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日本(セカイ)は美しくなんかない 

秋なので、読書の話題を書くことにしよう。

先日、出掛けたついでに立ち寄った古本屋で買った本。

キノの旅 The beautiful world (11)
キノの旅 The beautiful world (11)

俗にライトノベルって呼ばれているジャンルの小説(俺は「ライトノベル」っていう言葉が嫌いなので、以降では「ジュニア小説」と表記する)。

今でこそ、ジュニア小説の世界は、一般作品と比べても遜色の無い作品・作家が続々と認められているが、昔はゴミのような扱いのジャンルだった。
富士見の『スレイヤーズ』シリーズの作者が、アニメ化で印税を稼いで、長者番付に名前が出ていた頃だって、文筆業の業界では、ジュニア小説を書いていただなんて、実績として認められないどころか、みっともないこと、却ってマイナス評価を受けてしまうこともあったそうだ。
まさか、日本経済新聞社の系列の出版社から、ガイドブックが出るようになるとは想像もしなかったし、そういう時代のことを思い出すと隔世の感がある。

でも、俺も一時期は少し読んでいたが、こういうふうに社会で広く認められるようになってからは、あまり読んでいないです。
元々、評価が高い・人気がある作品を読んでも、自分には何が面白いのか、よく分からないっていうケースが少なくなかった。

特に上の「キノ」シリーズと同じ叢書から出ている「ブギーポップ」(上遠野浩平著)なんか、人気が高くて、テレビアニメなどにも展開して、電撃文庫という、このジャンルの世界ではトップのレーベルを代表しているといっても過言ではないのだが、俺にはあの小説の何が秀逸なのか、ちっとも分からないままだ。
一人称の視点がコロコロ変わり、時間軸をバラバラにして、ひとつの怪奇現象を追っていく話だったが、それを読み進めると、ジグソーパズルが組み合わさっていくみたいに、話が分かってくるところがウケているらしいが、それの何がそんなに目新しくて素晴らしいのか、俺にはさっぱりだ。
この作品のことをピカソの描いた絵に喩えている人がいたが、そういう芸術にも興味の無い俺には、やっぱり話が分からない。

ブギーポップは笑わない
ブギーポップは笑わない

俗にセカイ系って呼ばれているジャンルの草分け的存在らしい(「世界の敵」がどうのこうのっていう台詞がよく出てくる)。

「セカイ系」っていう言葉の意味は、俺がここで詳細に説明するのは面倒なので、お手数ながら、検索で調べてもらいたいが、それを簡潔に説明する主なフレーズをふたつ挙げると、「自分の精神的な葛藤を世界の歴史なんかと結びつけて考えてしまう妄想癖のようなもの」とか、「成長という観念への拒絶の意志」などというものがある。
アニメ・漫画では、『新世紀エヴァンゲリオン』や『最終兵器彼女』などがその典型として挙げられるそうだ。

しかし、俺が今でも何となく読んでいる『キノの旅』のシリーズは、『ブギーポップ』の人気が高かった頃に、同じ新人賞の選考を経て、シリーズ化した物なんだけれど、今の電撃の路線は「ブギーポップ」の人気化で、それと同じようなジャンル主体に定着したところがあるそうだ。

これもそうだという意見の人は、多数派ではないかも知れないけれど、個人的な解釈を言わせてもらえば、明らかにそういう基準で、商業ベースでの出版に至ったのだと感じている。
現に1巻の序章は、世界は美しくなんかないっていう件で始まるからな。

特に1巻の第五話の「大人の国」は、露骨なメタファーで構成されている。

キノの旅―The beautiful world
キノの旅―The beautiful world

小説の概略を一から解説することは端折るが、主人公の少女が生まれ育った国には、「国民は12歳になったら、しっかりとした職業人になるため、『大人になるための手術』を受ける義務がある」という法律がある。
ある旅人と出会ったことがきっかけで、彼女は親や周囲の大人から言い聞かされてきたことに疑いを持つようになって、施術の当日、それを拒否して、殺害される危険に陥ってしまう展開になる。

明らかに「成長という観念への拒絶の意志」の象徴に解釈できるだろ?
今の日本の社会の常識・慣習(要するに、大多数の人にとって、経済力の根拠になる職業人・労働者として成功するかどうかで、社会で敬われるか、軽蔑されるかが分かれる風潮、つまり、米英のここ二百年の国家的繁栄の根拠になっているプロテスタンティズムの価値観に牛耳られている社会)に対する皮肉のように解釈することもできなくもない。

4巻の「ぶどう」の話もそうだろう。
モトラド(大型の自動二輪車。この小説の世界では、それをこのように呼称する)で気侭に諸国を旅する主人公が立ち寄った街で、そこ通りがかった地元の男から色々と説教される話だ。
その台詞がどんな内容なのかというと、主人公の少女の《キノ》が、学校にも通わず、定職にも就かず、ブラブラと旅をしていることへの非難の言葉の数々である。


――人間には果たさなくちゃならない義務がたくさんある。ひとつは仕事をすること。定職に就くことで、他人や国に奉仕する。つまり、社会人としての義務だ。もうひとつは結婚して家庭を持つこと。配偶者を幸せにして、そして子供を産み、しっかりと育て、新しい社会に送り出す。これはもっと根本の人間としての義務だ。旅なんかして、ふらふらして、今の君にこれらが果たせるとはとうてい思えない。異論はあるかい?――

――それと、もうひとつ。
モトラドなんか乗るのも、やめたほうがいいね――

――ああ、モトラドは危険だ。おまけに二人しか乗れない。移動手段としては非常に野蛮で原始的なものだよ。ちゃんとした大人には、そんな家族に不安と不便を強いる自己中心的な遊びは許されないね。車を買って、大切な人たちをしっかりと移動させられる手段を持つべきだ。モトラドで旅なんて、最低かつ最悪の組み合わせだ――


表面的にはこういう台詞だった。読者の中に、もし、この作品を読んだことがある人がいるなら、分かると思うが、その章を最後まで読めば、その男は自由な生き方をしているキノのことを本当は羨ましい目で見ていること、表面的には社会的な義務を果たしていることを誇っているようなことを言いながら、実はそんな人生に疲れていることなど、行間を読めば、容易に察することができる話になっている。

僕がこの小説を初めて読んだのは、もう6年ぐらい前のことになるが、その当時、親の反対を押し切って、二輪の免許を取りに行っていた時期でもあったから、そういう自分の身近なことから、この小説の話は何か心に引っ掛かるものがあって、妙に印象深かった。
なんだか、ウチの親も含めて、今の日本の団塊前後の大人が言いそうな理屈だなとは思う。

キノの旅―The beautiful world (4)
キノの旅―The beautiful world (4)

最近、セカイ系という概念が主流になったジュニア小説がどうして、過去と比べて、広く注目されるようになったのか、その社会的背景が何となく分かるような気がしてきた。

察しのいい人なら、これだけ書けば分かるだろうが、日経の系列の出版社が、こういうジャンルの小説のガイドブックを出した時期って、ニートという時事用語が登場して、従来のフリーターのことも含めて、若い世代の雇用の問題が大きく取り沙汰されるようになった時期と同じ頃だっただろう。
また、そういう世相を反映して、『13歳のハローワーク』などという、ふざけた内容の本が話題になっていた。

また、正社員で就労していて、経済的に安定していても、仕事が忙しいとか、趣味などに没頭して、30過ぎても結婚しない男女が増えている社会現象なども、世代間の助け合いの社会保障制度の継続に支障を来たすという観点で、問題視されるようになっていた。
それで、『キノの旅』の4巻の「ぶどう」に登場する男の台詞のような文句を若い世代に対して言う中高年が増えたのだ。

米帝や英国が近代から現代に掛けて、経済的繁栄を謳歌しているのは、信徒に職業的成功を達成させるための努力を促すプロテスタンティズムの信仰が盛んだった歴史背景があるからだって、マックス・ウェーバーっていう有名な学者によって論証されているだろ。
ずっと前にも、こういうことを書いたが、現代の日本には、それと似たような風潮がある。
だから、『製造業崩壊』の著者なんかはその典型だが、戦後の復興や高度成長を支えてきたような世代の中に、ニートやフリーターが多い世代に異様な嫌悪感・憎悪を抱いている奴が多いのは、そういうことがあるからだ。

話は飛躍して、これはちょっと乱暴な論法になってしまうが、近代の純文学の小説って、ある意味、そんなプロテスタンティズムの価値観に適応できない、天国へ行く切符を手に入れることが出来ない不器用なタイプの人間の生きる支えのような物なのだ。
太宰治とか、芥川龍之介なんかだ。

アマゾンで『13歳のハローワーク』のレビューを覗いたら、こんなことを書いている人がいる。

「村上龍のような作家は、どうやっても、自分の仕事を見つけられなくて、引き篭もったりして悩んでいる人のために小説を書くべきなんだから、こんな内容の本を書いて欲しくなかった」

概ね、こんな意味の投稿だったと記憶しているが、村上龍って、他ならぬ芥川賞出身の小説家だったな。
『エヴァンゲリオン』は登場人物の名前に村上龍のある作品から引用されたり、何らかの関係についての考察が一部で論じられているが、『13歳のハローワーク』みたいな物を書くような奴だから、エヴァの劇場版のラストは、あんなオチだったのか?

俺は今年公開されている新装版は未見だけれど、どちらかといえば、10年前に公開された劇場版のラストには否定的な考え方を持っている(多分、新装版の同じことの繰り返しだと思うが、要するに、あれは「引き篭もりがちなオタク」に対して、外で出ることを強いるメッセージだっただろう)。

10年前、エヴァ劇場版が公開された頃は、日本の社会は金融恐慌で未曾有の不況になって、「失われた十年」の時代で、若い世代は最悪の雇用情勢に直面させられる時期だった。
そこで、本来ならば、精神的な受け皿になるべきものに叱咤されては、立つ瀬がなかろう。

俺の妄想の世界で語ってしまえば、セカイ系とか呼ばれているジュニア小説が、そんなに多く読まれるようになった背景には、既存の文学が本来の存在意義を忘れてしまって、プロテスタンティズムに迎合してしまったところがある現状に失望した読書家がそれだけ多く、今のジュニア小説はその受け皿になっていることの表れのような気がする。

要するに、みんな疲れているんだろうよ。
当の若者も、それに憎悪を募らせている上の世代も、社会に対する義務の重さってヤツにな。

きっと、前の総理大臣とその支持者が連呼していた「美しい国」とやらは、そういうことを国民に押し付ける考え方なんだろうが、思いっきり大声で言い返してやればいいさ。

日本(セカイ)は美しくなんかないんだってな。
2007/10/17 18:00|本の寸評、読書感想CM:1
 
コメント

しめがうまいですね
本当に貴方の言う通りですよ
通りすがり #-|2008/03/02(日) 08:30 [ 編集 ]
 
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