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この間も書いたが、今更ながら、『女王の教室』というテレビドラマをDVDで観た。
一昨年の7月から9月にかけて、日本テレビで放送されていたのだが、視聴率は高くて、ちょっとした社会現象もあったようだ。
出演者:天海祐希、 羽田美智子、 原沙知絵、 志田未来、 泉谷しげる、 内藤剛志 レンタル開始日:2005-12-21
世の評価は賛否が激しく分裂したようだが、当ブログでも取り上げて、俺個人の感想は勿論、他ではあまり語る人がいないような解釈をこれから書いてみたい。
「教育改革」が国策に持ち上がっている今だからこそ、取り上げて考える甲斐があるとも言えるかも知れない(ただし、俺はどちらかといえば、このドラマがそういうことを訴えているのだとしたら、どちらかといえば、否定的・懐疑的である)。
先に端的に述べさせてもらえば、ドラマの内容それ自体は秀逸だった。子役も含めた俳優陣の演技、既存の学園ドラマには無い教師像のインパクトの強さ、泣ける場面が多く、最終回の最後の締めくくりも素晴らしかった。
しかし、適当な言い方ではないかも知れないけれど、これは『バトル・ロワイアル』のような小説を読むこと(映画を観ること)と同じ感覚で受け止めるべきなのではと思っている。「物語の舞台は日本ではなくて、日本にそっくりな架空の社会が舞台の物語だと思え」ということだ。
ドラマはとても面白かったけれど、物議を醸した内容について、アマゾンのレビューなどで、「これは今の日本社会の縮図」だとか、「過去の教育の姿がある」だとか、内容に肯定的な立場から、今の日本の社会問題を当てはめるようなことを書いている奴がいることについて、ある種の危険性を感じている。
が、俺がそれ以上に気になったことは、明らかにダーウィニズム色に彩られているストーリー展開だ。
アマゾンのレビューを読めば、「これは今の日本の社会の縮図だ」などという月並みなことを書き込んでいる者が何人もいるが、そんなレベルの話ではない。
俺は芸能関係にも疎いので、脚本家の遊川和彦がいかなる人物なのか、詳しくは知らないが、このドラマの内容は真の意味で、このストーリーを考えた者の宇宙観・自然観・歴史観といったものの多くが凝縮されている。
神田和美が姉と一緒に動物園に行っている場面の何気ない会話とか、物語の舞台となった学校名・地域名の「半崎」という名前の由来(後で詳述する)を考えると、このドラマのシナリオを書いた人間はダーウィニズム論者に違いないと思う。
俺が怖いと思っていることを少しずつ書いていくが、恐らく、テレビドラマ『女王の教室』は「国策」の一環で放送された番組のひとつじゃないだろうか。
とっくに気付いている人もいるだろうが、主人公の少女の神田和美という名前だ。
「和美」という名の『和』の文字は、「日本の国」を意味する漢字に他ならない。
逆さにすれば、美しい国、日本になる。
教育改革を重点課題に掲げている今の総理大臣がしきりに唱えているスローガンではないか。
何を言いたいかといえば、あのドラマの舞台になった教室は、「日本の社会の縮図」なんて比喩では収まらない。もう一人の主人公・阿久津真矢は「悪魔のような鬼教師」と呼ばれているが、「悪魔」という言葉は決して浅い発想で浮かんだ比喩ではない。
クラスメイトの関係は現代も含めて、過去の歴史上の国家と国家・民族間の関係そのものに見える。変な喩えになってしまうが、人類の歴史をモチーフにしたパソコンのシミュレーションゲームのフィールドを俯瞰しているような印象も受けた。
そして、児童の友達関係を壊したり、弱みや秘密を握って脅迫するような真似を繰り返して、クラスの交友関係をバラバラにすることを図る鬼教師は、聖人を誘惑する悪魔(サタン)そのものではないか。
これらは、ある種の宗教観・歴史観を提示しているのではないかと感じた。
第1話で代表委員になった神田和美と真鍋由介が給食の配膳作業の時、カレーを床にこぼしてしまい、阿久津の叱責のせいで、こぼした分を調達することができず、担任と成績が上位の4人しか食べられなくなる場面があった。
ここは何を意味しているかといえば、途上国には十分な食糧が行き渡らない。食糧を確保できるのは、国力=経済力が強い国だが、それは教育水準に比例するという構造を表しているように見える。成績順に配るように指示したのは、そんな暗喩に違いないと感じた。
(阿久津はその場面で、「中国やアメリカからの農産物の輸入がストップすれば、日本人はたちまち飢え死にする」などと言って、給食を食べ残したり、食料を粗末にすることについて、咎めることを説教していた)
他にも話を挙げられるが、俺が嫌だなと感じたのは、変な政治的な意図も透けて見えてしまったことだ。
上にも書いたが、和美っていう名前の主人公は「日本国」を意味しているが、あの教室が「世界」「国際社会」の縮図なのだとしたら、和美の友人の佐藤エリカは日本の隣の危険な国に喩えられるかも知れない。
元々は仲が良かったけれど、島田さんの財布のことがきっかけで関係が悪くなったところもそうだし、最後は財布を盗んだことがクラス中にバレた後、灯油を撒いて、放火しようとする場面があったけれど、核兵器を使うことを考えてしまうような瀬戸際に追い詰められている国と同じだろう。
結局、ドラマの後半ではクラスメイト全員のわだかまりが解消され、神田和美を中心に学級がまとまるわけだけれど、何だか、「日本は世界の平和に対して、最も大きな責任を背負っている」みたいな政治の意図・理想論みたいなものが込められているように見えてしまった。
長いから、その2に続く。
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| 2007/01/31 20:00|映画、テレビドラマ|CM:0|▲
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最近、ホワイトカラーエグゼプションの導入など、労働法の規制緩和に絡んだ議論が盛んになっている。
俺は未読なのだけれど、『週刊東洋経済』の「雇用破壊」が特集された号に、ザ・アールという人材派遣会社を経営している奥谷禮子のコメントが掲載されていたそうだ。
冷徹な経済右派の女だが、左派・リベラル系論者を中心に、あちこちのブログで悪評が書かれている。
月並みな批判を俺がこのブログでわざわざ書いてもしょうがないが、そういう経済右派の理屈を自分なりに分析した上で、自分の意見のようなものを書きたい。
以前、『モチベーション・コントロール 勝てる男になる科学的手法』(藤田徳人著、KKベストセラーズ)という本の感想文を記事に書いたことがある。
労働法の規制緩和を推進したがっている経済人・識者の理屈は、この本に書いてある理論とほぼ一致しているんじゃないだろうかと思う。
人間の能力の限界は、表面的な体力などではなく、俗に意欲と呼ばれる物――医学上の説明をすれば、ドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリン、テストステロンといったホルモンの分泌に左右されるという理論だ。これが性格や物事に対する意欲の量を左右するというのだ(現代の精神医学では、鬱病を患う原因は、「セロトニンの分泌が不足している」ということが挙げられている)。
さっさと結論を書くが、人間の身体は自身が興味のある欲求(食欲、性欲、あらゆる趣味などに対する関心)に応じて、それらの物質の分泌量が多くなるようにできているのだ。逆に嫌々やる仕事や遊びに対すると、ホルモンの分泌量は低下して、能力を発揮できないのだ。
ホワイトカラーエグゼプションを成立させたがっている奴らは、自身のホルモン分泌量をコントロールしながら、仕事やプライベートに臨める人生の達人だと自任しているに違いない。
前も同じ内容のことを書いたが、とても分かり易い話なので、ここでも使い回すことにする。
『信長の野望』などのゲームで有名な「光栄」というゲームソフトのメーカーがあるよな。
元々、この会社はゲームソフトのメーカーとして立ち上げられていたわけではなく、繊維の会社だった。
襟川陽一が親から事業を継いだ頃、経営状態は悪くて、生活費は女房の持参金を取り崩して賄うような状況だった。
この苦節の時期、襟川陽一は日中の仕事が終わった後、女房に買ってもらったマイコンで気晴らしにゲームを作っっていたんだけれど、それは寝食が疎かになるほどの熱中ぶりだったそうだ。
確か、この人物が歴史シミュレーションゲームを作ったきっかけは、司馬遼太郎などの歴史小説が好きなことだったと思うが、睡眠時間を削ってやるほどの趣味が商売になって、今日の成長に至るわけだ。
下記の本には、ゲームソフトメーカー・光栄のそういう経緯が簡潔に書かれているが、この他にも、それと同じくらいの苦境を乗り越えた創業者の話が何本も載っている。
鈴田 孝史著 すばる舎 (2001.1) この本は現在お取り扱いできません。
ドン・キホーテの安田隆夫、シダックスの志太勤、ドトールの鳥羽博道、ワタミの渡邊美樹、ソフマップの鈴木慶(今や、この創業者の存在感は全く消えてしまったが)などといった起業家のことが取り上げられていたけれど、彼らの多くに共通していることは明らかだ。
常人の肉体の常識では考えられない激務をこなして、成り上がっていったことも大きな要因だろう。それは何かと言えば、モチベーションの源になるホルモンの分泌に他ならないのだ。
人間は自分の好きなこと・興味のあることを前にすると、それだけの体力を発揮できるほどのホルモンを分泌するように身体ができているということなのだ。
この本で取り上げられている企業の中には、従業員に酷い労働環境・サービス産業を強要していることで悪名が知れ渡っている会社もあるよな。
つまり、そういう会社の経営者は従業員に対して、自分と同じ態度を要求しているんだよ。
それに耐えられないってことは、ホルモンの分泌が足りないってことだ。
それは「会社の仕事が好きではない」という証拠に他ならないから、雇われる権利は無いという理屈だろう。
分かり易い話を書くために極端な例を出したけれど、今の日本の企業の殆どは、多かれ少なかれ、そういう雰囲気なのだと感じている。
そして、経済人たちは、そういう社会の体質を更に強化するために、労働法の規制緩和を推進しようとしているのだ。
ここからが私の意見になるけれど、概ね多くの左派系論者と同じである。
世の中、全ての勤労者が自身のホルモン分泌を爆発させることができる労働に就けるわけがないだろ。
ワタミのクリスチャン社長とか、ザ・アールのオバサン社長みたいな奴らが言っていることは、一面では真実を語っているかも知れないが、全ての人にその考え方を強要するような規制緩和を推進することは間違っていると思う。
自分の身体の中で、ホルモン分泌を爆発させることができない人には、勤労の権利は認められていないのでしょうか?
否。そんなことはないだろ。
本音を聞き出せば、生活のために嫌々……とまではいかなくても、仕方なく働いている人の方が多いんじゃないの?
全ての労働者がそれだけの能力を発揮することを前提にした産業社会を作るための規制緩和は、絶対に上手くいかないと思う。
思うに、『13歳のハローワーク』(幻冬社、村上龍著)などという、戯けた内容の本がベストセラーになるような社会がおかしいのだ。
「大好きなことを職業として考えてみませんか?」って、馬鹿か?
公式サイトまであるが、これはワタミの渡邊みたいな経済人にとって、都合のいい規制緩和を推進するためのプロバガンダに違いないと睨んでいるぜ。
『13歳のハローワーク』とは、子供に対して、今のうちに将来、サービス残業を厭わずに働いてくれる労働者に育てる躾をするための教科書ってわけだ。
アマゾンのレビューを見ると、こんな物を面白いと思っている奴が多いらしいことが分かるが、
「お前らみたいな愚か者が選挙権を持っているから、政治が腐敗が止まず、こんな酷い法案が国会で通されるようになってしまうんだわい!」
と喝破するわ。
「皆、好きなことをやろう」というキャッチフレーズは、そういう過酷な労働を強いられることを意味しているのだぞ!
現に公式サイトには、ホワイトカラーエグゼプションを推進したがっている経団連理事の渡邊美樹がコラムを寄稿しているではないか。そういう意図に他ならないではないか。
アホな日本人。自分の子や孫の将来を真剣に憂うなら、もっと、物の本質を見なさい!
「好きなことだから」と言って、すぐに安定した収入に結びつかないことをやっていれば、「フリーターは夢ばかり追って、就職から逃げているクズ」だなんて詰る大人がいるかと思えば、かといって、逆に収入の安定のために、好きでもない仕事に我慢して就いて、長時間の残業とかをストレスに感じる気持ちが少しでもあるなら、「やる気が無い」みたいなことを言うわけだ。
「一体、どっちなの?」って聞きたいですね。
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| 2007/01/30 20:30|雇用、労働|CM:7|▲
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昨日は「経済的余裕があるのに、子供の学校の給食費を払わない親」のこと取り上げた。
この問題については、俺個人は今の子育て世代の個々人のモラルだけに帰する問題でも無いとは思う。
ただ、そのくらいの負担も苦になるなら、最初から子供なんか産む資格は無いような気がする。そういう奴に限って、行政に「子育て支援」を要求しているのかとも思う。それだけだ。
もっと酷い大人は幾らでもいると思うから。
今年に入って間も無く、「渋谷区の歯科医一家の歯学部受験浪人生の次男の妹殺し」がメディアを賑わせているが、先週公開された、その両親――武藤夫妻の手記を読んで、変な不自然さを感じた。
とどのつまり、芸能界を目指していた娘の無軌道振りを批判して、それを殺害した息子を庇う(?)ような文章だが、自分たちが育てた子供に対して、「人を殺してはいけない」という社会のルールを躾けられなかったことについての後悔のようなものが見えてこなかった。
子供の給食費を払わない奴よりも、こういう人間の方がよっぽど怖いような気がする。もしかして、住宅ローンを払ったり、高級車や携帯電話を維持する金があるのに、給食費を納めないような家庭で、こういう子供が育つのかも分からないが。
ここで話題を変えるが、今、大騒ぎになっているアパグループの社長夫妻は、変な喩えかも知れないけれど、「制限速度を超過したクルマの運転で、誰かを轢き殺した時の心境なのかも知れないな」と思った。
十中八九、そういう法令を守っていない安普請を建てている建築会社はアパだけではないだろ。
飲酒運転・危険運転致死傷の問題だって、実際に事故を起こした奴だけが交通法規を破っているわけではないだろ。
先週、俺は「きっこの日記」のことを批判的に書いたけれど、アパグループがこういう事態になって、イーホームズの社長の潔白が裏付けられているような雰囲気になっているから、俄かに「きっこファン」が増えているのかも知れない。
でも、「きっこの日記」の奇妙な部分を指摘すると、政治の問題に関する記述は、書き手個人の個性・柔軟さが無いことだ。「きっこ」という人物は実在するだろうけれど、あれだけの内容だから、今の体制(若しかすると、日本という国家そのもの)を敵視している、ある特定の政治結社の組織員が複数でゴーストライターのようなことをやっているんじゃないかと想像している。
アパグループの不祥事が大炎上して、政界との癒着が確たる証拠で証明されれば、今の政権は瓦解、流石に自民党は次の選挙で大敗するかも知れない。
当然、教育改革も憲法改正も挫折するだろう。
俺個人はリベラリストで、米帝の戦争に協力するためだけの憲法改正にも反対だし、別に過去と比べて、モラルが著しく落ちているとは思えないのに、「教育が乱れたから、社会が荒廃している」などと言って、昨今、教育改革を叫んでいる連中のことを暑苦しく感じているから、この事件で安倍政権が終わってくれることを願っている。
でも、そうなったら、保守寄りの思想の人の中には、「日本の国力と荒廃した社会を立て直すための教育改革や改憲が左翼勢力によって阻まれた」だなんて思う者もいるだろうな。
現に「きっこ」のことを反日勢力の手先みたいに言う奴もいるみたいだからな。
「家族は大切です」「日本の平和は守らなければなりません」「格差を固定させてはならない」
誰だって、そうした奇麗事は言う。
「きっこ」だって、それが敵視する政治家だって、やたらと「家族愛」「平和」の尊さを標榜しているじゃないか。誰の言っていることが信じられるんだ?
なんだか、「家族」や「平和」の大切さを謳っている連中が、よってたかって国を社会を破壊しているように見えないか?
人や物事の善悪の区別は難しいのだ。
俺は左右問わず、そういう奇麗事を強調する奴ほど、信用しないことにしている。
結局、西洋のダーウィニズム論者の言うように、世の中は私悪の集合でしか、万人の公益は実現しないのかも知れないな。
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| 2007/01/29 20:30|世相全般|CM:0|▲
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25日の朝刊の社会面に載っていた記事ですが、全国で約96,000人の児童生徒は、その保護者が給食費を納めていないということが、文部省の調査で明らかになったそうです。
不況や雇用の不安定化などで、家庭の経済状況が厳しいというケースも増えているが、親の規範意識が低下していることを指摘する声も上がっている。
この記事はどちらかというと、経済的にある程度の余裕がある筈なのに、それを踏み倒している家庭が増えている現象に焦点を当てる書き方になっている。
記事の終わりには、小野田という大阪大の教授の「未納者が増えている原因を貧困か、規範意識の二択だけに区分する調査手法は乱暴だ。生活保護・就学援助を受けていなくても、負担に耐えられない低所得層者が増大しているのではないか。『規範意識が欠けているから』と原因を単純化できない」などというコメントが掲載されていた。
こういう話題が出ると、特に保守思想の論者の中から、教育やモラルの荒廃を指摘したがる奴が多いのだが、基本的に思想がリベラルに寄っている俺もそれは一部認める。
でも、そこは馬鹿右翼のブログと差別化しているところなのだが、俺は社会の様々な問題の原因を、何でも個人のモラルに帰させる風潮が嫌なので、自分なりに考えたことも書いてみたいと思う。
これは前も同じようなことを書いたんだけれど、子供の給食費を納めない人々の行動は、福祉を次々に切り下げて、税金を上げる一方、それなのに議員や役人は滅茶苦茶なことをやっている政府に対する抵抗運動のようなものに見えなくもない。まさか、誰もそんなことは自覚していないだろうけれど、そういう集合無意識のようなものがあるのかも知れない。
「福祉の水準は切り下げるクセに、税金や保険料の負担は上げるんだから、子供の給食費ぐらいサービスしろ!」っていう意識をどこかで持っているんじゃないかな?
中には「住宅ローンの負担が重いから、払えない」と言っている親もいるらしい。
未納世帯には本当に困窮していて、本来の趣旨通りに生活保護を受けているような家庭もあるだろうし、公営住宅に住みながら、高級外車に乗っているような893の家庭もあるだろう。しかし、この記事を読んだ印象では、普通の会社員の世帯の間でも増えているのではないかと感じた。
小野田教授のコメントを読んで考えたことだが、今、小学生ぐらいの子供を持つ親の年齢は、団塊ジュニア世代に差し掛かっている。要するに、バブルが崩壊してから就職した世代で、同じ会社にずっと勤続しても、不況で給料が上がり辛い。それで、賞与からも社会保険料が徴収されるようになったり、不況に増税が追い討ちを掛けて、特に若い層で子供がいる世帯は、家計が苦しくなっている。
忍耐力・モラルが低下していると言えば、それまでだけれど、負担増に合わせて、自分たちの生活水準を落とすことが追いつかない人が増えているということだろうか。
その辺の「規範意識の低下を嘆く」ことばかりを書いているブログとは違ったことを書くけれど、俺が思うことは、今の日本は少子高齢化だからといって、「子供がいる家庭には、経済支援をしなくてはいけない」などという風潮が悪いんじゃなかろうか。
だから、子供がいる世帯の中には、「自分たちは人口減少に歯止めを掛けることに貢献しているんだから、子供の学校の給食費をフリーにしてもらうぐらいのことは当然だ!」みたいな間違った権利意識を持ってしまう奴もいるんじゃないかな。
俺は国の人口がどこまで減ろうが、そういう意識の人間には、最初から出産を控えてもらいたいと思っている。碌でもない大人になるだけだ。
でも、自分と同世代――今の子育て世代のことばかりを悪し様に言ったり、責めるつもりもない。今の20代30代は教育の荒廃のせいで、規範意識が低いだなんていう決めつけにも同調する気はないのだ。
元々、自分たちの生活水準を落とさないために、出産する子供の人数を抑制する習慣を始めたのは、今の子育て世代の親世代からだったし、政府も国民の私生活をそういうふうに誘導してきたところがあるからな。
しかし、それはそれで、未納者をこのままにしていいというわけではない。
俺はこの問題を綺麗に解決する方法は、両極端の二通りしかないと考えている。
ひとつは子供がいる家庭に対して、一律に給食費に相当する税額を給与から天引きで徴収するしかない。言い方を変えれば、「児童手当」とやらを小学校6年まで支給するくらいなら、これを廃止して、給食費は完全無料にすればいいじゃないか。馬鹿な親に小銭を与えて、自治体に督促業務をやらせれば、余計に時間と人件費の無駄遣いだ。
こんな福祉の支給の仕方をするから、勘違いする馬鹿が急増するのだ。
もうひとつは、学校給食の完全民営化だ。
世の中、ある程度の助け合いは必要だけれど、給食費を納めている家庭の子供も、未納の家庭の子供も同じ物を食べられるだなんて、小泉改革などが支持されて、市場化の潮流の社会なのに、不自然だと思わない?
悪平等の極み、社会主義みたいではないか。
以前、学校で朝食を出すことについての記事で書いたことと矛盾しているように見えるかも知れないが、学校給食は食費を納めた家庭の子供だけに食べさせればいい。
まともに子供の給食費を支払っている親は、学校給食なんて馬鹿馬鹿しいと思っているんじゃないの?
給食費を払わない家庭は、子供に弁当を持って行かせればいいではないか。
それで、毎日の昼休みにちゃんと昼食を食べていない児童・生徒がいれば、その子の家庭には何か問題があることが、担任の先生の目にもすぐにハッキリするだろ。
場合によって、児童相談所や警察に連絡すれば、虐待の早期発見・解決に繋がるではないか。
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| 2007/01/28 20:30|教育|CM:0|▲
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21日の記事は、財政再建団体に指定された夕張市のことを取り上げたが、今後、今の夕張市のように福祉を削減したり、自治体として、成人式を開催することができなくなるケースが増えるんじゃないかと思う。
夕張市は新成人の8割近くが、進学や就職のために市外へ去っているんだそうだ。
議員押しかけお断り!夕張で手作り成人式
8日は、武部前幹事長と杉村氏が視察のため、夕張入りする。両氏側から成人式出席の打診はないというが、市では「各党の国会議員や歌手の方などから出席の打診がありましたが、すべてお断りさせていただいています」。各方面からのパフォーマンスは排除し、夕張の将来を担う若者の門出を純粋に祝うつもりだ。
上記のニュースで気になったことは、文末の「夕張の将来を担う若者の門出」というところだ。
北海道全体がそういう傾向だけれど、夕張も就職口が無いだろうから、恐らく、就職のために遠くの地方へ移住する人も少なからずいると思う(公にされている地方別の有効求人倍率を見ても、関東圏と他地方の格差は、かなり大きい)。
だから、118人の新成人の全てが「夕張の将来を担う」とは限らない。
今、財政再建のために、国の地方に対する福祉の配分がどんどんカットされていく流れになっているけれど、将来的に地方自治体は自力で住民に対する公共サービスを維持しなければならないということですよね。
成人後、地元で就労せず、余所の土地へ移住する若者は、その自治体に所得税や社会保険料を納付してくれない。
善し悪しは別として、何でも国に頼らず、地方自治体が独自に賄わなければならない時代になるということは、「地元で骨を埋めてくれそうもない若者のために、財政難の中、費用を捻出してまで、成人式を開催してやる必要は無い」という考え方にも行き着くような気がする。
昨今、退職を目前とした団塊世代の消費動向に注目が集まっている。
ここ最近、まとまった金融資産を手にして退職した人間の移住による経済効果を期待して、彼らの移住を受け入れに積極的になっていることを標榜している自治体が目立つようになった。
前も同じことを書いたが、そういうことを謳っている自治体は住民にとって、信用が置けないと言うより他は無いような気がする。
この世代の中にも、地元で働く場所が無いから、就職のために上京した人が多かった。金の卵ってやつですよね。
彼らは40年間、東京か首都圏で働きながら、所得税や社会保険料を納めてきたわけだ。
要するに、それが退職して、収入が落ちたら、或いは働き続けはしても、現役時代ほどの稼ぎを期待できなくなったら、地方自治体とその弱い財政基盤で辛うじて支えられている国民健康保険に丸投げしたいってことでしょ?
今も昔も、育てるのは地方に任せ、働かせながら、税金を多く徴収できる時期だけは大都市に住まわせて、その用が済んで、税を多く徴収できなくなり、老齢によって、医療を受ける機会が多くなることが見込まれる時期に入る頃になって、地方へ放り出す構造ではないか。
遠からず、市町村が健康保険で負担しなければならない医療費が膨らんで、地域で職に就くことができた若い世代に重い負担が掛かることは想像に難くないのだ。
真の意味で、地域の将来のことを真剣に考えている奴が自治体の首長・議員なら、団塊世代の移住の受入れなんかに積極的な態度を示すような真似はできない筈だ。
長い目で見て、地域の利益のことを考えるなら、所得税・保険料を多く納め続けてくれる現役世代の住民を増やすことを考えるべきなのだ。歳出のカットと同時に、歳入の確保も考えなければならないじゃないですか。
「子育て支援」とやらだってそうだ。どこの市町村も揃いも揃って、「馬鹿か」と思うよ。
いくら子育てを経済的に支援したって、その子供が成人する頃、地元に就職先が無くて、遠くの地方に移住してしまえば、所得税も保険料も徴収できない、地域の高齢者層の支えにはならない。成人するまでに自治体が福祉で支給した金銭は丸損ってことじゃないか。
要するに、「国から地方を自立させる」という政治の潮流を受け入れるなら、こういう発想をしなきゃならないってことでしょう。国から金をもらっているなら、若者が上京してしまっても文句は言えないが、そうじゃなければ――
逆に言うと、国が地方に対する補助をカットするなら、都市圏で就職した地方出身者から、都市圏の自治体が税を徴収するのはフリーライドと呼ばれてもしょうがないのかも知れないぜ。
まさか、江戸時代みたいに、都道府県境に関所を設けて、居住や職業選択の自由を規制するわけにもいかないし。
いずれにしろ、地方の自治体の財政や過疎化の問題は、特に若い方の世代の雇用の安定無しには根本的な解決は不可能なんじゃないかと思うが、そういうことに本格的かつ適切に取り組んでいる自治体は、北海道では殆ど見かけない(本州・東日本には、僅かな例がある)。
だから、例えば、下記のページで、団塊世代の移住の受入れに名乗りを上げているような北海道内の市町村は胡散臭さを感じる。
http://www.sunflower.co.jp/migration/index.shtml
今の北海道知事の高橋はるみは富山の出身で、大学を卒業した後は、ずっと中央の官庁に勤めていて、そこの上司の推薦で今の地位に就いたが、北海道とは何の縁も無さそうな女性だ。
夕張の「ヤミ起債」問題について、道の関与も一部で指摘されているが、真相は闇の中だ。でも、少なくとも、夕張市の破綻は国によって追い込まれた部分も多々あることは疑っていない。
もしかすると、北海道のことなど考えていない中央の息の掛かった奴――高橋はるみのような奴が多くの市町村の首長に納まっているから、団塊の移住を受け入れるだなんて発想が流行しているのかも知れないな。
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| 2007/01/27 20:00|政治|CM:0|▲
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反米・反市場経済思想を標榜していることで、世界の注目を集めているベネズエラ大統領は、過去に民営化された電気通信会社や電力会社を再国有化する方針を明かし、「第二の社会主義国家」の建設を目指している方針を宣言しているんだそうだ。
他にもブラジル、アルゼンチン、エクアドルなど、今や中南米は市場経済の失敗を認めて、社会主義色を帯びた経済政策を推進する政権が支持されている国が続々と増え、反米の機運が諸国で高まっている。
ロシアだって、ソビエト連邦解体後10年も過ぎないうちに市場化を推進するエリツィンの経済政策は失敗し、プーチンに大統領が交代して以来、共産主義に反動化している。
軍旗は共産主義時代の赤地のデザインになり、ソビエト解体後に財閥に買い叩かれたエネルギー産業を強引な増税で実質的に再国営化し、昨今の原油高という追い風を利用して、財政を立て直した。無秩序な市場化に歯止めをかけて、独裁政治で過去の日本の護送船団方式みたいなことをやっているらしい。
莫大な国費を銀行の不良債権の穴埋め・経営救済に投じておいて、それを外資に丸ごと持っていかれて、税を取りっぱぐれた、売国奴が入閣していた、どこかの間抜けな政府とは雲泥の差である。
ここでは、政府の介入が皆無で市場に委ねる考え方が正しいかどうかの判断は預ける。
「何だか、世界は本当に、ナニワのマルクス・青木雄二や藤田医師が予言している通り、第二の共産主義の潮流に向かってしまいそうな予感が募ってこなくもない」という書き出しである。
この前、『妖怪の足音が聞こえるか?』という記事でも書いたことの繰り返しだが、日本もベネスエラに遅れて、そっちに向かっていきそうな気配すらある。
投資家や経営者の立場が読むことを想定している雑誌を出す東洋経済新報社の広告・内容が、時にそういうデザインになっていることが、何かを暗示しているような気がする。
昨今、日本の政治は醜悪の度が深刻になっていて、「きっこの日記」がその象徴みたいになっているようだが、一部でインターネットから政治を刷新する革命が起こることを期待する声も挙がっているかも知れない。
きっこは社民党支持者だが、自民党が破壊・縮小してきた福祉の建て直しとか、雇用の安定とか、市場化に歯止めを掛けて、ある程度は社会主義的な政策をやってくれる政党に政権運営を任せたい国民も少なからずいるだろう。
しかし、俺個人の予想を書くが、そういうことが起こるとしても、もっと先のことではないだろうか。今の働き盛りの世代が亡くなった後のことだろうと思う。
最近、田中芳樹の『銀河英雄伝説』という小説の内容を思い出す。大雑把に言うと、前面に出されていたテーマは「全体主義はもとより、高潔な君主制よりも、腐敗した民主主義の方がマシ」というオチだった。
この小説の読者の年齢層だが、今の働き盛りの世代が多いと思う。
そして、今の人口が多い年齢層――就職氷河期に入ってから、社会に出た年齢層は多感な時期に東欧の共産圏の解体を見ているし、共産主義の酷い部分を最もよく知っている世代と言えるかも知れない。
多分、『銀河英雄伝説』の愛読者が多い世代とか、多感な時期に冷戦の終結を見ている世代が生きている間は、政治の腐敗などを糾弾する『きっこの日記』みたいなブログがどんな社会現象に発展したとしても、間違っても、日本で革命が起こるだなんてことは無いだろ。
ネットで政治経済のジャンルのブログを見ていると、自民党以外の左派政党は反日勢力だなんて決めつけを書いている輩が多いではないか。特に若い世代でそういう認識が広がっているような気がする。
また、昨日も書いたけれど、大体、「福祉を重視するようなことを標榜している政党は、官僚の既得権益の保護が本音だ」なんて思っている若い有権者も少なくないような気もする。
だから、自民党がこんなに酷くても、他に国の舵取りを任せられる政党が無いと考えて、結局は自民党に投票する奴が減らないし、革命で今の市場化を推進する政府を転覆させようとする輩が現れても、多くの国民は歓迎しないだろう。
もっと上の世代は「自分たちの年金さえ確保できれば、今のままの方が良い」と思っているだろうからな。
気になるのは、これらの世代の多くが世を去ってからだ。今は自民党の万年与党を許容しているが、我々の孫の世代はどうだろうか?
上の世代ほどは、寛容ではないと思う。
また、今後、日本はこのまま米英をモデルにした市場化を推進すれば、勤労者の8割か9割が年収300万未満に賃金が抑制されることが予想されているけれど、そこまで極端になれば、何事も多様化している現在と違って、社会の下層に属する民衆の利害が一致し易くなって、政府を暴力で転覆させようとする機運が高まっていくに違いない。
だから、日本で革命が起こるとしたら、少なくとも60年先(今の団塊ジュニア世代がいなくなる頃)になるのではないかと予想している。
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| 2007/01/26 20:00|政治|CM:2|▲
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前も取り上げた話だけれど、俺の個人的な感情を言わせてもらうと、例の人気女流ブロガーには好感を持っていない。
俺もアンチ自民党だけれど、何故か共感できない。下品な誹謗中傷まがいの文章のせいだろうか。嫌悪感が先立つのだ(こんなブログをやっているので、あまり、他者のことをどうこう言える立場ではないが……)。
逆のことを言うけれど、俺の思想は左と言うか、個人主義色が濃くて、リベラリストで、国とか愛国心とか家族とか伝統などといったものは、あまり重視していない立場の方だろう。
例えば、そんな俺でも、小泉改革に反旗を翻した城内実という保守思想の政治家には、ある種の敬意のようなものを覚えている。
俺にとって、「きっこ」という人物の印象は、それとは正反対なのだ。
大体、あのブログの価値は裏情報が大部分を占めている。勿論、親孝行で教養が高いという長所は認められるけれど、それだけなら、あれほどのアクセス数は稼げないでしょう。
政治批判については、左寄りの新聞に書いてあるような話の焼き直しだろう。
大体、現状、米帝が列島から軍を引き上げたら、日本の安全保障はどうするの?
よく、沖縄のアメリカ軍基地の批判も書くけれど、要するに、今の自民党の政治よりもベターな対案を示せない頭のクセに、福祉を削減した政治を批判するばかりなのだ。
国民の多くが福祉をそんなに必要としているなら、社民党と共産党がとっくに与党になって、連立政権を作っているだろう。
多くの国民の頭の中に「福祉の充実=官僚が国民から高い税金を集めて、好き勝手に運用すること」という図式があるから、社会保障の充実などを謳っている今の社民・共産は国民の支持を集められないのだ。
日本はアラブみたいに石油を産出する国土ではないから、国民が納税した以上の福祉が出るシステムなんて成り立たないということだろ。
だから、俺は書籍版第1号の巻末のサンプラザ中野の解説文を読んだら、「あの内容がロックだなんて、へそで茶が沸く」と言ったのだ。
アマゾンのレビューは興味深い。手放しで礼賛して、高い評価をつけるレビューの「参考になった」の投票数は少なくて、逆に批判的・懐疑的なレビューは「参考になった」の投票数が多いのだ。ハッキリした傾向ですよ。
もし、世間の多数派が、この日記のこういう内容を無批判に賞賛するような世の中に自分が生きているということが分かれば、それこそ失望しているだろう。だから、この傾向には少し安心しているのだ。
俺は安倍晋三みたいな政治家やそれを支持する保守思想の人間も危険だと思うけれど、こういう日記が市民の大部分から無批判に賞賛されるような社会も全体主義に近いような気がする。
母親や小動物(猫)に対する愛情が深いかと感じられれば、秋篠宮妃紀子に関する記事では、「同じ女性として、それは無神経すぎるんじゃないの?」と人柄を疑いたくなるようなことを書いたり、白黒の落差が激しい。いずれにしろ、危険な意味で純粋な人物だなと思う。
分からないことは、サイバーファームとか、きっこの日記で「名誉・信用を毀損されて、訴訟を検討している」個人・法人は少なからずいるけれど、訴訟が起こったと言う話は未だに聞かない(起こっているなら、もう、正体がハッキリしているだろう)。
俺の妄想の範囲内のことだが、単に事実を書かれて何も反論できないということではなく、「きっこ」に危害を加えることを遮っている何らかの裏側の圧力が働いているような気がする。
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| 2007/01/25 20:00|世相全般|CM:0|▲
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オンラインDVDレンタルサービスの『ぽすれん』に入会したのですが、観たいDVDがなかなか借りられない。
毎日、チェックしているのだが、「貸し出し中」の表示が「レンタル可能」の表示に切り替わったことが一度も無いぞ。
基本的なサービスの利用法だが、まず、「マイリスト」に希望の商品をブックマークする。それで、優先順位を設定して、自動発送をオンにすると、その順番に従って、ソフトが発送されてくるのだ。
一度に二枚を1セットとして、発送してくるのだけれど、コースによって、同時に発送可能なセット数が異なるのだ。最高で3セットのコースがある。
レンタルした1セットを郵送で返却すれば、マイリストで指定した順に従って、次の1セットが発送されるシステムだ。
その「ぽすれん」が新しいオプション・サービスを始めたのだが、それは「レンタル予約」と呼ばれるシステムだ。
何かと言えば、なかなかレンタルできない商品を指定しておけば、次にそれが返却された時、指定の追加料金と引き換えに確実に発送してくれるという内容だ。
俺はこのサービス内容の説明の注意書きを読んで少し呆れた。
何かと言えば、「レンタル予約」を指定すると、マイリストにブックマークしているソフトの発送はストップするというのは、まぁ、しょうがないけれど、「レンタル予約」で指定したソフトを発送するまでの日数は保障されないことだ。
「約お申し込みをされますと、1回転分(2枚1セット)のレンタルが予約確定まで保留となります」
「予約サービスをご利用になられる場合、お待ちいただく日数については保証いたしかねます」
つまり、レンタル予約で指定した商品が確保できなければ、何も借りれないまま、日数を費やすわけだが、サービス料金は月毎に固定で掛かる。これは同じ特定の期間内に一定の枚数を借りなければ、普通の店で借りるよりも割高になってしまうのだ。
待たされた日数分、サービス期間を延長するとか、何らかの形でキャッシュバックすると言うなら兎も角、いつになったら、借りられるのかが分からない物を追加の料金を払ってまで借りようと思う客はいるんだろうか?
お宅に置いてないなら、さっさと余所へ探しにいくっちゅーの。
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| 2007/01/24 20:00|経済|CM:0|▲
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以前、『サウジアラビアでは、無業者の若者が増えているんだってさ』というタイトルの記事を書いた。
今のサウジアラビアは原油高の恩恵で経済が潤っており、福祉が充実し過ぎているせいで、若い世代の労働意欲が地を這うような低い状態になっているという問題を取り上げたテレビ番組を観た感想だ。
俺はこれを観て、国家と国民の関係などについて、色々なことを考えた。もうひとつ、記事を書きたいと思う。
サウジアラビアは厳格な神権政治のような国家体制で、国民には選挙権が無くて、政治は王族に独占されている。また、信仰や表現の自由、飲酒は認められていない。そして、女性は服装が厳しく制限されているし、自動車の運転も禁止されているそうだ。
それを「バカの壁」という呼び方もあるんだろうけれど、民主主義国家の日本人・西洋人の感覚とはギャップが大きいのだ。
ところが、原油輸出で獲得した膨大な富を原資に福祉の大判振る舞いが施されており、サウジアラビアの国民は医療も教育も住宅ですら無償で提供されている。
そして、俺が最も驚いたことのひとつは、サウジアラビアの年齢層別人口だ。未成年者層の数が一番に多く、上の世代へ向かっていく毎に少なくなる、綺麗なピラミッド型のグラフなのだ。
経済的な繁栄を実現し、国民が受けることができる福祉・教育が整備されている先進国のほぼ全てで、少子高齢化の現象が起こっているというのに、このサウジアラビアだけは例外なのだ。
日本で生活している日本人の多くは、それらを得るために長時間の労働に耐えることを強いられている。住宅も子供の教育費も高い。だから、少子化だ。福祉はドンドン切り下げられている。
どうやら、サウジアラビア人は今の日本人が欲しいと思っている物の殆どを容易に手に入れられるように見える。
この番組を観て、もうひとつ強く感じたことを挙げれば、個々の国の出生率・出生数という数値データは、その国民が自分たちが生活している国・社会の将来に対する希望、楽観・悲観の尺度にもなっているのではないかということだ。
例のテレビ番組の視聴者の中には、選挙権も表現や信教の自由もいらないから、サウジアラビアに移住したいと思う奴もいるかも知れないな。
しかし、サウジアラビアの国民は楽観的だけれど、その政府は自国の若年層の勤労意欲が低下していることに強い懸念を示している。
俺がここで不思議に思っていることは、こういう国家は宗教権威を利用して、国民の思考や生活をコントロールすることくらい、難しいことではない筈だ。「どうして、サウジアラビア政府がそういうやり方で、若者の尻を引っ叩かないのか?」ということについて、イスラム圏の文化などには疎い俺には分からないのだ。
実はこれこそ、「バカの壁」なのかも知れない。ここで我々の世界のことを考えてみよう。今更、言うまでも無いことだが、大戦後の日本の政治・社会は、米帝の影響を濃く受けている。護送船団方式が立ち行かなくなった後はレーガン大統領やサッチャー宰相の政策をモデルにした改革が推進されて、やっぱり、米英に追従する政治の潮流だ。
西洋史の基本的な話だが、西欧の中で最も早くから近代化・資本主義社会が成り立った国家は、プロテスタンティズムの影響力が強かった米帝、英王国、蘭王国である。
カルヴァンの教義の「予定調和説」って呼ばれている物のことを平たく説けば、「救済される人間は生まれながらに決まってしまっている。そういう人間は現世で立派な職業人として生きる筈だ」という理屈である。だから、大衆は自分の死後の救済を確かめるために、労働に精を出したというわけだが、ルターやカルヴァンの説いた職業観はカトリックの常識とは正反対だったらしい。だから、宗教戦争を経てもカトリックの信仰が衰えなかった諸国は、相対的に近代化が遅れたのだ。
マックス・ウェーバーの『『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でこういうことが突っ込んで書かれているそうだが、そういう精神は資本主義の性質に合致している。それこそ、プロテスタンティズムの信仰者が多い国が近代期以降、経済的繁栄を達成した要因に他ならないということなのだ。
考えてみれば、日本もプロテスタンティズムが成功している国の一例に見えなくもない。
昨今の日本で、よくある議論だけれど、「フリーターやニートは不安定だから、将来が不安だ」だとか、ある特定の業種・職種の不安定性を指摘する話などがそうだろう。
安定した職業に就かなければ、未来は真っ暗だ。
そういう、不安を煽って、人々に合理的行動を促すやり口(要するに、社会が必要とする職業への就労を促す)は、プロテスタンティズムの精神そのものではないのか?
今の日本は、他ならぬプロテスタンティズム圏諸国の制度をモデルにした政策を推進する潮流だからな。
以上のことから、俺は以下の妄想を誘われた。今のアラブの若年層の勤労意欲が低下している問題を今のイスラム教の信仰で解決できないなら、国際社会でのトラブルを避けるため、コーランのジハードの概念を改める動きも少しずつ起こっているように、信徒の職業観を現在の国際市場経済に適応させるための改革が起こるかも知れないのだ。米帝に民主化を押し付けられているイラクもそうかも知れないが、イスラム教世界にも、キリスト教のルター派やカルヴァン派みたいな宗派が誕生するかも知れない。
ルターが生まれたのは1483年、カルヴァンが生まれたのは1509年――ヨーロッパ人に合理的職業観を植え付ける思想家が出てきたのは、イエス=キリストの生誕から1500年ぐらい後なのだ。
21世紀に入って、イスラム教はその開祖マホメット(570年頃 - 632年没)が布教活動を始めてから、そろそろ1400年目を迎える。
どうも、世界史にはこういう法則みたいなものが成り立っているらしいのだが、東洋ばかりに大国が偏って存在する時期と、逆に西洋の方に強国が集中している時代が数百年おきに交互するというのだ。
古代の大帝国ローマが分裂した後、中世期の西洋は文明が衰退して、貧弱な国ばかりになって、逆に東洋には文化度の高い大国が多くなった。
ところが、ルターやカルヴァンが宗教改革を起こしている頃、ローマやウィーンはオスマン=トルコの大軍勢に攻め滅ぼされる危機すらあったが、近代期に入ると、英王国や米帝が世界に冠たる国家になって、東洋は日本とタイを除いて、殆どが西洋諸国の植民地になってしまった。今でも、先進国と呼ばれている国は、西洋が大半を占めている。
イラクなどのイスラム諸国を武力攻撃する米帝は、近世期にオーストリアやバルカン諸国を侵略したオスマン=トルコと照応して考えることができるかも知れない。
それはもう、衰退の兆しが見えているけれど、世界史の主役が西洋から東洋へ交代する過渡期に入りつつあるのかも知れない。
でも、その前にイスラム教世界は宗教改革の洗礼を受けることを避けられそうにないような気がする。それは今まで以上の動乱が発生することを意味するが、宗教上の根が深い問題を孕んでいることを考慮に入れると、17世紀のドイツの30年戦争みたいな酷い状況が予想される。
今の先進国が派兵して、平和維持活動を行なっても、焼け石に水だろう。
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| 2007/01/23 20:00|歴史の考察|CM:0|▲
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どこかの馬鹿なテレビが「納豆はダイエットに効果があるよ!」などという情報を流したら、一時的に消費量が急増して、食料品店の店頭では在庫が底を尽いている現象が一週間ぐらい続いたんだそうだ。
ところが、すぐにそれがデタラメだったってことが明らかになってしまって、テレビ業界や広告業界の碌でもない体質が改めて露呈する結果になった。
納豆と言えば、大抵の人は茨城県の水戸が産地だってことを連想するだろう。だからなのか、関東地方では消費量が多い。
逆に消費量が少ないのは、近畿地方や四国地方である。
俺は生粋の関東人で、両親もそれを食べている家庭で育ったけれど、納豆は一度も口にしたことが無い。
納豆は食わず嫌いと言えば、それまでだけれど、納豆以外でも発酵系の食べ物が苦手だったりする。チーズなど、乳製品の一部も食べられない。
納豆の起源について、ネットで調べてみたのだが、ハッキリした説は見つからなかった。
ウィキペディアの「納豆」を読んで、意外に感じたことは、ヒマラヤや支那の南方でも食べられているということだ。日本固有の食文化でもないみたいだ。
子供の頃、『まんが日本昔ばなし』というアニメ番組で、「納豆」の話を観たことがある。
時代は戦国期で、どこの地域なのかは、今となっては分からないが、どこかの領主がある村の住人に対して、糧秣の提供を命じた。
ある一人の男が陣地までそれを届ける役目を引き受けたんだけれど、村人の暮らしも貧しく、十分な量の米を集めることができないから、領主の要求した量に足りない分は豆で補うことにした。
男は握り飯と豆が入った桶を担いで、領主の軍の野営地まで歩いていった。が、その季節は気温が高く、村から野営地までの距離が長かったから、食糧は途中で腐ってしまった。
握り飯は食えなかった。が、空腹に耐えられない兵士は豆の方は食べたのだが、これが意外に美味く、腹を壊すようなこともなかった。
……これが「納豆」とそれを売り歩く「納豆売り」と呼ばれる行商人の歴史の始まりなんだそうだ。
納豆という食べ物の歴史の興味深いところは、伝播の過程が輻射状ではなさそうなことだ。
ウィキを読むと、秋田県仙北郡美郷町が「納豆発祥の地」を標榜していることが書かれているが、西日本で消費量の多い南九州地方では、「安土桃山期の熊本の太守・加藤清正が朝鮮出兵の際、濡れた大豆を馬に積んでいたら、馬の体温で発酵して、それが納豆のはじまりになった」などという言い伝えもあるそうだ。
どこが最も早いのかは定かではないけれど、偶然、腐らせてしまった物を食べたら、その味にハマる体験をしながら、健康を損ねずに済んだ者がアジア大陸でも日本列でも、各地にいたんだ、ということだろう。
子供の頃、「まんが日本昔ばなし」のような話を聞いて、「やっぱり、最悪な食べ物だなぁ」と感じていた。
でも、飽食の社会に生きている俺がそういうことを言うのは、わがままと言うか、傲慢と言うか、とても感じが悪いことなのだろう。下らないテレビ番組に踊らされて、外国人の俳優の尻を追い掛けたり、変なスピチュアルにハマったり、ダイエット効果を盲信して納豆を買い漁る女と同じレベルなのだ。
食べ物の歴史には、こういう偶発的な話が多いんだろう。そんなことを思のだ。
だからといって、「好き嫌いをやめよう」という気持ちになる殊勝さは持ち合わせていないのだけれどな。
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| 2007/01/22 20:00|食の話題|CM:0|▲
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今年、夕張市の成人式は財政問題の都合で開催できない危機だったが、新成人の女性がバイト先のコンビニエンスストアなどに募金箱を置くなどして資金集めを行なった。市内・市外問わず、その話に共感した有志からも送金が集まって、開催にこぎつけられた。
夕張市:「成人式どうにかして!!」新成人の訴えに共感
この話が日本中で感動されているようだが、この出来事を聞いて、自分が思ったことについて、書いてみたいと思う。
初めに俺個人のことを書くが、俺は自分の地元の成人式には出席しなかった。
当日、親には「結婚は一生に何度でも経験できるけれど、成人式は一生に一度だけだよ。行きなさい」と言われていたけれど、頑として聞かなかった。
友達がいないということもあるけれど、地元の同い年の人間と横並びに同じ式典に出ることに価値観のようなものを全く見出せなかったのだ。
昨日20日の記事でも触れたことになるけれど、人口が多い年齢層に属しているという、自分の努力ではどうしようもないことで、一生、厳しい競争や不利な条件が付きまとう予感が漠然とでもあったので、わざわざ、同い年の人間と横並びに同じ式典に出て、成人したことを祝福されたいという気にはなれなかったのだ。
http://kayin02.blog39.fc2.com/blog-date-20070108.html
8日の記事でも書いたが、その年に俺の地元で催された成人式は、新成人のモラルが酷くて、翌日の朝刊の三面で書かれたことをボンヤリ記憶している。「こんなものに出席しなかったのは、正解だった」と今でも思う。
もう毎年、成人式で暴れる新成人の醜態をメディアで取り上げられるのが恒例行事になっているが、そんなことで、その自治体に対するイメージが悪くなるくらいなら、市町村の予算で賄わなければならない成人式なんて廃止してしまえば良い。税金の無駄遣いだ。
何も個人的な感情だけで暴言を書いているわけではない。
昨今、「国から地方へ」の掛け声で、国の地方に対する財政補助を削減する動きが推進されているけれど、今後、市町村の予算で成人式を開催することが不可能になる自治体は増えていく一方だろう。どうしてもやりたいなら、夕張市の土屋美樹さんみたいに、やりたいと願う人が自助努力で資金を集めるしかなくなるのだ。
成人式などよりも優先しなければならない福祉は、幾らでもあるだろうからな。
今日の記事の核心になるが、日本全国の成人式を廃止にしてしまって、やりたい奴がいるなら、ホントに夕張市の土屋さんみたいに自助努力で資金を集めてみればいいんだ。
小泉純一郎を筆頭に、ここ近年の自民党の新自由主義的政策を支持しているというのは、こういうことを意味するのだ。
一昨年の郵政民営化の是非を問う選挙の頃、小泉改革を支持、その政治に肯定的な立場だった奴らが言っていたことを思い出せ。
官が高い税金を集めて、福祉を分配するシステムよりも、必要な福祉は、こういう自助努力で賄われるようになる社会の方が活力があって明るいからだろ?
大きな政府が福祉を国民に配分するシステムよりも、経済的に余裕がある奴の善意に任せてみることにしよう。
つまり、今の日本の方向性を大雑把に言えば、国家財政や経済成長力を立て直すための手段として、そういう発想が土台にあるわけですよ。
一昨年の総選挙は、国民の多くがそれを選択したと受け止められても仕方の無い結果だ。
式典の予算削減が報道されたことで、募金箱には11万円が集まった。市外からも多くの寄付が寄せられた。「液晶テレビを買うことをやめて寄付してくれた人がいるんですよ」と土屋さんは明かす。住民有志のカンパを合わせると、資金は60万円を超えた。
「液晶テレビを買うことを我慢して、夕張の新成人に寄付してくれた方がいるんです」
ああ、良かったですね。
経済的に余裕のある人の助力をもらえたのだから、市場化の成功です。
だから、日本中の自治体が成人式を廃止しても、成人式の開催を強く望む新成人がいるなら、夕張市の土屋さんと同じことをやってみればいいんだよ。
それで、全国の自治体の成人式の費用が賄えるかどうか、試してみればいいじゃん。
昨今、「官から民へ」の掛け声もやかましいが、成人式の廃止こそ、「市場化テスト」にうってつけだろ。
こんなことを書いたら、怒る人・呆れる人・寂しく感じる人もいるかも知れないが、成人式が廃止されることぐらい、他の公共サービスの縮小とか、医療・健康保険制度の改悪とか、各種のインフラの維持などと比べれば、さしたる問題じゃないでしょ?
小泉改革とか、構造改革などと呼ばれているものに肯定的な奴は、官営を縮小して、勝ち組を更に肥え太らせれば、こういう助け合いが促進されるから、社会は活性化するなどと仰っているわけだよ。
そういう理屈の根拠を言えば、日本の新自由主義を推進する政治家も含めて、古典派・新古典派経済学の信奉者の思想の根底には、生物進化学の「ハンディキャップ原理」に他ならない。
動物の世界でも、人間の社会でも、ボランティア――一見、自己の利益にならない行為を他者に施す個体は、後で更に大きな利益を得るという理屈だ。
それに対して、経済評論家の森永卓郎とか、親日的な評論で知られるアメリカ人実業家のビル・トッテン(最近、日本国籍を取得したらしい)などは、米帝の社会の負の部分を指摘して、そんな発想で社会を改革しても、国民を不幸にするだけだと批判している。
社会の下層の多くの国民は、十分な福祉を受けられないから、様々な不幸が生まれていると。
どっちの立場の言っていることが正しいのか、ハッキリさせるために、来年は日本全国の自治体の成人式を廃止してしまえ。
日本中の自治体で「土屋さん」が表れたら、その全てが成人式の開催にこぎつけられるかどうか、テストしてみようじゃないか。
仮に失敗したって――成人式を経験できない新成人が多少いたところで、生活に支障を来たす人が出てくるというリスクなど無いんだから、これ以上、テストに相応しい分野があるだろうか?
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| 2007/01/21 20:00|政治|CM:0|▲
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今年2007年から、団塊世代と呼ばれる人口が多い年齢層が一斉に社会の一線から退く時期に入る。
消費、金融、産業、雇用、社会保障……、様々な分野に波及する影響力の大きさが予想され、大きなテーマになっている。
それと平行して、団塊ジュニアと呼ばれる年齢層の消費や再生産の動向も注目を集めている。
今日の記事は最初に言葉の定義を整理してから、本題に入りたいと思う。
「団塊世代」とは、一般には1947年から1949年に生まれた層を指す言葉だ。人によっては、もっと広い範囲をそう定義するケースもある。
それで、「団塊ジュニア」とはその世代が結婚して産んだ子供のことを指すと思われる。ところが、『下流社会』の著者の三浦が言うには、一般に「団塊ジュニア」「第二次ベビーブーム世代」と呼ばれる、1971年から1974年に生まれた年齢層の親世代は必ずしも団塊世代が多いわけではなく、団塊世代の結婚・出産ピークはそれよりも少し後にずれているんだそうだ。毎年の新生児の中で、団塊世代の親を持つ子の割合が半分以上を占めるのは、1973〜1978年のことで、三浦はこの範疇を「真性団塊ジュニア」という造語で定義している。
私個人のことを書くが、両親は団塊世代、自分は第二次ベビーブーム世代のすぐ下の年齢層だ。
あまり、マスメディアで繰言のように使われている用語を使うのは趣味じゃないし、ここでは自分の定義を使いたい。
とりあえず、「割を食わされた世代」というのは、バブル崩壊後の雇用情勢が厳しかった長期間中に社会に出ることを余儀なくされた1970〜1980年あたりに生まれた年齢層と定義するが、「その次代のド真ん中に生まれた一人は、こんなことを考えて、こんなブログを書いているんだ」と軽い気持ちで読んでもらえれば幸いである。
この世代の全てが俺と同じ考え方を持っているわけではないし、これはある意味、死活問題ですらあるのだけれど、この世代の人間は意図して、同世代と足並みを揃えない方がいいかも知れない。同世代間で同じような考え方を持つ人間が増えることは、自分たちにとって、不利な状況を作ってしまうリスクがあるような気がする。
私は前々から、メディアにこういうテーマの話題が上がるのを読む度にある種の反感を募らせていた。
二週間前、東京新聞のサンデー版(毎週日曜日の朝刊に折り込まれる図解記事)は、「団塊ジュニア」がテーマだった。
紙面の下部には経済成長率の推移を表す折れ線グラフと、その時々で流行した文化(芸能、サブカル等)のことがイラスト・写真を豊富に交えて紹介されていたが、その上は団塊ジュニア世代の有名人の名前、年齢層別の人口の棒グラフ、年齢層別の投票率、団塊ジュニア世代の雇用、婚姻、出産に関する統計データが掲載されている(参考文献・出典として、「難民世代」「新平等社会」「若者はなぜ3年で辞めるのか?」「貧乏クジ世代」「2006年版少子化白書」の書名が挙げられていた)。
それで、記事のタイトルは「時代を担う団塊ジュニア」で、すぐ下には「2007年に団塊世代の定年退職が始まると、次の大きな人口の塊は1971〜74年生まれの団塊ジュニアになります。少子化を食い止める最後の砦などと言われていますが、どんな人たちなのでしょう。」などというコピーが書かれている。
そして、各種の統計グラフの横には、安倍晋三の上半身の写真と所信演説の抜粋――「第二次ベビーブーム世代が30歳代のうちに総力をあげて少子化対策に取り組む」の一節も掲載されている。
ご存知の通り、政治家・安倍晋三の現在の日本の少子高齢化現象に対する認識だが、「社会保障制度の維持の可否において、ある程度の歯止めを掛けなければならない問題である」ということに尽きる。
無論、この図解記事の編集者が読者として想定しているのも、年金制度と関連付けて、そういう問題に関心のある層なのだろう。
以前も指摘したかも知れないけれど、安倍晋三とかいう政治家の矛盾だが、少子化に歯止めを掛ける対策として、「家庭再生」も重点として掲げながら、それとは逆のこと――多くの保守思想の政治家・識者からは賛同を得られないであろう、すぐに効果が表れることを期待した経済的支援も推進しようとしていることだ。
何故、そんな二律背反なことを言っているのかについて、順を追って説明するが、選挙の投票率が高い年齢層は、年金の受給が目前の世代だからだ。
俺個人はそれが原因であるとは考えていないのだけれど、保守思想の論者の中には、現在の出生率が著しく低減している原因は、戦後の教育の荒廃のせいで、個人主義が濃くなって、家庭を軽視するようになった人が急増しているからなどという指摘をしている者が少なくない。
だから、教育改革の中で、「家庭再生」も大きなテーマにされているのだ。
ところが、仮にその認識が正しかったとしても、だよ。改革が首尾よく進められた後、「まともな教育」を受けた子供が成人し、就職して結婚するようになるのは、何十年先の話なのだ?
少なくとも、それで出生率が上向くようになるまで、30年前後は掛かるだろうし、そこで彼らが一世帯当たり3人以上を産んでくれたとしても、それが保険料を納める年齢になるまで、更に20年待たなきゃならないんだぜ。
今、年金の受給を目前に控えた世代はそこまで待っていられないわけだ。今の日本で選挙の投票率が高いのは彼らだ。
なので、安倍は自分のカラー一色の政治ができない部分も小さくなく、「家庭再生」とは別の方法論、もっと即効性があると考えられる経済的支援で、人口が多い団塊ジュニア世代の出産を促さなきゃならない立場になってしまっている。
これではまるで、子供の教育方針で夫婦の意見が対立している家庭と同じ構造だ。
多分、教育改革で「学力」を再生することは上手くいくだろうが、「モラル」「家庭」の再生はほぼ不可能だと思っている。そういう大人を見て育った子供は決まって、非行に走るか、アダルト・チルドレンの連鎖だ。
ま、学力さえ何とかなれば、国力は維持できると思うがな。
しかし、俺が思うに、「割を食わされた世代」は政府や識者などの思惑通り、皆が揃って、すぐに子供を作るようなことは避けた方がいいような気がする。
奴らはしきりに「年金が」「年金が」と言うが、自分も含めて、「割を食わされた世代」の平均寿命は、今の高齢者並の高さを保てるだろうか?
そうでなくても、国の財政の悪化で支給の年齢を70ぐらいに引き上げられる可能性は濃厚だし、安倍宰相が著書で訴えているほど、有利な金融商品だとも思えない。
過去、進学でも就職でも厳しい競争に悩まされてきたし、男も女もそれぞれが抱えている要因で、結婚したい意志があっても未婚のままの奴が増えている。
ここまでくると、「どうせ、年金のことでも、割を食わされるんじゃないか」ということは想像に難くない。
よくある議論として、独身者や既婚でも子供を育てていない人に対して、賦課式の制度を維持する次世代を育てなかったペナルティとして、年金の没収とか、より高率の負担を課そうという発想を持ち出す人がいるが、「私は自助努力で老後のことを考えるから、今までの保険料を返せ!」と反論したい奴が続出だろう。
未納者の急増が最もだが、年金の保険料の徴収が困難になっているのは、若い世代の雇用が不安定だからだ。
いよいよ、給与水準が高く、それに比例して保険料もそれなりに納めてきた世代が納付する側から抜けて、逆に近い将来、受給する側に回るワケだが、問題は未納者が多いこともそうだが、仮に今までもこれからも休まずに納付する人にしても、納付する立場の賃金が上がっていないから、保険料は大して集められないだろう、ということだ。
だから、三号被保険者の数を削り、二号の加入の条件を緩和する「再チャレンジ支援」などが持ち上がったのだ。
製造業の現場の技能の継承などの問題も含めた話になるが、それらのことはとっくの昔に予測がついたことなのだ。
それなのに、ギリギリまで、この世代の人間を不安定な状況に放置しておいたが、政府も自治体も企業も、今になって慌てて、対応に追われているわけだ。
団塊世代が一斉に退職するから、技能を廃れさせないために、新卒採用を急増させるんだってさ。
もう、企業の正社員は幹部候補だけに絞って、後は非正規雇用――人材派遣・アウトソーシングで賄って、年功序列は廃止するんじゃなかったの?
こういう人も少なからずいると思うが、俺の知り合いで、求人倍率・雇用情勢が回復するのを待つ意味で、大学院にまで進学した末、留年も経てから卒業した後、時給制の研究員(すぐに切られたが……)にしかなれなかった人がいる。
要するに、値下がりする株をいつかはリバウンド・上昇トレンドに転換すると期待して難平買いしていったが、最後まで持ち堪えられず、大損する最悪の展開と同じだ。
「ここまで、人を馬鹿にした話があるか!?」って思いませんか。
株も人生も自己責任だけれど、あんなに不況が長引けば、政府の責任も幾らか問われてしかるべきだが、社会の下の方はトリクルダウン理論が証明されるまで、あと何年も待たされるの?
役人にしろ、企業経営者にしろ、数年先のことも考えられず、近視眼的なわけだ。政治家も殆どは不勉強で官僚の言いなり、数十年も先のことを見通して、政策を立てられる奴が殆どいないわけだ。
ここで同世代の奴に対する忠告のような話を書くが、政府や識者などの言うことを聞いて、皆で時期を揃えて、子供を作るような真似は止めておいた方がいいかも知れないぞ。
今まで、進学や就職は厳しい競争に晒されたし、今後は年金でも割を食わされることが予想できる。昨年の出生数は一昨年と比べて、少し増えたらしいが、ここでプチ出産ラッシュでも発生させて、グラフ上に「下がっている途中のコブ」を作ってしまえば、その子たちは親世代の二の舞になるんじゃないの?
親の世代の雇用を守るために、「割を食わされた世代」は新卒時の就職の機会を多く奪われた。でも、「割を食わされた世代」にしても、20年後に不況に直面すれば、子供の世代の雇用を犠牲にしてでも、自分たちの生活を守らなければならないだろう。そういう意味では、親の世代を責められないだろう。
でも、自分たちが退職する頃、一気に採用を拡大させるでしょう。
だから、日本社会が今後も新卒偏重の採用の習慣が続くなら、こういうセオリーが成り立つのだ。
男は43歳になるまで、配偶者・恋人を妊娠させるな。
どういう意味かといえば、今後は65歳まで働かされることになりそうな社会だろ。
43歳で子供が生まれれば、それが大学を卒業するのは、自分が引退する歳とほぼ一致するじゃないですか(高卒・専門卒・短大卒で就職させるつもりなら、その分、さらに歳を重ねる)。
勿論、女性の方は身体的なことで、男のように、子供を作れる時期を全く自由に選べない。が、そこは年齢差のあるパートナーを見つけてもらうとか、代理出産とか、医療の進歩で解消してもらうとして……。
少なくとも、我が子が受験や就職に悩んで、ニートやフリーターになるリスクが高くなることを考慮すれば、検討に値するでしょ(?)。
俺はこの記事をふざけ半分で書いているが、半分は真面目に思っていることだ。
自分が意図することを説明するが、「割を食わされた世代」は人口の塊だから、今後も何事も皆で揃って同じ行動を取ることが、何かしらの全員の損失に繋がってしまうことが予想されるという死活問題があるということを指摘しているのだ。
だから、俺がここに書いていることを読んで、「馬鹿だ」と思ったり、否定的な感情を抱く人が幾らかいるなら、それも正解なんですよ。
兎に角、「固まるな」だ。
受験や新卒時の就職はどうしても横一列に並ばされることを強いられたが、個々人の自由裁量に委ねられる、結婚や子作りや不動産の購入などのことまで、わざわざ一緒になってやることは無いんですよ。
何かにつけて、「団塊ジュニアが……」などとカテゴライズしたがる識者の奴らを「捉えどころが無い」と戸惑わせるように、皆がバラバラの考えで行動するべきだ。
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| 2007/01/20 20:00|世代間格差、2007年問題|CM:3|▲
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昨年は自民党の負の部分が改めて目立ったから、安倍内閣の支持率は急落している。政権発足から半年も経たないのに、不祥事で辞任する閣僚が続出、もうガタガタだ。
が、それでも、民主党が今年の選挙で大躍進する展開は有り得ないと見ている。
格差を拡大させてきた自民党の政治を批判して、格差是正を訴えているようだが、ここも口先だけの連中だ。
俺は1月9日の記事で、出産手当金の制度が改正(改悪)され、その恩恵を受けられるのは、公務員や福利厚生に余裕がある大企業に勤務する女性だけになることを指摘したが、出産一時金だって同じだ。公務員や大企業の健康保険組合に加入している奴と、政府管掌健康保険や国民健康保険に加入している奴の格差も更に拡大されることが決まっているのだ。
何かといえば、厚生労働省が大企業のサラリーマンが加入する健康保険組合に対する規制を緩和し、公的な出産育児一時金(35万円)に健保組合が独自に上乗せできる金額を増額したのだ。
民主党は子育て支援だとか、公平・公正な社会とか、格差是正を訴えているクセに、この格差問題は見て見ぬフリなのかな?
WEBサイトのマニフェストの社会保障の節を読んだが、公的年金は「全ての年金を例外なく一元化する」と明記されているが、健康保険制度のことは曖昧である。
公務員や大企業の社員が入っている労働組合も民主党の主な支持層なんだが、その利益を守ることしか考えていない体質が変わっていないと思われても仕方がないだろ。
「政治は生活」とか言っているが、とても多くの有権者から信用を得ることはできないんじゃないかな。
まぁ、毒男の俺にとっては、どーでもいいことだけれどな。
しかし、労組・旧社会党系の議員も碌でもないが、元々、自民党に近い方の派閥も悪イメージが濃いのではないか。
今の党代表・小沢一郎はある意味、これまでの日本の政治の悪い部分の象徴のように見られる嫌いもあるだろう。企業献金の実績もそうだし、今の日本を借金まみれにした道路族の開祖の薫陶を受けた政治家だ。
でも、「過去の人」と見られているような人物を代表に担がなければならないほど、よっぽど人材の層が薄い政党なのだろう。
前、小沢一郎の著書『小沢主義(イズム)』の寸評を記事に書いたことがあるが、「どぶ板選挙」の大切さを説いているところも特徴的だった。
小沢一郎は集会を頻繁に開き、その参加者と膝を交えて酒を飲むことを繰り返して、地元の信用を勝ち取ったことを語っている。しかし、まずいことに、昨年、お膝元の岩手で、民主党に所属する県議が飲酒運転で逮捕される不祥事が起こっている。
岩手県議 酒酔い運転で逮捕
日本の政治は一昨年の郵政選挙で特に拍車が掛かったが、劇場型に傾いていて、タレント候補に地味な運動をする政治家が排除される傾向が濃くなる一方の流れになっていると感じる。
昨今、飲酒運転に対する厳罰化を求める声が強くなっている中で、この不祥事は決して小さくはないマイナスだろ。そういう選挙活動に対して、更に悪い印象を募らせる人が多くなってしまっているような気がする。
自民党が幾ら駄目でも、民主党もこのていたらくでは……。
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| 2007/01/19 20:00|政治|CM:0|▲
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今更ながら、『女王の教室』をDVDで観ている。
一昨年の夏に民放で放送されていたテレビドラマだが、視聴率は高くて、内容はテレビ局に苦情が入ってきたり、物議の対象に上がることが多かったらしい。
それなりの社会現象だったんだろう。
出演者:天海祐希、 羽田美智子、 原沙知絵、 志田未来、 泉谷しげる、 内藤剛志 レンタル開始日:2005-12-21
この番組名をパロった
女王のクラス
というタイトルのアダルトDVDまであるみたいだ……。
何で興味を持ったかといえば、昨年の12月まで放送されていた『14歳の母』というドラマの主演の志田未来という子役(そろそろ、子役と呼べる年齢でもないかも知れない)の評判だ。
しかし、俺は俳優の演技の上手い下手が分かる目利きじゃないので、記事はドラマの内容に対する個人的な感想を書くぐらいで留めておくつもりなんだけれど、このドラマを観て驚いたことのひとつを挙げると、脚本は明らかにダーウィニズム色に彩られている内容であることだ。
と……いつもの調子で、自分の電波思考を書き始めると凄く長くなってしまうので、それは次の機会に譲って、今日はもっと月並みなことだけにしておこう。
全体を通して、志田未来が演じる主人公の神田和美の「学校はクラスの皆が仲良くして思い出を作る場所」という思い・意思と、阿久津マヤの指導方針の対立がストーリーの背骨になっている。
まず、俺はその点について、ある種の疑問を抱いた。
これはこの前、記事に取り上げた『「ニート」って言うな!』っていう本の第二部を著した内藤朝雄っていう人も言っていることなのだが、「同級生になった以上、皆が仲良くならなければいけない」などとという発想もある意味、怖いもの、イジメの原因になる側面があるのではないかと思うんですよ。宗田理の小説の中にも、そういうことをさりげなく指摘している作品がある。
そこは人によって、評価が分かれるところなのだろう。
ただ、自分でも不思議に感じているのだが、そういう否定的な理屈を抱きながら、神田和美の行動に感涙できる部分も小さくなかった。
今回、ドラマの感想はこのくらいにしておいて、記事のタイトルである俳優のことに話を移すが、この志田未来っていう女優は出演したドラマは高視聴率が連続しているみたいだから、最近、注目度が高まっているのだろう。
過去、このくらいの年齢で注目されていたタレントの名前は何人か挙げられるけれど、例えば、何をやらせても中途半端だった広末涼子なんかとは違って、将来は凄い俳優になるかも知れない。
まぁ、俺の予想は当たらない確率が高いから、こんなことを書かれたら、折角の演技力なのに、縁起が悪いですよね(ダジャレ)。
それは兎も角、芸能界でこの位の年齢の女の子の役者が注目を集めている風潮を見ると、俺は過去のある話を思い出す。昔、安達祐実が人気あった頃だけれど、あるワイドショーで司会者が変なことを言っていた。社会で不景気風が濃い時期になると、この位の年齢の少女タレントに人気が集まり易い法則があると言うのだ。
ホントかどうか、俺はその真偽を確かめる気は無いが、確かに今の日本はそうなのだ。政府は「景気拡大は戦後最長で継続中だ」などと標榜しているが、国民の大多数はそう感じていないではないか。
志田未来という一人の少女俳優に限ったことではない。このドラマの主人公以外のクラスメイト、進藤ヒカル役の福田麻由子、馬場久子役の永井杏もそうだろう。
そして、昨今は女性タレントの写真集の市場で、十代前半の少女の物(水着姿含む)の売り上げが占める割合が大きくなっているらしい。
世の中が不況になると、それくらいの年齢の少女に欲情する大人が増える傾向があるということなのか?
或いはこうも憶測するんだけれど、今は職業に就いて、男性並みに賃金を得ている女性が増えているじゃないですか。ある種の考え方を持っている男は、今のそういう社会の同世代の異性が生意気に見えて、魅力を感じないのだ。それで、もっと若い年齢の少女タレントとか、アニメで代償する習性になっているのかも分からない。
ちょっと気になるところである。
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| 2007/01/18 20:00|映画、テレビドラマ|CM:0|▲
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――7時になりました。
――ニュースをお伝えします。
――中川昭一自由民主党政務調査会会長の「核武装も選択肢として考えておくべきだ」との発言に対して、中国政府は――
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糞!
俺たちの国は
中国や韓国や北朝鮮に舐められている。
マジ、気分悪ィ!
武力が無ければ
言いたいことも言えねぇんだ!!
交渉の最終手段は戦争だ!
今すぐ自衛隊を国防軍に昇格して、
核と航空母艦を保有するべきだ!
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戦争、マジ、カンベン。
平和ラブ!!
仲良くいこうよ!
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向こうは、そう思ってねーぞ!
それに米帝やロシアだって日本を植民地にするつもりだぞ!!
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だって、日本がこんだけ発展できたのは
ガサツな連中の合間をぬって
イイトコ取りしたからだろ?
楽しくいこうよ!
人生楽しまないと!
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楽しむ?
ふざけんじゃねぇ!!
その結果がほら……
今の日本は肉体も精神もブヨブヨした
間抜けばかりじゃねーか!
それに、そういう薄い大人の無駄遣いのツケを、
俺ら若い世代が払う破目になってんだ!
ツケの一番大きな代償は、
俺たち日本人が誇りを持てず、
国も家族も自分さえも愛せねぇようになっちまったことだ!
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(ネロは馬鹿の典型だ。
昔から進歩がねぇ!)
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これからの時代
愛国心と思いやりの気持ちが大事じゃねぇ?
国と家族と仲間を大事にしねーとよ!
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(誰の台詞だよ?
馬鹿ウヨのブログに書いてあったようなテキストを
まるで、テメェが一から考え抜いた言葉のように俺に語りやがる。)
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だから、カイン!
俺はお前のこと
大切にしてんだぜ!
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(タチが悪いのは、
自分よりも無知で、
頭が悪そうに見える奴の前でしか、
熱弁しねぇことだ……
頭のイイ奴はツッコミを入れるからな……
つまり俺は
コイツに下に見られている……)
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| 2007/01/17 20:00|意味不明、珍珍|CM:0|▲
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