駄猫の時事放談

このブログの創造主 

kayin(カイン)

代表者:kayin(カイン)
駄猫
メタボ猫
ホワイト・ヘアー・ブッダ(デビル)
白いガチャピン
吊り目のドラえもん
白銀の奇公子
NNC(ネオ・ニート・キャット)
チョイ悪ネコ

社会のあれこれに物申すブログです。基本的に思想属性は、左派リベラルなので、合わない人は注意。

リンクはご自由にどうぞ。
TBは受信を停止中。
バトンはゴミ箱に捨てます。

@メールの宛先はこちら。
kayin20040731★yahoo.co.jp

■姉妹ブログ
駄猫チャンプルー
(休止中)


Edit

最近の記事 

カテゴリー 

最近のコメント 

月別アーカイブ 

ブログ検索 

カウンター 



ブロとも申請フォーム 

この人とブロともになる

本当の友情 

最近のパチンコには、『花の慶次』があるそうだ。

知らない人のために説明するが、『花の慶次』とは、僕が中学生か高校生ぐらいの頃、少年ジャンプで連載されていた漫画作品のタイトルである。
作画は『北斗の拳』の原哲夫だが、原作は隆慶一郎の歴史小説で、主人公の前田慶次郎利益は戦国時代の実在の人物だ。
乱世の世の中でも、飛び抜けた型破りだが、一流の教養人の側面もあった好漢だったらしい。

俺は単行本を全巻揃えてあって、それが今でも家にあるんだけれど、最近、たまたま読み返してみて、考えたことがあったから、また、取り留めのない話になるけれど、今回の記事を書くことにした。

この漫画作品の前田慶次という男の処世観(という言葉は不適切かも知れないが……)で、奇抜に見えることのひとつを挙げると、彼なりの友情の概念がある。
自分を殺めようと図って近付いてくる相手に対してすら、いや、そういう命のやり取りをする相手だからこそ、厚い友情を覚えるようになるところが度々、描写されているのだ。
石田三成に対して、供(友)の捨丸のことを「あいつは俺を殺すのが夢なんだ」などと紹介する場面もある。

しかし、この漫画の前田慶次ばかりがそういう処世観なんだろうか?

そういう描写がストーリーの主体になっているような作品は、他にも多いような気がする。

『北斗の拳』もそうだろう。主人公のケンシロウは、一度は腹の底から憎悪して、死闘を演じてきた戦士たちのことを強敵(とも)と総称している。

『ドラゴンボール』もそうだと感じる。
ベジータとか、ピッコロとか、最初はとんでもない悪人で、利害が一致するようになっても、とても信用できる相手ではなかったが、いつの間にか、悟空の親友になっているからな。

今日の記事の要点をここで書いてしまうが、友情とか、友達とか、そういうふうに呼べるものって、一度は相手を殺したくなるほどの憎悪を感じて衝突しないと、本物の関係は築けないんじゃないかということを考えるようになったのだ。

「友達」っていう言葉について、人それぞれ、どの程度の付き合いをしたら、そう呼ぶかどうかの定義を持っているとは思うのだけれど、たまにはこういうことを考えてみるのも面白いかも知れない。

これを漫画の世界だけの話だと思って、失笑せず、もうちょっと俺の話に付き合ってくれたまえ。

先に『花の慶次』で書き出したから、史実のことを連想するが、この漫画には伊達政宗も登場するんだけれど、16世紀後半の伊達家は近隣の国々との関係が険悪だった。
外患の中に相馬という大名(現在の福島県に領国があった)もいたんだけれど、何十回も交戦を繰り返してきて、不倶戴天といっていい関係だった。
その相馬家は関ヶ原の合戦の時、直接、東軍に弓を引いたわけではなかったが、西軍についた佐竹の兵が領内を通過することを黙認してしまったので、戦後、徳川家にそれを突っ込まれて、改易されそうになった。
結局、その最悪の沙汰は免れて、幕末・維新まで、相馬家は大名として存続することができたんだけれど、宿敵だった筈の伊達政宗が取り潰しにならないように、幕府に政治工作を働きかけていたらしい。

どうして、単純に「ザマーみろ」って笑って、溜飲を下げるだけにならなかったの?
単純に考えれば、長年、憎悪し続けて、本気で滅ぼそうと思っていた相手じゃないか?
何か計算もあったんだろうけれど、何十年も抗争を続けてきた相手に、ある種の感情を抱くようになったところもあったのだろう。

武田家と上杉家の関係もそうだろう。信玄は亡くなる前、自分の後継者に「危機が訪れたら、上杉を頼れ」って言い残したらしい。

人と人の関係も、国と国の関係も、実は生死の掛かった衝突を経なければ、本当の友情とか、信頼関係って築けないのかも知れないな。
そんなことを考えるようになった。

じゃあ、今の平和な日本に暮らしている現代人はどうなんだろう?
子供がいる家庭の中には、いじめも含めて、子供の友達関係に悩んでいる人が多いだろ。
大体、自分の子供には、どんな友達が必要、こういう子と付き合わせたいっていう考えを持っている親はいるだろうし。

3年前、『女王の教室』っていうテレビドラマが物議を醸しただろ。ここのブログでも、ちょっと感想を書いたが。
志田未来が演じた主人公が、いじめられて、学校に来られなくなる場面があったが、それを乗り越えて、却って前よりも友達との信頼関係が深まった展開になったよな。

「いじめは絶対に悪い。許されない。」っていうのが、社会的コンセンサスになっているわけだが、究極的には必要悪なのかも知れない。
そういう軋轢を乗り越えられないと、本当の友達って作ることができないのかも知れないですよ。

4年ぐらい前、佐世保でネット上のチャットか何かの発言に頭にきて、同級生をカッターで刺し殺しちゃった女児がいたよな。あれだって、被害者の女の子が死ななければ、もしかしたら、加害者と被害者はお互いの理解が深まって、無二の親友になれたかも知れないじゃないか。

今日のトンデモ発言だが、いじめとか、キレる子供が深刻な社会問題として受け止められているわけだが、自分の子供がそうなったら、一生の財産になる友達を得られる機会なのかも知れないぜ。
勿論、死んじゃったり、一生まともな社会生活を送れなくなっちゃうリスクもあるけれど。

だから、曲解しないで欲しいが、「そういう友達は絶対に必要だから、恐れずにリスクを取ろう」だなんて訴える気は無い。
そんな「友達」なんて必要無いから、自分の子供がいじめに関わったり、キレたりするようなことにならないように育てたいっていう考えもありっていうか、当然だと思う。

ただ、今日の俺の記事の意図は、大半の現代人が普段、何気なく漠然と使っている「友達」という言葉について、たまには深く考えるきっかけになればと思って書いてみただけさ。

友達って何でしょうか?
2008/05/25 09:19|教育CM:0
 
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

 
カレンダー 

08 | 2008/09 | 10
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

DVD、CD 

ぽすれん

このブログのお値段 

賛同 


リンク 

Copyright(C) 2006 駄猫の時事放談 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー 1GB!FC2ブログ(blog) template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.