうだと感じられている読者もいると思う。
もし、俺がバカの壁の住人ではないとすれば、上記のことを雄弁に語っていることになるだろう。丹念にログを読んでいる人なら気付いていると思うが、俺が神経症っぽいのは、「バカの壁」という結界を身に纏っていないからである。

もし、俺もそうだとしたら、アマゾンのレビューの2006/10/19付の投稿文が、俺の意図を分かり易く代弁してくれていると思う。
2006/10/26 00:02|本の寸評、読書感想CM:0
 

『ゲド戦記』 

遅まきながら、スタジオジブリによってアニメ映画化された『ゲド戦記』を観てきました。

まず、観る前に想像していたよりは、良かったと感じた。
どーせ、親の七光りで監督になった奴の作品なんか高が知れているなと思っていて、観る前の印象は最低に近かったので、そういうふうに感じられるのかも知れない。

この前のスタジオジブリの作品――『ハウルの動く城』は何でも詰め込み過ぎの感があって、頭の悪い俺には意味不明な内容だったが、今度の作品は、訴えたいことをほどほどの量にテーマを絞り込んで、エンターテイメントの王道をやっているなと感じた。まぁ、おかしな部分もあったが……。でも、ハウルよりはマシだったかね。

この映画の感想文をブログに書いている人も多いが、あるブログを読んだら、「これは『少子化対策』の国策映画だ」みたいな評され方をしていた。要するに、新しい命を後世に繋ぐことの尊さを訴えて、意図して子供を産むことを避けている人が多い社会を暗に批判している部分があると言うのだ。
ホントにそういう内容も含まれていると感じたが、俺が想像していたよりも分かり易かった。もっと、手の込んだ隠喩を用いられているんじゃないかと予想していたが、そうでもなかった。
少子化問題に限らず、自殺者が増えている問題とか、親が子を、逆に子が親を殺害する事件が報道されることが多くなった社会に対して、命の大切さをストレートに訴えている作品なのだろう。

他にも分かり易過ぎるテーマとして指摘できることは、不老不死の肉体を欲するクモという悪役の存在である。
覚えているだろ。堀江モンという愛称で呼ばれていた起業家の大言壮語をな。


僕は死なないと思っています。アブナイ奴と誤解しないで下さい。
突拍子もないことを言っているようですが、死の仕組みをきちんと解明して、死なないような仕組みをつくればいいだけの話です。当然、現在の科学のままでは、死は避けることはできません。
しかし、そこであきらめてしまい、死を正当化してしまっていいのでしょうか。誰でも死にたくないものです。それなのに、誰もが死は避けられないものと、はじめからあきらめてしまっているのです。
僕は死なないための努力を放棄したくないと思うのです。


『稼ぐが勝ち』(光文社、堀江貴文著)


こんなことを公言している起業家の凋落がハッキリした時期に、こういう内容の映画が公開されたわけだよ。偶然にしては、出来過ぎているような気がするな。

でも、逆に言うと、そういう分かり易さこそ、この作品を低く評価する材料にする人もいるかも知れない。それ以外のことで、駄作だって言っている奴は多そうだがな。
アレンの父王殺しの場面だが、最初はおかしくなった父親に殺されそうになり、国を飛び出すという脚本だったらしい。ところが、プロデューサーの鈴木敏夫が「今の時代を考えると、息子が父を刺すという話の方がリアルだ」などと発案して、宮崎吾郎がそれを採用したのだ。
そこまで、分かり易い理由で脚本が書かれた経緯を知ると、却ってダサい・安っぽいと感じる面もある。

他に細かいところで、「こりゃダメだな」と感じる部分を挙げると、人見知りが激しく、アレンに対する第一印象が最悪だったテルーが、例の盗作を疑われている歌を唄っている場面の直後、心を開いてアレンと会話する展開は唐突過ぎて、もっとその過程を丁寧に描写して欲しかった。
あと、最後はアレンが父殺しの償いをするために帰国するという決意をテルーに告げるが、その後にエンディングのソングが流れて、4人が何の屈託も無い表情で談笑する絵が出てくるが、重い罪を背負った人間を見送る直前に、あんな表情ができる人間がいるか?(どうやら、アレンは国へ帰れば、死罪は免れられないらしい)
変な不自然さが感じられるのを抑えられなかった。

ハッキリ言えば、最近、俺がよくブログの記事にしている欧米渡来の「進化論」の考え方と、この作品の根底にある生命観は相容れない思想だ。
つまり、進化学の観点では、一見、自分の命(と他者の命)を粗末にしているように見える人でも、実は子孫繁栄に貢献しているというパラドックスを孕んでいることが分かるという話だ。
やろうと思えば、この作品で訴えられていることを否定する材料を幾らでも探してこられるだろう。
でも、「こういう考え方があっても悪くは無いな」とも思うので、特にそういうことを記事にまとめるつもりはない。
2006/10/23 23:00|漫画、アニメCM:1
 

戦争の見えない原因 

北朝鮮の核実験のことで国際社会は緊張感が高まっているが、日本国内では「いじめを苦にした自殺」や「ネット心中・集団自殺」が相次いで報道されている。
インターネットが普及するよりも前から感じていることだが、こういうことが数ヶ月おきぐらいにあるような気がする。最初に自殺する奴が出たら、連鎖反応が起きたかのように、他にも同じく、自殺する人間が続出するのだ。
が、決して、メディアの影響による触発ではないと思う。

1998年以来、全国の毎年の自殺者数は3万人以上を数えているが、一説によれば、その10倍の「自殺予備軍」がいると言われている。日本人の6人に1人は鬱病の兆候があるのではないかとも言われている。

そういう精神の病を患っている人(俗に言う、メンタル系)とか、いじめや経済苦などで悩んでいる人のWEB日記やブログの中には、国や社会の崩壊を願うようなことを書いている人がいる。

明日にでも、米軍基地のある地域や日本海側のどこかの都市が火の海と化すか、都心の鉄道網ではテロリストにサリンを散布されるかも知れない危険な国際情勢になっている中、「自殺」に関するニュースが多いことを見ていると、俺は昔、読んだ本を思い出す。

それは、『秘法カバラ数秘術 古代ユダヤの秘占・運命解読法』(斉藤啓一、学研)という新書版の本だ(もう、20年近く前に出た本なのに、これを書いている2006年10月の時点でも、リンク先――bk1では取り扱われていることには驚いた)。
『カバラ』とは、ユダヤ教の伝統に基づいた神秘主義思想で、独特の宇宙観を持っていることから、仏教の神秘思想である密教との類似性を指摘されることがある。この本の著者もそういう喩え方を用いているが、ユダヤ人・ユダヤ教徒の密教なのだ。
この本の内容はタイトルから容易に察しがつくと思うが、その思想を土台にした占いの方法を平易に解説した内容なのだ。

偶然だが、俺は『新世紀エヴァンゲリオン』が初めてテレビで放送される時期に、この本を手に取った。
例のアニメ番組のオープニングのアニメで、ユダヤ密教の曼荼羅とも呼べる『セフィロト(生命の樹)』の絵図が描写されていたけれど、それが何なのかについても、簡単に解説されている。

この宇宙には、『生命の樹』は四本存在しており、それはそのまま、霊的な階層を形成している。
一番上から、『アツィルト(神性界)』、『ベリアー(創造界)』、『イェツィラー(形成界)』、『アッシャー(物質界)』の順になっている。アツィルトは「神そのもの」と呼べるかも知れないし、神が自らの姿に似せて創った神人――全てにおいて完璧な存在『アダム・カドモン』がいることになっている。そして、この『アダム・カドモン』は人類の霊魂の集合体なのだそうだ。
ところが、ベリアーに下りると、それは劣化のために分裂し、更にイェツィラーに下ると、男と女に分かれてしまう。このあたりは旧約聖書の『創世記』の冒頭で出てくるエデンの園のことであり、「蛇の誘惑」や「カインの兄弟殺し」を経て、人間の霊魂は、悪魔そのものに喩えられる最下層のアッシャーへ転落してしまったわけだ。
仏教の『十界』の概念と同じようなものと思っていただいても構わないかも知れない。

つまり、アッシャーに存在している人間は、個々では何らかの短所を抱えていて、欠陥だらけの存在なのだ。
だから、人は自分の短所を補う人間と付き合って、相手に学びながら生きなければならないのだが、それこそが生きる目的・人間がこの世に生まれてきた意味なのだ。……というのが、この本の著者が訴えていることだ。
その努力が実って、精神性が高まることで、自分の霊魂をより上層の世界に属させることが可能になり、肉体(物質)から開放されて、ヒーリングなどの超能力を持つようになる。

『エヴァンゲリオン』に登場する「人類補完計画」というキーワードの意味だが、つまり、そういうことを人為的に実行しようという運動なのだと思う(因みに、『ドラゴンボール』のナメック星人は、男女の区別が無く、超能力を有しているから、ベリアーに属する生命体と呼べるかも知れない)。
今のところ、俺は耳にしたことが無いが、『新世紀エヴァンゲリオン』という作品がこんなにヒットしているなら、参考文献として、この本の名前が挙げられても不思議ではないと思うのだ。

話が脇道に逸れ過ぎた。
本題に戻るが、この本の占いが「的中するかどうか?」とか、そういう霊的な概念の正否は兎も角、俺が気になったのは、この本の著者のあとがきである。
この本が出たばかりの頃(1986年、チェルノブイリ原発事故があった年)も、ノストラダムスの例の予言を越えた21世紀の今日も、世の中が悪いのは同じようなものだけれど、この人は「政治や教育が乱れているが、その根本原因を探っていくと、霊的な未熟さに至る」ということを書いている。そして、核で人類が滅亡の危機に瀕しているのは、霊的に堕落した人間一人一人の負の想念のせいだと断じている。
負の想念――つまり、怒りとか嘆きとか憎悪といったマイナスの想念を発していると、周囲に拡散されるが、多くの人間のそれが集積すると、ある種の複合観念を持ち、為政者の心を操って、その国家、ひいては人類全体を破滅に導いてしまう危険がある。著者はそういう警鐘を発して、読者にカバラの知識を用いて、自己の霊的な向上に努力することを訴えて、あとがきを結んでいる。

霊性・精神性を向上させることによって、世界平和が実現するだなんて絵空事だと思うが、こういうカバラの概念について考えると、心理学の集合的無意識という概念を連想してしまう。

少し曲解しているかも知れないが、簡単に説明すると、心理学において、個人の無意識よりも更に深い領域には、集団、民族、国家、人類といった大きな枠組に普遍的に存在する領域なのだが、個人のそれと相互し合っているのだと思う。

きっと、私もそういうところがあるけれど、「いじめ」や精神の病で苦しんでいる人や、就職難・失業などで経済的に追い込まれている人が書いているブログの中には、時折、地震等の天災や北朝鮮の核攻撃で日本が滅びればいいなどと書かれているのを見掛けることがある。

北朝鮮から原子爆弾を積んだ弾道ミサイルが、本当に弓状列島を狙って発射される危機が現実性を帯びているが、実は人々の心の持ち方こそが、集合的無意識に悪影響を及ぼし、それが為政者の心理に反映されて、あらゆる凶事を招く根本的な原因となっている部分もあるのではないかと妄想している。

オカルトが嫌いな人は、この記事を読むことを途中で止めていると思うが、もっと科学的な話もある。
同じ環境で育てている草花でも、世話している人に優しい言葉を掛けられている物は、綺麗な花を咲かせ易いが、何も声を掛けられないままだったり、逆にネガティブな言葉を掛けられていると、枯れ易いということがある実験で証明されているらしい。

かつての大戦もそうだっただろうし、今日の国家・社会の危機だって、マイナスのオーラを発してしまう人が急増している結果の表れなのだろう。
2006/10/22 00:00|歴史の考察CM:0
 

代理出産の是非をめぐる議論に思う 

子宮を摘出した「娘に代わって」子供を産むため、娘夫婦の受精卵を自身の子宮に移植して、「孫を出産した祖母」のことが激しい物議の対象になりそうだ。

早計に善悪を決め付けられない問題だと思っているが、私の基本的な物の考え方として、「道徳上・倫理上、正しいとされることが、人の幸福と結びつくとは限らない」ということがある。

なので、こういう出産の形を受け入れず、批判する世の声は狭量過ぎるという感じもしなくない。
が、当の子供にとっては、「祖母が自分を出産して、両親の養子になる」という人生はどうなんだろうか?
将来、事実を知った時、自分の生を素直に喜べず、逆に両親や祖母に憎しみすら覚えるかも知れない。

あまり賛同は得られないと思うが、そういうパラドックスを解消する策として、俺はふたつの案をもっている。
ひとつは、まず、「戸籍に記載する両親の名は飽く迄、精子と卵子の持ち主とするように、法を改正することはできないのだろうか?」という素朴な疑問を感じたということがある。現状、その上で、子供には出生の秘密は一生、伏せておいた方が無難だろうと思う。
もうひとつは、もう、こういう出産を容認し、なし崩し的に増やしてしまって、そういう出生を背負う人間が多数いるのが当たり前の世の中を作ってしまう以外に無いのではないかと思う。

いずれにしろ、根津ドクターは「幸福追求権」を根拠に自分の医療行為の正当性を訴えているが、産まれてくる子供の幸福も尊重されるようにしなければダメなんじゃなかろうか。代理出産に賛成の人には、そういう想像力も忘れないで欲しいと言いたい。

結局、早計に善悪を談じることは俺も書けないのだが、この問題を記事に取り上げているブログを幾つか読んで、ある種の反感を覚えたのは、今の日本の少子化現象を大問題視している立場の中で、この代理出産に批判的な記事を書いている奴だ(どちらかといえば、保守的な思想の持ち主に多いような気がする)。
「若年層の人口が減ると、社会保障制度が崩れる。経済が衰退する。移民で治安が悪くなる。だから、子供を産まない世帯は国や社会に対する義務を果たしていないんだから、税を余計に負担しろ。年金を受給する資格は無いぜ。子供を産んで育てる経験を持たない人間は、その分、成長の機会を持たないわけだから、人間として成熟していない」
こういうことを言う人の主張は、それが正しいかどうかは兎も角、子供を育てることが幸福になるという価値観の決め付けに落ち着く。

だから、健康上の理由で、それが適わない人を救うために、根津医師は扶助生殖医療(非配偶者間体外受精・代理出産)を推進する会を結成したんだろ。
「いくら、少子化でも、自然の摂理に反している」などと言って、それに反対するって、どういうこと?
今の世の中、そういう価値観の押し付けが、「自然に反する」生殖行為を選択せざるを得ない人を増やす罪作りな面が多々あるような気がする。
2006/10/21 09:55|医療、健康CM:0
 

いじめが起こる原因 

北朝鮮が核実験を強行するというニュースに世間が震撼するより少し前のことだが、北海道の滝川で小学校6年生の女の子が学校での「いじめ」を苦にして、遺書を残して自殺したというニュースを読んだ。

今はインターネットを利用して、ブログなどで自分の意見を広く発表することが容易になったから、この問題についても、自分の考え方を主張している人が多い。
幾つか読んだけれど、中には自殺した子の親の責任を問うようなことを書いている人もいた。
「子供の様子が少しでもおかしければ、分からない方がおかしい」などという批判だ。

私は子供を育てたことが無いから偉そうなことは言えないのだが、子供は大人が想像している以上に、家の外での状況の変化を悟られないように隠すのが上手いのではないかと思う。

「北海道」「いじめ」と言えば、10年位前、酷いニュースを読んだことがある。
公立の中学校で、ある女子生徒が10人ぐらいの男子生徒に輪姦されていた。学校の先生は女子生徒に救いを求められても見て見ぬ振りをしたそうだが、後で女子生徒の両親は学校の不誠実な態度を裁判で訴え、損害賠償を求めたんだそうだ。

でも、そういう性的ないじめも多いみたいで、ネットで体験談が多く読めるところがある。
新聞とかに載った北海道の10年前のその事件は氷山の一角と呼べる例外で、大抵はそういうことを親に言える訳がないだろ。

いじめに苦しんでいる子供をどう助けるかという課題については今回の記事では預けるが、いじめが起こる原因について、自分が考えていることを書こうと思う。

恐らく、いじめの加害者の子供は家庭で両親から虐待されているのだ。或いは学校の先生とか、もっと強い上級生から虐げられているのかも知れない。
加害者の子供の母親は父親に暴力を振るわれているだろうし、女房に暴力を振るっている亭主は勤務先の会社で上司からいじめられているのだろう(自営業者だったら、いつも仕事をもらっている元請企業から、色々と無理難題を言われて苦しい思いをしているだろう)。
その上司だって、会社の経営者の理不尽な仕打ちに悩んでいるだろう……。
そういう連鎖を辿って行くと、日本という国の政府や官庁もそうだろうし、一番上はアメリカとか、ロシアとか、中国とか、世界のがさつな民族の国家に行き着くのだ。

……こんな感じのことが、マルキスト・青木雄二の本に書かれていた。「だから、資本主義は間違っている・矛盾だらけだ」みたいな、この人のお決まりの持論に流れていく。
その持論(資本主義よりも共産主義の方がいい)に賛同できなくても、概ね的を得ているモノの見方であることは確かだと思う。

でも、興味深いことだが、恋愛科学研究所の藤田徳人は、共産主義者の青木雄二とは逆に「自由競争が徹底している社会の方が、平等が強要されている社会主義の社会よりも、いじめは少ない」と言っている。
俺がこのブログで何度か紹介している教育をテーマにした下記の著書には、いじめを無くす方法について、具体的な提言が書かれている。

どうして勉強しなくちゃいけないの?
藤田 徳人著
PHP研究所 (2004.6)
この本は現在お取り扱いできません。


詳しくは、読んでもらった方が良いが、凡そのことを書くと、自由な競争が容認されれば、格差が拡大しても、勝者は自発的にボランティアをやるから、結果として、資本主義の社会は共産主義よりも全体的に豊かになれるし、子供のいじめなどの問題も少なくなるなどという理屈だ。
だから、子供にボランティアの重要性を教育するべきだと提言しているのだけれど、学校や大人が義務として押し付けるのは無意味で、飽く迄、自分の意思で自発的に行うように誘導する教育が必要だと主張している。
つまり、安倍宰相の「大学入学者に半年間、奉仕を義務付ける」というアイデアも駄目だということだな。

俺は藤田の提案は試してみるだけの価値はあると思うが、資本主義の社会は共産主義の社会と比べて、いじめが少ないというのは嘘だと思う。
上に書いたけれど、結局、「いじめの連鎖」を上へ遡っていけば、アメリカのような市場経済の国もあれば、共産主義の国もあるのだと思う。

結局、子供のいじめの問題は、大人社会の照応であるから、それを綺麗にしない限り、加害者もそうだけれど、家庭の両親や学校の責任を問うても、根本的な対策にならないと思うし、無くすことは殆ど不可能に近いような気がする。
現実問題として、いじめを受けている本人や、その周囲の人々の対策を考えなければならないと考えるが、それは別の機会に考えようと思う。
2006/10/18 23:00|教育CM:0
 

今度は『新平等社会』だってさ 

新平等社会
新平等社会
posted with 簡単リンクくん at 2006.10.14
山田 昌弘著
文芸春秋 (2006.9)
通常24時間以内に発送します。


ザッと一読した限りで書いているが、『希望格差社会』などで記述した内容を繰り返している部分や、幾らか補足するようなことを書いている部分が大半だ。が、微妙に主張が変わっている部分もあるなとも感じた。

『希望格差社会』の内容との相違点は、希望を喪失する人間を増やさないためにも、大企業や資産家に対して、ある程度の負担を要求することをハッキリと書いてあるところだ。
確か、『希望格差社会』では「企業にこれ以上の負担は求められない。それをやれば、資本が海外へ逃避してしまう」などと書いていたが、この『新平等社会』では一転して、企業や資産家のフリーライドを批判する論調に変わり、森永卓郎のようなことを書いているのだ。

それから、少子化問題についてだが、7年前に著した『パラサイト・シングルの時代』では散々、少子高齢化の弊害を書き連ねていたものが、この新著では政治が少子化に対応した制度を整備すれば、経済が縮小はしても、国民生活は貧しくならないことを認めるようになった。
しかし、それでも「少子高齢化楽観論の盲点」などと題して、少子高齢化は歯止めを掛けるべき問題との認識は退けていない。社会保障制度の維持の根幹に関わる大問題として、出生率の上昇を促す対策の必要性を訴えているのだ。

そういえば、今度の総理大臣の安倍晋三も少子化問題について、同じような認識を示している。

では、少子化の原因は何かといえば、この本の著者は非婚・晩婚の増加を指摘しており、それは何故、増えているのかという理由は、「親元から独立して、結婚することにより、生活水準が下がることを嫌がる若者が増えている」ことを前々から指摘しているわけだ。この本でも詳述されているのだが、現代人は生活水準が高くなってしまっているから、それを下げてまで、結婚して子供を産みたくないということなのだ。
それに加えて、『希望格差社会』でも詳述した、「家族がリスクの震源地になっている」という要因も繰り返して記述されている。特に男性の未婚者の多くが収入が低いことを統計データで認められることを指摘して、あらゆるリスクから「弱者」を守る機能が社会に乏しく、本人の能力でも対応できないから、男も女も新しい家庭を作ることを先延ばしにしている奴が増えていると指摘している。

そういう現象が社会保障制度の維持に支障を生じさせ、将来の社会不安の原因になるから、何らかの対策をやって、非婚や晩婚に歯止めを掛けなければならないと警鐘を発する論の運び方になっていた。
要するに、「恒産無き者に恒心無し」ということも言っているわけだ。金も家族も無い人間は、池田小事件とか、奈良の新聞販売店員による女子小学生殺害事件とか、JR下関駅の放火事件みたいに、ヤケッパチの凶悪犯罪に走り易いということだ。
それに、変な新興宗教団体や公明党のような政教分離に反した政党が跳梁する原因にもなっているのではないかと思う(『希望格差社会』では、遠回しにそういう懸念を指摘しているなと感じる部分がある)。

だから、著者は労働問題について、単にフリーターを正社員へ就労させるための職業訓練の制度を整える他に、低賃金の定型作業に従事している労働者の処遇改善を訴えている。労働者のモラルやモチベーションを維持するために、一定の昇給を望める見通しを提示するべきだなどと提案している。
現行の社会保障制度については、基礎年金の一元化を訴えている。転職が頻繁になり、職業や家族形態が複雑化した現在、正社員の夫と専業主婦の妻を核にした家族形態しか想定していない制度は時代遅れだから、若者の不満が高まっている。年金は完全に個人単位で計算するようにして、どんな就業形態を取る者でも、現行の一階部分は完全に税方式で賄い、二階部分以上は任意で加入することができるシステムにするべきだという内容だ。
要約すると、若者の意識を家庭を築きたいという欲求に誘導するため、自立心を削がない形で、セーフティネットを整備しなければならないと訴えている内容だった。

評者(要するに、このブログを書いている俺のことだ)は、年金の基礎部分一元化にしろ、非正規雇用の処遇改善にしろ、概ね著者の提案に賛同するのだけれど、非婚や晩婚に劇的に歯止めを掛けて、出生率を回復する決め手になる対策は、少なくとも、この社会学者の先生の主張の中には殆ど無いような気がする。

年金・行政の福祉と少子化現象の関係についての話については、まだまだ書きたいことがあるので、後で別に記事として、まとめたいと思います。

でも、この本は立ち読みで済ますか、図書館で借りるか、古本屋で買って読めば良いだろう。
著者は大和総研の某社員から「こういう格差本を出せば、ヒットするぜ」などというアドバイスをもらったんだそうだ。これはこういうテーマを扱った書籍全般に言えることなんだけれど、そんな商売に乗せられているのかと思うと、定価で買うのは馬鹿馬鹿しく感じるわけだ。
2006/10/17 23:22|本の寸評、読書感想CM:0
 

危険運転の撲滅や交通事故の多発問題の根本的解決は、「脱・クルマ社会」しかない 

飲酒運転のドライバーのせいによる悲惨な事故が後を絶たないこともあって、危険運転致死傷罪などの刑罰の再強化を求める声が大きくなっている。

日本のモータリゼーションが抱えている課題は、大きく以下の三つに分けられると考える。

危険運転によって事故を起こしたドライバーに対する罰則が軽いという問題。
交通事故の被害者に対する補償の問題。
交通事故を未然に防ぐ、件数を減らす対策をしなければならないこと。

認知症を患っている高齢者が運転するクルマが、大きな幹線道路の反対車線を逆走することが原因の事故も増えているらしい。
この間はテレビのニュース番組で、認知症を抱えた高齢ドライバーの問題が取り上げられていた。どこの自治体なのかは失念したが、運転免許証を返上した高齢者に対して、タクシーの利用料金が一割免除される特典を与えて、認知症の高齢者ドライバーが起こす事故を減らす取り組みのことが取り上げられていた。

警察庁は高齢ドライバーに簡易検査を義務付けるよう道路交通法を改正したり、機能が低下している高齢者に対して、運転技術の指導も行っていくなどという対策をやるだなんて公言しているが、俺は焼け石に水と言うか、今日の日本社会が抱える問題の根本を変えない限り、大幅な効果は上げられないだろうと冷ややかに見ている。

認知機能が低下している奴は運転免許を剥奪される決まりになっている。
だが、それが守られていないのは、特に地方では、公共交通機関が貧弱だから、クルマを所持して、それを運転できなければ、生活が成り立たなくなっているという社会の構造が何よりの原因だと思う。
タクシー代を少々、補助するくらいでは、地方の年金受給者の免許証の返上を大幅に促すことなど無理だと考えられる。

この前も書いたことの繰り返しの部分もあるが、まず、意図してモータリゼーションを加速させる一方で、鉄道を廃れさせる方向へ誘導してきた政治の負の遺産だろう。そして、それを推進した政治家を選挙で選ぶ国民は、豊かさの象徴として、クルマを欲しがった。
それで、今日の経済繁栄が成り立っているけれど、結果として、弱者(経済的、身体的な事情で、クルマを所持・運転できない層)に冷たい世の中になったというわけだ。
しかし、昔はクルマ無しで生活するのが当たり前だった。だから、クルマを所持できない人間のことを「弱者」と呼ぶのは、適切ではないという見方もできる。それに、上にも書いた通り、多くの国民がそういう政治家を選び、そういう経済生活を望んだのだから、政治を批判するのは筋違いとも言える。

別の言い方をすれば、危険運転で人を轢き殺した奴には、二度とハンドルを握らせたくないという考え方がある。でも、仮に危険運転致死傷罪で処分された前歴の持ち主が免許を持つこと厳しく制限する法を整備したとしても、その加害者が地方に住んでいれば、「地方では、クルマが無いと生活できない。免許を再取得させろ!」などという主張を憲法で保障されている生存権を根拠に裁判で訴えるかも知れないってことだ。

だが、いずれにしろ、危険運転のドライバーのせいで、理不尽に命を奪われたり、怪我をする不幸な人間を減らすためには、クルマを減らすというか、クルマが通行できるエリアを厳しく制限する法を整備するしか無いと思う。罰則の強化は、それはそれで必要なことだけれど、それだけでは事故を減らせないだろう。

先月、埼玉県川口市で保育園児らの列に脇見運転のライトバンが突っ込んで、4人の子供が死亡、17人が重軽傷を負うという酷い事故があったけれど、そういう事故の心配をせずに、子供に外を出歩かせることができない社会は、革めなければならないと思う。

以前、紹介した下記の新書では、街の歩行者の安全を確保するためのアイデア――海外で効果が上がっている実例が幾つも紹介されている。

クルマを捨てて歩く!
杉田∀錙銘・糧lt;br />講談社 (2001.8)
この本は現在お取り扱いできません。


でも、それが推進されるかどうかは、国民の意識次第なのだ。繰り返すが、多くの国民がそういう政治家を選び、そういう経済生活を望んで、今日の結果があるわけだ。
それを変えるには、「教育改革」並の時間――少なくとも30年以上は掛かるだろうけれど、残念ながら、生活や仕事のためにクルマに乗るのが当たり前になってしまった意識を変えることは、とても困難だと思う。
2006/10/16 06:21|モータリゼーションCM:0
 

北朝鮮の脅威と株式市場の不気味な底堅さ 

先週の連休明けは不安に始まった。

金・軍政権国の核実験の強行である。

株式市場は恐慌状態に陥るかも知れないと思ったけれど、意外にも日経225平均株価は一週間を通して底堅く推移した(尤も、日経平均採用銘柄とそれ以外、特に新興株との格差が目下、拡大中だが……)。
全くのパニックでもないが、コリアの株式市場が週明けに急落したこととは対照的である。

韓国総合株価指数

ここにきて、中国の外交姿勢が急に日本に歩み寄ってきているが、日本の株式市場が暴落すると困る国や金持ちが世界中に多いから、撃たせないための政治的な圧力が俄かに働いているのかも知れない。

しかし、金将軍家の平壌幕府の核開発やミサイルの技術の水準は全貌が明らかになっていないから、不安は払拭しきれない。
彼の国は、日本列島の全域を標的に捉えられる弾道ミサイルの「ノドン」は現在、200基が配備されていると推計されている。
俺は軍事も疎いので分からないが、もし、弾頭に原子爆弾を搭載することがあの国の技術力で可能ならば、最悪の展開も想定しなければならなくなる。
原爆だけでなく、B兵器やC兵器という線もありうるわけだ。

右寄りの思想のブロガーを幾つか読むと、制裁を支持する人が多いけれど、糸山英太郎や江草先生のように、逆に敵国を追い詰め過ぎることが裏目に出る危険性を指摘する人もいる。

上に先週は株式市場が意外と堅調だということを書いたが、実はこれも罠なのかも知れない。

小学校の頃に何度か読んだ『はだしのゲン 第1巻』という漫画を思い出した。広島で被爆した経験を持つ作者がその体験を綴った内容だ。
エノラ・ゲイが広島市街に「ファットマン」を投下したのは、空襲警報が解除されてから、市民が緊張を解いて、防空壕から這い出てきた後だったと思う。

10月14日の江草乗の言いたい放題の記事を読むと、先週の株式市場の堅調さは、どこかの投機筋が日本株のショート・ポジションを大きく積み上げるための期間だったかも知れないなどとも思えてくる。

今年1月の中旬にライブドアが家宅捜査を受けた直後、市場が一時、株価を戻す局面があって、マネックス証券が急にライブドア株やその関連会社の株式を信用取引の担保に出来ない措置を発表した直後、再び急落するという局面があった。
その時、あるメディアで、マネックスの社長は創業設立前の、かつての勤務先の外資系証券会社と共謀して、空売りして不当な利益を得たんじゃないかという情報が流されたが、真実は未だに闇の中のままである。

マネックスの社長・松本大といえば、ミュージシャンのサンプラザ中野とのマネーをテーマにした対談集で、新ヨーク同時多発テロの時の市長の取った言動について、言及していたのを記憶している。
あのテロの直後、新ヨークの株式市場が暴落するのを見越したテロリストと繋がっている資金が予め大量の空売りを建てていたそうだが、それを察知した新ヨークの市長は市民に対して、「テロが怖いからと言って、家に閉じこもったりせず、普段と同じ生活を送って欲しい」などと言った。消費が急に冷え込んで、企業業績・株式市場に更なる悪影響を及ぼせば、空売りしたテロリストの首領たちに利益を与えてしまう。そういう目論見を成就させないための賢明な判断だった。
松本はそういう話をしたわけだが、もしも、例の疑惑が黒ならば、それは偽善の真骨頂になるだろうし、今も同じことをやっているかも知れないわけだ。

松本がやらなくても、他にそういうことを考えそうな奴は内外に幾らでもいるだろうし、色々と重い意味で、油断できない日々が続きそうだな。
2006/10/15 00:09|外交、安全保障、軍事CM:0
 

日本人同士が敵味方に分かれて戦争する(カインの当たらない予言シリーズ、第4弾) 

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



いよいよ、憲法改正が実現しそうな雰囲気になってきた。
安倍政権は自衛隊を米帝の戦争に公に従軍させられるようにするため、憲法改正を進めたがっているわけで、勿論、左系の論者はネット上でも反対キャンペーンを展開中だろう。

実を言うと、俺は憲法改正の是非の議論には、大して興味が無い。

俺の当たらない予言には、これから100年か200年以内に起こることとして、以下のことが含まれている。

インドの周辺諸国への侵攻に端を発する第三次世界大戦。

(連合国)米帝、イスラエル、トルコ、インド、英帝(アングロ=サクソン系諸国)、デンマーク、ノルウェー、市場化に成功した東欧諸国、日本
(枢軸国)中国、ロシア、中南米諸国、ドイツ、フランス、東南アジア諸国、フィンランド、スウェーデン、市場化が上手くいっていない東欧諸国、米帝に民主化された国家を除いたイスラム諸国


今の市場経済で繁栄している国家群に対するアンチテーゼとなる思想・新宗教の勃興。
米帝の南北分裂。
共産中国の解体。



端的に言うと、自衛力の保持の是非とか、「自衛隊は合憲か違憲か」などという神学論争などよりも、これから複雑化の一途を辿る国際情勢の中で、為政者が要領良く国の舵取りをして、国益を守れるかどうかの方が重要だろう。

自民党は改憲である。
社民と共産は護憲である。
公明党は宗教団体のことを抜きにしても、話にならない政党だ。

少し分かり辛いのは、昨年の選挙で大敗を喫したとは言え、依然として最大野党の民主党である。

民主党の現代表の小沢一郎は著書で、現行の憲法を守りながら、国連を通して国際貢献のために人員を派遣する絵図を提示している。

とどのつまり、安倍晋三宰相が憲法を改正して、自衛隊が米帝の戦争に従軍できるようにしようとしているのが何故かという理由だって、小沢一郎の著書に書かれていることだ。

ベルリンの壁の崩壊やソビエト連邦が解体するまでは、日本の防衛についても、かなりの部分の責任を負うことが、米国自身の国益だった。
ところが、旧共産圏の解体によって、その必要性が低下してしまったから、日本は自国の国力で自衛力を準備するなり、米帝の平和維持活動に金だけではなく、人員も寄越さなければならなくなった。そのあたりのことについては、この前の『ニートは兵隊』という記事で書いた。

日本は中東から石油を輸入しているわけだが、タンカーの航路の安全を維持しているのは、米帝の海軍力だ。食料だって輸入に頼っている。海路で運ぶだけでも、かなりのエネルギーを消費しているわけだ。
今の世界の市場経済システムは、先進国が後進国の富を収奪している構造を孕んでいる。つまり、先進国の国民の豊かな生活を支えるために、後進国では餓死する人間が多いということだ。
日本は財政赤字が深刻なのに、ODAに金を出さなきゃならないのも、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような資産家が慈善事業に莫大な寄付をするのも、何故かと言えば、開発途上国の怨嗟を少しでも抑制するためだ。
それでも、開発途上国の恨みは消えず、飛行機がジャックされたり、爆破されるなどのテロの危機が絶えないわけだ。

自民党の安倍にしろ、民主党の小沢にしろ、「これからの日本人には、そういう義務も要求されている」という認識はほぼ同じだと思う。
ここで取り上げる問題点は、国際貢献のプロセスで、安倍と小沢の思想には相違点があることだ。
安倍は小泉の親米偏重を継承していることに対して、小沢は中国との関係も重視し、国連の存在を重視しているという点だ。

小沢一郎の著書の特徴として、幕末・明治維新の歴史の話の引用が指摘できる。
明治維新の際、島津家や毛利家や山内家の藩兵が新政府の国軍として提供された故事にならって、今の日本は世界に先駆けて、国連の常設警察軍として、自衛隊とは別に部隊を組織して提供しろと訴えている。そして、大正期の政治家で、同じ岩手県出身の原敬を尊敬しているなどという話も読むと、浅田次郎の『壬生義士伝』を連想させられる(実際、作品中に、この平民宰相の名前が何度も登場する)。

小沢が国連の常設警察軍として、島津家や毛利家や山内家の藩兵で構成される新政府軍をモデルにするなら、安倍はさしずめ、憲法改正で米軍に従軍する自衛隊の部隊は新撰組や会津をモデルにして創設するってことだろうか。
俺は「逆だろ?」と思うのだが、いずれにしろ、近い将来、異なった思想を基に、二つ部隊が日本で創設されることになるだろう。
米帝の正義に追従するための部隊(明治新政府軍)と、国連の常設警察軍になる部隊(新撰組、会津)である。
いずれも、それを構成するのは、フリーターやニートが想定できる。ホントにそういう部隊の創設が発表されて、徴募が掛けられれば、定職に就いていないフリーターやニートの応募が集まると思う。

『壬生義士伝』のあらすじを思い出してみろ。
要約すれば、「南部藩の足軽の吉村貫一郎は、主家から支給される給料では家族を養えないから、脱藩して、もっと高給を望める新撰組に入った」っていう話じゃないか。
幾ら文武で努力を積み重ねても、藩では出世や昇給を望めなかったという事情も、「就職氷河期世代」の悩みとオーバーラップするじゃないか。
恐らく、現政権は「再チャレンジ」だなんて標榜しているが、就職氷河期世代の殆どがちゃんと就職して、所帯を持てる収入を得られるようにすることは不可能に近いと思う。そこで、そういう部隊の創設と募兵を打ち出されれば、就職先として選択する者が少なからずいるに違いない。

何しろ、新撰組にしろ、明治維新の功労者たちにしろ、フリーターのような奴が多かったではないか。
小沢一郎の「若い世代の中から、新しい日本を作る志士が現れることを期待する」などという言葉は、そういうことを意味しているのだ。
『若い世代』という言葉がポイントだが、明治維新の時は、その「上は40歳の西郷隆盛だった」とも言っている。今のフリーターやニートの世代と合致しているのである。

しかし、小沢一郎も肝心のことで嘘を書いている。
社会進化論者であることは明らかなのに、「ニート」の問題を教育やしつけの責任に転化している点がそうだ。
俺は『ニートは兵隊』の記事で、その原因の核心を書いたし、ソーシャル・ダーウィニズム論者なら、それを知っているに違いないと断言できる。
『小沢主義(オザワイズム)』の168ページに書かれている動物の子育ての話もとんでもない誤りである。嘘だと思うなら、『利己的な遺伝子』の「世代間の争い」を読んでみろって言うんだ。

ついでに言うと、『壬生義士伝』という小説だが、最後の節――吉村貫一郎の次男(名は父と同名)が成長して、汽車に乗って帰郷する場面で、自分の親や祖父の世代が故郷で飢饉に悩んだことを思い、東北の冷涼な気候にも適応した稲を栽培しているだなんていうエピソードを読めば、これもダーウィニズム色に彩られていることは明らかなのだ。「適応拡散」の概念そのものではないか。

アマゾンのレビューを読むと、「家族愛に涙を流した」などという趣旨の感想文ばかりだけれど、この小説はそんなものじゃない。実は社会進化論の残酷な法則に彩られている物語なのではないかと感じる。

全ての生物の自殺行為(広義で、妊娠中絶、間引き、児童虐待、自慰行為、あらゆるスポーツ、危険を伴う行為が含まれる)は進化に必要なプロセスであることが最新の生物学で証明されていて、精神医学の世界でも認められているという話を何度か書いたことがあるけれど、吉村貫一郎の長男の嘉一郎が、勝算の全く無い函館戦争に従軍して戦死したことだってそうだ。彼は妹や弟が幸福な一生を全うして、両親の遺伝子を残せる「世界」を作るために死地に赴いたのだと説明がつく。

俺がここで指摘していることは、そういう読む人の涙を誘う物語とか、歴史とか国の伝統とか家庭の尊さを謳った道徳や教育の話の裏側には、そういう残酷な悪魔の法則が厳然と存在しているということだ。

大体、小沢と安倍、それぞれの国際貢献についての考え方に大きな違いがあること自体、進化論の適応拡散で説明できるのだ。

いずれ、世界を二分する大戦が起こるだろうけれど、日本はどちらに組するか、或いはどのように中立を維持するかという問題がある。
昨今の中国や北朝鮮の脅威の高まり、拉致問題のことを考えれば、安倍政権の外交が支持を集め、小沢の国連主義・対中重視に賛同し難い人が増えるのも道理だと思う。かと言って、凋落していくのが目に見えている米帝についていくのも不安が大きい。
冷戦期の北欧諸国のように、要領よく泳いでいかれるのか?

数年後、自民党は政権の座を追われる日が来るだろ。何故なら、健全な民主主義社会というものは、適当な間隔で政権が交代することが必要不可欠なものであるからだ。
安倍政権がどのくらいの寿命になるかは分からないが、どっちにしろ、将来、道路公団の赤字を国民の税金で尻拭いしなければならない時が訪れ、消費税の税率を上げたことによる景気後退を招けば、今の自民党の失政を叩く声が強くなり、小沢宰相が誕生する。
でも、米帝偏重外交を支持するナショナリズムも高まっているから、中国に歩み寄る外交を展開する小沢は、原敬のように暗殺される危険がある。大体、ジェンダー・フリーに批判的で、安倍政権を支持している保守思想家の特徴として、国連が「赤」の組織であることを指摘しているということがある。

いずれにしろ、今の国連も覇権争いの場に過ぎない。世界規模の大戦じゃなくても、米帝の平和維持活動に従軍させる日本人部隊と国連の常設警察軍の日本人部隊が衝突することがありえるわけだ。
それは、関が原の戦いで、兄弟が別々の陣営に分かれることによって、家門と領地を維持した真田家の苦肉の策と同じかも知れない。
最悪な展開は、米帝に追従したはいいが、それが60年前の悲劇と同じように、今度の大戦で大敗を喫してしまい、敗戦国として、シナの大国の管理下に置かれるということだ。
それが「適応拡散」と言うのだが、そういう最悪の展開を避けるために、日本人同士が海外で、「国連」(反グローバリズム、旧共産圏、社会民主主義の諸国)と「米帝」の両陣営に分かれて、戦争することを強いられるかも知れない。


ここで誤解しないで欲しいが、そういうことを隠していることだけで、政治家の資質が無いとは限らないということだ。小沢一郎に限らず、社会進化論者だと思われる人間の全てに言える。
私もそうだけれど、こうした物事の本質の見方が世間に広まると、人生や世の中に絶望して、無気力に陥り易くなる人が増えるかも知れない(だから、今の米国社会では、進化論を否定するムーブメントが活発になっている面もあるのかも知れない)。

つまり、新自由主義にしろ、共産主義にしろ、社会進化論的なもの――社会をあるべき姿に改革していくという政治は、そういう犠牲の上に成り立っているところがある。
現代のフリーターやニートの問題も、幕末の足軽の家庭の窮乏も、そういうことのために用意された道具に過ぎないようにも見える。

「きっこの日記」が政治批判・不正の暴露を展開しているのは、福祉の改悪のせいで、母親が十分な医療を受けられなかったことについて、新自由主義の推進者たちに憎悪を覚えたことがきっかけなのだそうだ。確か、部分的に福祉関連で賛同できる公約があるから、「社民党を支持している」と書いてあるのを読んだことがある。
「きっこ」と同様、俺にとっても、新自由主義の推進者は親の仇のような存在である。
ただ、「きっこの日記」とスタンスが異なるところは、憎悪したところで、何も生まれないと思っていることだ。憎悪したと